ショート・ショート 004

君去りし後











          ( * 珍しくも、天蓬元帥の一人称です。)


常々から精悍と評されるその面立ちに、一層険しい表情と幾許かの失望を浮かべて、捲簾がベットに横たわる僕を見下ろしていました。
眼光鋭い黒の瞳が、真っ直ぐにこちらに向けられ、僕を糾弾しています。
やがて発された言葉には、何時ものような容赦が一切無く、只管厳しいものでした。

「 もう良い、天蓬。 お前はどうあっても自分のしたいようにしかしない。 ならば、この先ずっと好きに暮らすがいい。」

その語気の強さにたじろぎました。
流石に手を伸ばして捲簾を引き止め、自分と居てくれるように懇願すべき時だと、本気で思いました。
だのに、何故か僕の身体は硬直し、指一本動かせもせず、言葉を発することも出来ないんです。

何故 ・・・ ? 焦り狂いながら自問します。
何故こんな時に、僕は手を差し伸ばして、捲簾を引き止めない?
何故、そうは言わないでくれと、縋り付かない?
あれだけ気の合った男が深刻に去ろうとしている時に、何故 ・・・?

見下ろす男の顔が、呆れ果てたというように、ゆっくりと左右に振られました。
「 これまでだな、天蓬。 俺はもう、二度とこの部屋には来ない。」
― 待って下さい! 行かないで! ―
心の中で悲鳴に近い叫び声を上げましたが、やはり声も出ず、手も伸ばせぬままです。

捲簾はそのまま、バタンと戸を閉めて部屋から立ち去ってしまい、そうして僕は、独り寝室に残されました。
― 失ってしまった。 捲簾を ・・・。 ―

次の瞬間にどっと襲い掛かって来た後悔と喪失感に、どんなにか酷く苛まれたことでしょう。
それでも、僕は全く動けず硬直したまま、ベットに横たわっていました。
涙が溢れ出して、次々と枕に落ちていったのですが、ただ泣き続けることしか出来ませんでした。

恐らく僕の身体は、持ち主の僕よりはうんと賢いのでしょう。
今、起き上がって捲簾の後を追い、縋り付いて引き止めたところで、生来の性格はそのままなんですから、破局は遅かれ早かれやって来るのが必定です。

不器用で、妙なところで冷めてしまい、ちっとも可愛気のある台詞も吐けない僕など、今一時(いっとき)引き止めようと、追い縋ろうと、何時か振られるに決まっているのです。

こんな応え方しか出来なかった僕に、あの捲簾だからこそ、大した恨み言もぶつけずに、ただ、好きにしろとだけ告げて去って行ってくれたのだと、思いました。
僕は、随分と容赦された方なのでしょう。



だから受け容れるしかないんですよね。
差し当たり出来ることも思い付かず、ショックを受け、力抜けしてしまっているままに、ただ先程の体勢でベットに横たわっていました。

『 もう、二度とこの部屋には来ない。』
捲簾はそう言って出て行きました。
でも、此処は捲簾の部屋で、昨夜から僕の方が転がり込んでいたんです。

という事は、捲簾はよくよく僕に愛想を尽かして、西方軍からも離れようとしているのでしょうか?
僕も西方軍も捲簾という男を失ってしまうのでしょうか?

いや、西方軍も捲簾も、そして自分自身の行く末も、その時にはどうでも良いことのように思えました。
本当はそちらの方が大事(おおごと)なのかも知れませんが、取り残されてしまった ・・・ と感じた直後に、そんなに冷静にその後のことを考えられる筈がありません。

僕は ・・・ 何も考えられず、この先どうなるかに思いも及ばず、ただ、今が寂しいと感じました。
まるで、心を半分持って行かれてしまったようだ、と。

たった今、捲簾が去ったばかりだと言うのに、僕の心は激しく疼き、悲鳴を上げていました。
それなのに、何も出来ないで呆然と横たわっているんです ・・・。

涙は既に恐ろしい程流れ出ていますが、溢れるままにさせておきましょう。
幾らでも泣けばいい、と自分で思いました。
いや、そうすることに、救いを求め始めていたのかも知れません。
流す涙だけが、今の僕には慰めだったのでしょうから。

