ショート・ショート 007

行くな! 君去りし後 裏返し編












          ( * 全て、捲簾大将の一人称で、独り語りです。)


俺は良く、桜を見ると天蓬を思い出す。
天界には元々桜の木が多いんだから、誰もが桜の前で何かをしている姿を人前に晒して当然なんだけれど、それでも、あいつが桜の下で本を読んでいる姿は格別で、一度目にしてしまうと、似合い過ぎていて脳裏に焼き付いてしまうようだ。

時折、舞い散る花弁(はなびら)に邪魔されたりして、書物から目を離し、細い指を動かしてさっと払う仕草をするのなんかが、妙に色っぽくて、俺にはずっと天蓬と言えば桜という印象だった。



で、その日も心地良く風が吹く日で、桜が花弁を撒き散らしていたんだが、ふと気が付くと、その花弁の舞いの中に天蓬が立っていた。
いつも通り、綺麗な顔をして、形良く持ち上がった口角に微笑を浮かべてこちらを眺めていやがる。
「 天蓬 ・・・。 どうかしたのか?」

俺が尋ねてやると、天蓬はゆっくりと口を開いて告げた。
「 僕、もう行こうと思っているんです。」
「 行くって、食堂にか?」
俺が問い返すと、あいつは憐れむように首を横に振った。
「 いえ ・・・。 敖潤閣下がそろそろ御自身の領地に戻りたいと仰るものですから、僕もここを辞めて付いて行こうと思うんです。」

俺は一瞬言葉を失い、ぎゅっと目を瞑った。
決して予想外の言葉なんかではなかった。
何時かはそんな日が来るのではないかと、内心ひやひやしていた内容を、たった今告げられたということだ。
「 来るべき時が来たってか?」

天蓬は申し訳無さそうに頷いた。
分かっていた。
そうとも。 分かっていたさ。
こいつには敖潤と離れて生きることは出来ない。
それを覚悟の上で割り込んだのが、この俺なんだ。

黙って見送らなければいけないという理性と、行かせて堪るかという感情が交錯し、暫らく逡巡したのち、結局俺は感情に負けた。
「 行くな!」
そう叫ぶと俺は天蓬の華奢な腕を掴もうと手を伸ばした。

しかし、あいつはああ見えて、体術にも長けている。
簡単に躱されて、距離を取られてしまった。
「 捲簾 ・・・。 そういう真似はしないで下さい。」 表情を険しくした天蓬が俺を見据えて言った。
「 最初から分かっていた事です。 それに、男女の仲とは違って、お互いに束の間を楽しめばそれで良かった筈では ・・・?」

そりゃ奴の言う通りではある。
しかし ・・・ そう簡単に割り切れるものなのか?天蓬?
お前と俺は、幾夜も褥を共にして、身体を重ねて来たんだぞ?
その時感じた満足や温みを、そんなに簡単に忘れられるものなのか?

それに ・・・ お前とは身体の繋がりだけでは無かったと俺は思っていた。
俺はお前と煙草を吸いながら喋っているだけの時間だって、結構気に入って大切にしていたし、お前も同じように感じてくれていると思っていた。
敖潤ほどにはお前を庇ってやる力が無かったにせよ、横並びの立場と言うことで、安心して話してくれているのかとも自惚れてきた。

それなのに、お前はそんなに簡単に俺を置いて行けるというのか?
「 天蓬 ・・・ 俺はお前にとって、そんなに簡単に切り離せる存在だったのか?」
天蓬は哀しそうな表情になって、伏せ目にした眼差しでもう一度俺を見た。
そして、そのままくるりと向きを変えると、足早に俺から遠ざかってゆこうとする。

「 待て ・・・。」
俺は今や届かなくなった天蓬に、それでも手を差し伸ばし、制止しようとした。
その時、天蓬が去ろうとする向こうから聞き慣れた声が響いてきた。
「 何をしている。 早く来るんだ。 もう行くぞ。」
顔を上げ、視線を延ばせば、そこに敖潤が立っているのが見えた。

「 今参ります ・・・。」
天蓬はどんどんそちらに向かって進んでゆく。
風が強まって、桜からの花弁の落下が一挙に増え、天蓬が桜の花弁に霞んで消えてゆく感じだった。

