―― 憐 情 ――









「 天蓬 ・・・。」
部屋の前に立ち止まった金蝉が新しく出来た朋輩の名を低く呼んだ。
答えは無かったが、中で人が動く気配がして、中の人物が近付いて来る ――。

此処も観音の屋敷の一角には違いなかったが、中庭を挟んで母屋とは離れた数室を抱える別棟であり、渡り廊下で主たる構築物と繋がっている場所だ。
来客の際、母屋で持て成す特に重要な人物以外には、通常こちらの棟を宛がう慣わしである。
仮にも客間であるので、そこそこ立派に設えられていたが、一度母屋を知った客人であるなら、通されれば些か落胆するような水準の部屋たちであった。

ただし ・・・ その一つをやるから自室にしろと与えられたのが、これまでの自身の立場を整理して、働いて得た分だけで生きると決心してやって来た下男志願であれば、その部屋には逆の意味で不満が募ったことだろう。
こんな場所を与えられる者は下働きどころか、奥仕えの中にも皆無だったからである。

その元客間の扉が開き、部屋の住人が姿を現した。
半年ほど前、無理矢理この部屋を与えられ、足に拘束具を付けられて囚人同様の扱いを受けながら、観音によって、周囲には遠縁の子供を引き取ったと説明されて暮らしている、整った美貌を持つ少年である。

少年 ―― 天蓬 ―― は現在、年下ながら金蝉の学問指南と書庫の管理を任されていたが、何と言っても歳が歳なので、金蝉は学問以外のことでは、天蓬に色々な意味で気遣いを見せることが多かった。
正直、その容姿に、多分に惹き付けられてもいる。



「 何でしょう、金 ・・・ ぜ ・・・ ん。」
声に高さが定まらず、不安定な喋り方であった。
『 金蝉様 』 と呼び掛けて、落ち着ける身分関係を作りたくて仕方が無いのだが、以前に観音に半殺しの目に遭わされてからは意識して抑えているのが、声に現れている。

その様子に、自身もそれなりに整ったものを持つ金蝉も、思わず眉根を寄せて睨み付け掛けたが、堪(こら)えて当初の訪問の目的を果たすことにした。
「 また何処ぞから着物を送り付けられた。 今度こそ、お前が着るといい。」
ぐっと腕を突き出して、携えて来た着物を押し付けようとする。

「 貴方に贈られたものでしょうに。」
思わず後退りしながら天蓬が抗議の声を上げる。
「 お前の方が似合う。」 金蝉が仏頂面のまま朴訥にそれに答えた。
「 俺も、一度お前がそういうのを着る所を見てみたい。」

「 今のこれが御不満でしょうか?」
「 そうじゃない ・・・ 似合っている。」
相応しくないのは、同じ二枚だけを半年も着続けている、という事の方に決まっているだろうに!
そう言ってやりたいのだが、元々口下手である上に、目の前にいる天蓬の整い過ぎた容貌についつい気後れしてもいた。
梃子摺っている間に天蓬の方からはっきり断って来る ・・・ 最近何度か同じ遣り方で撃退されている金蝉であったが、この育ちの良いばかりの青年は学ぶということをしないのである。

「 そう言って貰えて良かった。 では金蝉、お休みなさい。」
鼻先でバタンと扉が閉められた。
未だ宵の口と呼べる時間帯である。
お休みなさいも無いものなのだが、確かに夕食への列席だけは果たしており、天蓬の義務はそこまでで、その先が彼の自由時間である以上、雇い主本人ですらない金蝉には文句の言いようが無かった。



傍目にも判るほどに肩を落として、とぼとぼと引き上げてゆく金蝉を、渡り廊下の向こうから眺めている目があった。
雇い主というよりは、すっかり天蓬の保護者を決め込んでしまい、悪く言うなら誘拐者とも言える観音その人である。

