ショート・ショート 001
見えませんっ!
朝、目が覚めて最初に思った。
今朝は天蓬を起こしに行かなくていいんだなあ ・・・ なんて。
だって、天蓬なら今、俺の横に居る。
横というか、俺の腕と身体の間に挟まって、居心地良さそうに眠っていた。
起きてりゃ何かと意地っ張りで、可愛気の無い台詞ばかりを繰り出す、その口が、無防備に半開きになって、呼吸の度に僅かに震える。
寝ている時のこいつは、そりゃもう本当に可愛らしいんだ。
憎まれ口を利かないというだけじゃなく、表情全体が安らかで、まるで天使だった。
ま、尤も ・・・。
起きている時の天蓬が俺に対して全く信頼を寄せず、頭に来る事ばかりをするって訳でもない。
特に最近はな。
そりゃそうだろ?
他所で寝れば、誰でも自身の無防備を人前に晒さざるを得ない、と分かっていながら、こうして俺の隣で寝てゆくようになったんだぜ?
つまりは、俺になら警戒を解いた姿を見せても構わない、と意識のある時にも思ってくれる程度には、警戒を解いてくれてるって訳だよ。
・・・ って、何だかややこしいか。
それにまあ、天蓬が素直に俺のところに泊まってゆくようになったのには、多分に別の理由も手伝ってはいたようだ。
俺のところで寝れば、翌朝、とびっきり美味いコーヒーを持った俺に起こされ、それをゆっくりとベットで楽しむことが出来る。
天蓬はそれを、えらく気に入っているみたいに見えた。
結局、何時まで経っても、イマイチ分からん男だった。
しかし、斯く言う俺も、もっと素直に俺に掻き付いてくる天蓬が見たいと思う自分と、その意地っ張りでつれない態度が際立たせる、冴えて硬質な美質に魅せられ切っている自分の両方を感じているのだから、人のことばかりは言えないだろう。
とは言え、願わくば、もう少し優しげな言葉を掛けられてみたい、とは常々痛切に感じていた。
まあ、いいか。
そろそろ起きて、こいつの大好きな、香りの良いコーヒーを淹れておいてやらんとな。
そう考えた俺は、天蓬からそっと腕を抜いて、起き上がった。
身体を離してから、ベット脇に立って改めて見下ろせば、やっぱり本当に綺麗な顔をして眠っている。
俺が立ち上がったのを、無意識の中にも感じたものか、目を開けないまま、うーん、とか呻いていたが、ちょっと不満そうなそんな表情さえもが却って、どんなにしていても整い続けている容貌を俺に意識させた。
そんな風に暫し寝顔を楽しんだ後で、何気無しにサイドテーブルに視線を遣ると、天蓬が泊まった時にそこに置く眼鏡が目に入った。
何時も当たり前のようにそこにあるので、好い加減見慣れている筈なのだが、その朝俺は、何とは無しにそれに手を延ばした。
気紛れに掛けてみる。
思った以上に度が強く、頭がくらくらしそうだったので、少しずらして鼻眼鏡にしてみた。
ベットの反対側の壁に仕込まれた鏡にその姿を映して、やっぱり、この掛け方じゃあな!なぁんて思っていると、後ろで、ガサゴソと音がした。
振り向いてみると、天蓬が起きて身体をずらし、ベットヘッドに凭れ、手を延ばしてサイドテーブルをまさぐっていた。
「 よう、起きたのか? 直ぐにコーヒー淹れて来てやるけど、その前に感想を聞かせてくれる?」
天蓬はぼんやりした表情で、ただ俺を見上げた。
眼鏡無しの翡翠の瞳は、何度見ても見飽きぬ絶品だが、天蓬本人はというと、寝起きではっきりしない面持ちであり、何だか機嫌も悪そうだ。
「 感想って ・・・ 何のです?」
・・・ ったく!
こいつは全く呆れるほど、見た目とか、そういうことに興味の無い奴なんだ。
それにしたって、態々こちらから訊いている時くらい、お世辞でも褒めろ、馬鹿野郎。
それでも、俺はなるべく普通の声で質問をし直した。
「 眼鏡の俺ってどうよ? ほら、世間で言うところの 『 眼鏡萌え 』 とか、しねえ?」
しかし、天蓬の返事は素っ気無かった。
「 無理言わないで下さい、捲簾。そんな訳ないでしょう?」
へえ?