「 行くな天蓬 ・・・。」
俺はなお未練に叫んだが、あいつは振り返ろうともしない。
とうとう敖潤の傍に辿り着き、その腕に抱かれた天蓬を見たとき、俺の中で何かが音を立てて切れた。

それまで、束の間で良い、あいつと居たいんだと納得していた気持ちが激情に変わり、何が何でも行かせて堪るかと、はっきり思った。
「 行くな、戻って来い! 天蓬 ・・・。」
俺は叫んでいた。
しかし振り返らない。

もう一度大声で叫んだ。
「 戻れと言っているだろう、この馬鹿っ! 戻って来い、馬鹿天っ!!」







バシャっ!!
冷たいものが派手に顔に掛かった。
気が付くと、天蓬がさっき俺が入れてやったジュースのコップを持って俺を見下ろしていた。
「 ひでえ ・・・。 何しやがるんだ、この馬鹿っ!」

思わず怒鳴り飛ばすと、天蓬は口元を歪めて笑った。
「 誰が馬鹿天なんですって ・・・?」
はてな、何か変だぞ?
だって、ここは ・・・。
俺は天蓬の部屋に居る ・・・?

「 ジュースを差し入れてくれたのは有り難かったですが、人の部屋で勝手に転寝をした挙句、大声で罵倒し、馬鹿天とは何事なんです。」
あ?! ・・・

そう言えば、今日の仕事は雑務のような後片付けだったのを案じた敖潤が、天蓬に好い加減な仕事を言い付けて、傍に残したのだった。
命に危険はないものの、力仕事でくたくたになった俺は、帰還後、飲み物を持って、同じように拘束時間を終えていた天蓬を訪ねた。

今日は一日、閣下と書類の整理でした ・・・ そんなことを言いながら、天蓬は自由になった時間に更に本を読み始めている。
それじゃ幾ら何でも目に悪いだろうと、俺は天蓬にコップを持たせると、ソファから追い立てた。

天蓬の居た場所にどっかりと腰を下ろし、
「 部屋の中でも良いから、少し歩け。」
そう命じると、あいつも疲れが出始めていた頃合いだったらしく、別段文句も言わずに歩いていって、よく凭れたり、外を眺めたりしている桜の見える窓辺りに立った。

何度片付けてやっても、虚しいくらい片付かず、直ぐにゴミ溜めのようにしてしまう天蓬の部屋で、窓の景色だけが唯一の装飾と言える。
ま、美しい風情を部屋の背景に繰り広げるとは言うものの、本体が自分の守備範囲の外側にあるのだから、駄目にしようがないんだろうがな。

天蓬は程良いそよ風にふわふわと花弁を散らせる桜を背景に、コップを持って立ち、相変わらずの遅いペースでジュースに口を付けていた。
舞い踊る花弁を背後に従え、多少は部屋にも入り込んでくる風に艶やかな黒髪をなびかせる天蓬を、この世のものとは思えないほど美しいと感じた。
―― 本当に綺麗だ。それに、こいつは何てえか、桜のイメージなんだよな。 ――。

これが、何時までだかは分からないが、取敢えず今、自分の愛人だと言えることが何となく誇らしく、嬉しかった。
と、同時に、俺はそれが何時までなのだろうという不安も募らせていた。
「 天蓬 ・・・ お前な ・・・ 」

思わず用も無いのに呼びかけてしまい、あいつが不思議そうにこちらを眺めるのを見ている内に、俺は急に任務中の疲れを噴出させ始めていたようだ。
敖潤がとっとと天蓬を人選から外しただけあって、全くの力仕事であったから、流石の俺も多少疲れ気味である。
「 お前な ・・・ 綺麗だ ・・・ 」

最期の方は寝言になっていたと思う。
俺はそのまま、あいつの部屋で居眠りをしてしまったようだった。



「 記憶は繋がりましたか?」
まだ、些かの怒気を含んだ声で、天蓬が詰問した。
俺が頷くと、あいつは続けて俺を詰った。
「 で? 僕が馬鹿天と呼ばれなければならないのは何故です。」