「 馬鹿か? 懲りねえ奴だ!」
そう呟きはしたものの、金蝉に贈られるような豪奢な着物を一度は着せてみたいと思う気持ちは観音も同じである。
立場上、そこまですれば天蓬が益々脅えて、自分との今の関係すら保てなくなりそうだと踏んで、仕方無く黙って見守り続けてはいるのだが、その代弁をあの世間知らずの堅物の甥っ子がやっているのだから甚だ分(ぶ)が悪い。

「 金蝉 ・・・。」
自分の部屋に向かって引き上げてゆく金蝉の後姿に、低く呟きを投げ掛けた。
「 お前じゃ、どうにもならんのかも知れねえな。」





翌日のことである。
ドサリ!!という重い落下音を聞いた金蝉は、顔色を変えた。
音は書物庫からであり、今朝方、梯子を担いでそこに入ろうとする天蓬を見掛けたばかりである。
本来、天蓬が任されているのは書物の管理であって、実際の整理は他の使用人にさせ、自身は梯子の横に立って指図をすれば良いだけの話なのだが、あの頑固者はそれをしようとしなかった。

屋敷の誰からもそう見做されていないにも関わらず、天蓬は頑なに屋敷の使用人に留まろうとして四苦八苦を続けている。
他の使用人に至っては、天蓬を観音の縁者だと聞かされているのだから、絶望的に無理のある話で、その点では屋敷の誰からも疎まれているというのに、態度を変えようとはしない。

下働きでなく奥仕えになっただけでも不愉快だと言わんばかりの天蓬は、屋敷の誰に依頼することも、下男を引き連れることもせずに、とっとと梯子を担いで自分で仕事を片付けようとしていた。
そのくらいのことは見逃してやらなければ、あいつだって辛かろうと、金蝉もそれを黙って見送ったのであった。

しかし音を聞いた途端に、天蓬が懲罰として嵌められていた枷こそ解かれていたものの、足に重りを付けられている事を思い出し、大慌てで書庫に向かって駆け出した。



金蝉が目にしたものは異様な光景だった。
脚立を倒し、自らも転落したらしい天蓬が、腰の辺りに血を滲ませたまま、片付けをしているところだった。
棚を一つ傾けてしまったようで、辺りには書物が飛散し、何冊かが破けている。
「 お前は ・・・。」 腰を庇うどころか傷には見向きもせずに散乱した書物を拾い集めている天蓬の姿に、普段大人しい金蝉が思わず声を荒げた。
「 何ということをしてやがる!」

「 申し訳もございません、金ぜ ・・・ ん。 今から貴方の所に参りますが、午後には続飯 ( そくい・そくいい = 糊のこと ) を借りてきて、必ず修復を ・・・。」
その返答にコメカミを引き攣らせた金蝉は、手を振り上げ相手を殴り付けようとした。
しかし、避けようともせず、じっとその手を見守っている天蓬に呆れる形で、拳を収めてしまった。

「 何で避けようとしない。」 詰(なじ)るような声だった。
「 あくまでお前は使用人だから ・・・ か?」
天蓬は困ったという顔をしたが、それでもゆっくりと言い返す。
「 いえ。 僕がしくじりをし、貴方がこの書物の持ち主の身内だからです。」
「 では、俺が怒ったのは書物が破けた所為か?」

「 違うのですか ・・・?」
心から驚き、ぽかんとした表情で見詰め返してくるその態度への歯痒さに、今度こそ金蝉はぶち切れた。
一旦は反射的にもう一度拳を振り上げたものの、結局手を掛け切れず、代わりに両の手で天蓬の胸倉を掴み締め上げた。

まだ、二人の年齢に開きがあった頃の話である。
天蓬も子供時代の栄養失調をやっと脱した程度で、取り戻したと言える所まで辿り着いては居なかった。
貧血も完全に克服出来ては居らず、先程の怪我に拠る失血で弱ってもいたのだろう。 呆気なく息を詰まらせ、意識を霞ませている。