やっぱ、自分が眼鏡を掛けていると、眼鏡萌えはしないモンなのか ・・・ ?
「 じゃあさ、萌えまでいかなくても、普通にでいいから、知的に見えたりしないか?」
俺は、鼻眼鏡を目の高さに戻して、こめかみに人差し指を宛がう仕草をし、ポーズをとって見せた。
「 とてもじゃない、無理です。見えません。」
即答しやがった、こいつ!
むか〜〜っ!
何だよ。何なんだ、こいつは?
朝っぱらから、無愛想全開か?
そりゃ、自分は秀麗と呼べる顔立ちに生まれ付いて、何時も何時も人様から絶賛されて来たんだろうよ。
だから、褒められ慣れてはいるが、褒めるっていう習慣が無いのかも知れない。
それにしたって、ごくごく常識的に考えて、もうちょっと物の言い様とかいうものもあるだろうに!
「 そりゃあ、お前の美しさってのは、俺とは掻き離れているのかも知れねえさ。
でもだな、天蓬。仮にも昨夜こうして一緒に寝た男が、どうだって訊いてるんだぞ?
もうちょっと違う返事の仕方もあるだろうに!」
俺が憤然としてそう言ってやると、天蓬は頭痛がするとでもいうように、額に手を当てて溜息を吐いた。
再びむかっ!
態度悪い。悪る過ぎるだろ、絶対!
こいつ、もう許さん!と思った時、天蓬は不意に、意外と優しげな声を出しやがった。
「 何か大事なことを忘れていませんか、捲簾?」
はい ・・・? 何だって?
「 僕に眼鏡が似合うかどうか訊きたいのなら、自分で用意した眼鏡を掛けて訊いて下さい。」
「 何を細かいこと言ってんだ、お前?」
俺は目を瞬いた。
自分の持ち物を勝手に使われて、怒っているんだろうか?
未だに俺との間接的な接触が苦になるほど、俺に慣れていなかったのか、お前 ・・・ ?
天蓬はもう一度溜息を吐くと、今度は小さな子供にでも言って聞かせるように、ゆっくりと諭すように言葉を紡いだ。
「 いいですか?
僕は貴方の声で、話し掛けているのが貴方だと分かり、貴方の言葉の内容で、貴方が今僕の眼鏡を掛けていて、僕に感想を求めていると知っている、というだけなんです。」
「 はあ?」
「 眼鏡萌えもしないし、知的にも見えません。
さっきから、言っているでしょう? 見・え・な・い ・・・ と。
今、貴方が女性に変身していたって、僕には見えません。」
『 見えない 』 を強調されて、やっと意味が通じた。
生れ付き視力が良くて、本なんか碌すっぽ読みもせずに来た俺には、天蓬には同じ小さな部屋に居る人間すら、はっきり見えていないなどとは及びも付かなかったんだ。
「 あ ・・・ す、すまない、天蓬。」
俺は一気にカッと逆上せ、焦りながら、不機嫌になっていた時に自分が、天蓬にどんな言葉をぶつけてしまったかを、必死に思い出そうとしていた。
「 その ・・・ 何だか色々悪いことを言っちまったみたいだ。」
眼鏡を外して、天蓬に返しながら、俺はしどろもどろだった。
「 あ、あのな、コーヒー、今すぐ淹れてやるから。
お前の好きな深炒りの良い豆、買ってあるし。」
言いながら、こそこそと出て行こうとすると、後ろから声が掛かった。
「 知的だったと思いますよ? 眼鏡を掛けていない時にも、僕は貴方をそう思っていましたから。
それに、見えてさえいれば、萌えていたかも知れません ・・・ 多分。」
振り返らずに聞いていた俺には、天蓬の表情は分からなかったが、声は落ち着いていて柔らかかった。
ちょっと笑いを抑えたような雰囲気も混じっていたろうか。
やっぱり馬鹿野郎だ。お前は。
そんな所に 『 多分 』 なんか使うな。
でもまあ。
こういうフォローをするところが、こいつもそうそう可愛気が無いばかりの奴でもない、ということなんだろう。
多分!