「 そりゃ ・・・ ちょっと夢を見てだな ・・・。」
俺はしどろもどろになって言い訳しようとしたが、途中で止めた。
「 おい! 前回、お前が寝惚けた時には、俺が大サービスで優しくしてやったじゃないか! こんなの不公平だろ?」
俺は、ポケットからハンカチを出して顔を拭いながら言った。
ジュースは襟元にも達しており、この軍服はもう、クリーニングに出すしかなさそうだ。

「 僕は夢を見て、貴方を求めて手を伸ばしただけです。 馬鹿捲簾と叫んだ訳ではありません。」
「 そりゃ、そうだけど ・・・。 俺の夢の中のお前には、迎えに来ている奴が居た。」
「 閣下ですか?」
俺は、ああ ・・・ と小さく呻いた。

天蓬の表情がちょっと曇るのが分かって、俺もしまったと思った。
「 僕が閣下と簡単に行ってしまうと考えているんですね。 貴方は。」
冷徹な美貌を真っ直ぐにこちらに向け、図星を言ってみせたあいつに、流石の俺も怯んだ。
「 そんなはずないと ・・・ そうは思われないように僕なりに気を遣ってもいたんですが ・・・。」

やばい!こいつ、本気で腹を立てそうになっている。
「 悪かった、天蓬。 俺の間違いだ。 夢の中とはいえ、確かに俺の了見が間違っていた。」
俺が侘びを入れると、天蓬は寄って来て俺の隣に腰を下ろし、体を凭せ掛けてきた。
「 本当に ・・・?」

「 ああ、俺の間違いだ。 謝る。 謝るから天蓬 ・・・ お前、夢の中みたいなこと、しないよな?」
未だ先程の夢の苦さが拭い切れて居なかった俺は思わず、そんなことを口走った。
「 信じてくれていないんですね。 僕にとって、捲簾は無くてはならない人なのに ・・・。」

何時にない甘ったれた言葉に、俄かに愛しさが募って俺は腕を回して天蓬を抱き締めた。
身体をぐっと引き寄せられた天蓬は、近くなった俺の耳元に囁き掛けてきた。
それはもう、蕩けちまうような甘い声だった。
「 貴方が居ないと僕はやってゆけません ・・・。」



冷静に考えれば陳腐な台詞なのだろうが、こいつに言われると何時だって俺にはぐっと来るものがあった。
「 それでですね ・・・ 捲簾。」
「 うん?」

「 今日は閣下に言われて、何通か出し忘れていた申請書を仕上げてしまったのですが、実は、その書類も何処かに押し込んでいて、行方不明にしていたんです。」
はぁ?何の話をしているんだ?
「 で、閣下がお待ちなので大慌てで部屋中探したら ・・・ 特に隣の寝室はもう、泥棒に入られたみたいになってしまいました。」

俺はぐっと腕を伸ばして天蓬を引き離し、立ち上がると隣へのドアを開けた。
いや、泥棒だって此処まではせんだろうと言うくらい、ヒッチャカメッチャカに取り散らかっている。
「 おま ・・・ 何でこんなことに ・・・!?」

「 閣下の手前、余り時間が掛けられなかった上、確か寝室に持ち込んだような記憶はあったものの、何処に仕舞ったかが思い出せなくて・・・。」
「 で、全部をひっくり返してみたのか?」
天蓬はコクリと頷いた。
「 また頼っちゃっていいでしょうか?」

いいでしょうかもクソも無かった。
これでは天蓬は何処にも眠る場所が無く、さりとて放っておいたら、自分では金輪際何とかしようとせず、精々が敖潤の所に泊まりに行こうとするような奴なんだ。
しかもだ。
言われている状況が、事故みたいなモンだとは言え、俺があいつを 『 馬鹿天!』 と呼ばわった直後でもある。

「 良いから、暫らく外へ出てろ。 埃を吸うし、邪魔にもなる。」
俺はそう言って、天蓬を部屋から叩き出した。
あいつは俺に全てを任せると、ほっとしたような表情をして、出掛けにひょいと、煙草と読み掛けの本を摘まみ上げてから外に出て行った。