止め処無く流れ落ちる涙に感情を預け、僕はじっと時間の過ぎるのを待っていました。
動揺し、荒れ狂う感情は、そこにしか預けようが無いではないですか。



しかし、待ってみても感情の昂ぶりは少しも治まってはくれません。
それどころか時間が経つに連れて、むざむざあの男を失ってしまったという後悔の念が強くなってゆきました。

あの男だから堪(こら)えてくれたこと。
あの男だから付き合ってくれたこと。
あの男だから無視してくれたこと。
そして、あの男だから与えてくれたもの ・・・。

僕にとって、捲簾がどれほど大きな存在であったかということだけが、未練たらしく次々に浮かんで来ます。
やっぱり駄目だ ・・・。 駄目なんです。
あの男無しでは、到底生きてなんか行けはしません。

何をどうしようと、どう考えようと、どれほど泣こうと、この僕の中から、あの男無しで生きてゆく強さなんて、引き出せる訳が無い。
最初から持ち合わせてはいなかったのでしょう、多分。
だから、諦めは着かない。
この先も決着は付けられない。

だのに、見送ってしまったんです。
何ということをしたんでしょう。
どうして一瞬にしろ、そう出来るなどと思ったのでしょうね、僕は?

僕は ・・・。

改めて自分が取り返しの付かないことをしたと思い知りました。
もう駄目です ・・・。
更に大量の涙が込み上げてきて、僕は身体を震わせながら泣き続けました。







「 天蓬 ・・・。」
どれくらいそうしていたことでしょう?
哀しみと流れ出る涙に逆らわず、ただ押し寄せる大きな感情の起伏に身を任せていると、遠くから名前を呼ばれたような気がしました。

遠く ・・・?
違う。 距離があるのではなく、あの声は ・・・。
「 天蓬、おい!」
もう一度声が掛かりました。

そうか、遠いというより、今いる世界と違う所から聞こえて来る声なんですね、これ。
それまで何処と無くぼんやりとした霞の掛かった世界に居たのですが、今や、はっきりした声で呼び戻されていました。

「 天蓬 ・・・。」
もう一度呼ばれて、僕は恐る恐る手を差し出しました。
苦しくて、寂しくて、手を伸ばさずにはいられなかった ・・・。
そしたら、さっきあれほど頑なに動くことを拒否した手が、今度はちゃんと動くではありませんか。
それは前に突き出されて、声の主を求めて暫らく彷徨い、直ぐに力強く捉えられ、掴まれました。

「 ・・・ ったく、手なんか差し出して助けまで求めて。 ほら、しっかりしろ!」
相手が発した思わぬ大声にぎょっとしたら、目が覚めました。
はてな? 目が覚めた ・・・ って?
ということは、今までのあれは ・・・?

「 しょうがない奴。 こんなに泣いて ・・・。 だからああいう形の二度寝はするなと言ったんだ。」
目を開けてみると、捲簾が僕を覗き込んでいました。
節くれ立った厳つい指が、僕の顔に掛かった髪の毛を丁寧に目の前から除けてくれています。



僕はやっと思い出すことが出来ました。
朝起こされた時に、非番だからもう少しそのままにしておいてくれと頼み、捲簾に小言を言われてしまったんです。

小言の最中にも、しつこくうとうとしだす僕に、呆れた捲簾が、
「 お前は自分のしたいようにしかしない!」
などと怒っているのを聞きながら、結局そのまま寝入ってしまったのでした。
そして、その続きを夢に見ていたのです。

時間を気にしていながら起き損なった人が、起きて着替えたり、食事したり、出勤する夢を見るように、朝の浅い眠りの中で、僕はその先に起こり得そうな夢を妙にリアルに見てしまったのでした。

「 人の言うことを聞かないから、そんな目に遭うんだ。」
捲簾はそう言いながらも、何時の間にかタオルを出して来て、濡れてしまった顔や、髪の毛を拭いてくれていました。
「 で、どんな怖い夢を見てたって?」

「 捲簾が ・・・。」
ぼんやりした頭で、ただ反射的に、相手の質問に正直な答えを告げかけて、途中ではっと言葉を飲み込みました。
幾ら何でも、さっきのあれは、教えられるものではありませんよね?
「 俺が何だって?」

促す捲簾に、僕はつい、口から出任せを教えてしまいました。
「 捲簾が、僕に、もうコーヒーを淹れてやらないって ・・・ 言って ・・・。」
「 はぁっ~~?!」
捲簾は呆れて大声を出しました。
「 信じられねえ ・・・ お前のその性格っ!」
そりゃまぁ、そうですよねえ。 でも、咄嗟にそれしか思い付かなかったんです。

タオルで拭いはしたものの、僕が見られたものじゃない顔をしていると言って、捲簾が僕の手を無理矢理引っ張って、風呂場に押し込みました。
風呂場では周囲が大して見えていない僕のために、シャワーの温度調節をすると、僕を立たせて、レバーを回しながら器用に身を引くと、湯が降り注ぐ前にその場を離れてゆきます。

手馴れたものですよね。
僕が毎日こんな調子なので、知らず知らず習得してしまった技なのでしょう。
溜息を吐きながら、シャワーを浴び、暫らくして外に出てみると、良い香りが部屋に充満していました。

僕が出たのに気付いた捲簾が、バスローブだけを乱暴に引っ掛けて出て来た僕の頭から、バスタオルを被せてごしごし擦ってきます。
「 ったく! 水を滴らせながら、風呂場から出て来るなんざ、五歳までにしてくれ。」
それでも、僕が 「 捲簾 ・・・ 香りが ・・・。」
そう言うと、急に相好を崩しました。

「 いいだろ? ハワイ・コナ。 ちょっと高かったけど買っておいたんだ。 お前が怖い夢をみたっていうから、丁度良いと思って、封を切った。」
「 あれ、大好きなんです。」
「 だろうな。」

捲簾が僕を引っ張って、テーブルに着け、クリーニングの済んだ眼鏡を渡してくれました。
綺麗になった眼鏡を掛けていると、目の前にコーヒーカップが置かれます。
香りが一段と強く鼻腔を擽って、何とも言えぬ好い心地がします。

「 あ~幸せ~~って香りですね。」
カップを持ち上げながらそう言うと、前に座った捲簾も、自分のカップに口を付けていました。
「 心配するなって。 一生こういうのを作ってやるから。」

それから、改めて僕を見詰め、二・三秒そうしていたかと思うと、急に口尻を大きく上げて、にやっと笑って見せました。
「 俺はお前を置いては何処にも行かない。 ずうっとだ。」

見透かされていましたか。
そりゃ、あれだけ泣いている姿を見られたんですから、無理もありませんよね。
幾ら僕が変人だって、コーヒー一つで大泣きしたりはしないでしょうし。

それ以上に嫌味を言ったりはしないで、ただ微笑んでいる捲簾を前にして、コーヒーを楽しみました。
何時もより、ちょっぴり複雑な味がしたような気がしたのは、僕の錯覚でしょうか ・・・?






















~ 外伝2巻 口絵より ~
   君去りし後

   ショート・ショート 004
   2008/07/19
   written by Nacchan

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NOTE :

『 君去りし後 』 は、TVアニメ 『 うる星やつら 』 第44回放送 ( 67話 )
のタイトルです。
主人公、諸星あたるが、パートナーのラムちゃんに振られたと思い込み、
大泣きするお話でした。
因みに、このシリーズの 『 てんちゃん 』 は火を吹く危ない幼児です。
川*'-'*川