暫らくして掃除を始める気になり、窓を大きく開け放とうと窓際に立つと、眼下の中庭で桜の傍に立つ天蓬に、通り掛った敖潤が声を掛けているのが見えた。
敖潤が立てた親指を振って、自室の方を指し示していたから、恐らく、そんな所に腰を下ろして読書を始めようとしている天蓬を部屋に誘っているのだろう。

俺は諦めを着けて窓際から離れ、独り黙々と奴の寝室を片付け始めた。
どうやら、天蓬の奴にちょっとした仕返しをされているんだろうと思っていた。
全く世の中不公平なものだ。
あいつが魘された時には、風呂に入れて、コーヒーを入れて、大サービスで精一杯慰めてやったというのに、その逆だったらどうよ?
いきなり、顔にジュースを引っ掛けられて叩き起こされ、謝って御機嫌が直ったと思ったら、大掃除だぜ?

ま、天蓬だって俺が泣きながら目でも覚まして、縋り付きでもすれば、ちょっとは優しい言葉でも掛けてくれるのかも知れないのだろうが、生憎、俺はそういうキャラじゃないし、やっても恐ろしく不似合いだろう。



掃除を済ませ、窓を少し閉めようと、もう一度窓際によって下をみたら、天蓬が未だそこにいた。
なんだ ・・・ と拍子抜けした。
敖潤の誘いを断って、自室の見える桜の下で本を読んでいてくれたのか。

そうか ・・・。
あいつはあいつなりに、本気で俺を大切に思ってくれているんだ ・・・ と、こんな些細なことで俺は得心した。

だって、そうだろう?
あんな所で、桜のねきに座って読書するよりは、敖潤が折角誘ってくれてるんだ、付いて行って茶でも入れてもらって、何時ものように世話されて過ごす方が、余程快適に違いないだろう?
それなのに、あいつ ・・・。

あんな奴でも、俺の不安を聞かされて、ちっとは気を遣ったんだな、とそれだけのことに、俺は感激しちまうんだ。
俺は窓から離れると、キチネットに入って行き、コーヒーを淹れ始めた。

コーヒーが入ると、窓に戻って大声で天蓬を呼んだ。
「 天蓬!! 掃除が済んだぞ! コーヒーも淹れてやったから戻って来いっ!」
天蓬は本を閉じて立ち上がると、こちらを見上げてにこっと好い顔をして笑った。

結局俺は、この顔が見たくて、サービスをし続け、天蓬の奴はその俺に時折こういう飛び切りの笑顔を見せる。
同じように魘された後ですら、俺たちは結局、こういう役回りに分かれちまうんだ。

全く以って、不公平極まりないのだが、そうは言っても、存外お互いに満足しているという点では、公平で対等かも知れないと俺は思った。






















〜 外伝2巻 口絵より 〜
   行くな! 君去りし後 裏返し編

   ショート・ショート 007
   2008/09/21
   written by Nacchan

   無断転載・引用は固くお断りします。

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   素材提供 : インヴィジブルグリーン
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NOTE :

本当は八戒のお誕生日企画のようなものをやりたかったのですが、
WARD最新刊の内容が頭にこびり付いていて、外伝から離れられ
ませんでした。

それと、個人的なことですが、体調が非常に悪く、こうして指だけは
動かせているものの、腎臓・肝臓を失い掛けているという状況です。
先天性の心臓疾患も抱え込んでおり、膵臓も駄目 ・・・ と、此処に
来て、どうやら寿命の限界も見え始めて来たようです。

だから、何をどうして欲しいとは言いませんが ( いや、キチガイ風の
意味の分からん文章書くな!!、というお手紙は、もうこれ以上、欲
しくないですが )、ただ、この先、波乱があったり、悲惨だったりする
話は、書かないと思います。

実は、何となくそうなる予想が付いていたので、悲惨な部分は先に
書いてしまっているんですけれどね!
だから、うちの天蓬と捲簾は、年中、頭の中がお花畑〜♪な状態で
書かれたお話になる予定です。

ま、ナチスの人体実験とセックスの区別が付かない文章だけが大人
の 『 作家様 』 の文章って訳でも無いでしょう。
わたしはそちらを読むと、彼女たち言う所の、「 頭が頭痛で痛くなる
」 状況に陥ってしまいます!! ヾ(゚、゚*)ネェネェ