本来が機敏で、しょっちゅう戸外の東屋で過ごし、大半本を読んで過ごしてはいたものの、周囲が驚くほどに体操には熱心で、それならというので観音に武術まで仕込まれていた筈の天蓬が、何もして来なかった金蝉にこうまで易々としてやられる道理がない。
それくらいのことは、金蝉にも流石に見当が着いた。
「 御主人一家に遠慮しているのか?」
低い声で唸るように詰ると、掴んでいた襟首を一層締め上げる。

「 大体がお前、何を咎められていると思っているんだ?」
「 何をって ・・・ それは ・・・ 」
天蓬は当惑しながら切れ切れに答えた。
「 見ての ・・・ 通りです。 屋敷の所有物を ・・・ 破損し、貴方への講義にも ・・・ 遅れ掛けています。」

「 信じられねえ考え方をする!」 金蝉の語気が益々強まった。
普段ぼんやりしており、大人しいのが取り柄のお坊ちゃまが、今や火を噴きそうになっている。
胸元をかなりの力で締め上げられていた天蓬は空気を求めて喘いだが、それでも振り払おうとはしなかった。

「 天蓬 ・・・ このまま俺に殺される気か? 婆あに武道を仕込まれていたんじゃなかったのか?」
「 貴方に ・・・ 遣う気など ・・・ ありません。」
「 ほほう ・・・。」 金蝉が不気味に笑い、締め上げていた手を揺す振った。
締め上げられた状態でその部分を揺す振られた天蓬は、酷く咽ている。
「 俺様は怪我しちゃいかんのか? え?」
「 無理を仰らないで ・・・ 下さい。 命じられて ・・・ 呼び捨ててはいますが ・・・ 貴方は ・・・。」

「 御主人様か?」
最早、金蝉の笑い声は引き攣っていた。
しかし、それに対する天蓬の答えは、それ以上金蝉を激昂させるものでは無かった。
「 そう ・・・ です。 それに ・・・ 僕の ・・・ 恩人でもある ・・・。」
この言葉が金蝉を我に返らせた。

何時もいつも卑屈になりやがって!
そればかりを想像して腹を立てて来たが、そうか、恩を感じて余計にそう振舞ってもいるという訳か。
それが根が優しいこの青年の気持ちの琴線に触れたものだろうか、金蝉はやっとその手を緩めた。
途端に天蓬がガクリとその場に崩れ落ちてしまった。

「 天蓬 ・・・?」
慌てて崩れ落ちる身体を支え、今度は胸倉を掴むのは無しで軽く揺すってみたが意識は既に失われていた。
しまった!と思ったがもう遅い。
怪我をしても少しも自分を構い付けようとしない天蓬に腹を立てたつもりが、その怪我を大きくしたのでは本末転倒も甚だしい。
金蝉は自分の上着を脱いで丸めると、横にした天蓬の頭の下に差し込み、水を取りに書庫を離れて行った。



金蝉と入れ違いに、同じ物音で書庫にやって来はしたものの、一足先に書庫に辿り着いた金蝉のすることを、戸口の影から見守っていた観音が入って来た。
観音は意識を失っている天蓬の額に手を置いたが、治療はせずに様子だけを窺い、命に別状の無いことを知ると、そのまま黙って書庫を離れて行ってしまった。





「 婆あ、開けてくれないか!」
とんでもない呼び声と共にドアがノックされたのは、ややあってからだった。
自室に戻っていた観音が扉を開けてやると、金蝉が天蓬を抱えてそこに立っている。
「 喧嘩か? 珍しいな。」
ドアを押し開けてやりながら観音が態とに見当違いを言った。
金蝉は天蓬を床に下ろしながら、憮然として答える。
「 俺は兎も角、こいつが喧嘩を売りも買いもしねえのは知ってるだろうに。」

「 では、何で気絶している?」
「 俺が一方的に締め上げたからだ。 いいから助けてくれ。」
大した口の利きように思わず顔を顰めた観音だったが、どう考えてもこの口調は自分似である。
「 天蓬が何か仕出かしたのか?」
「 脚立を倒して、本を何冊か破きやがった。」

「 ほほう ・・・? で、お前のお気に入りの本だったとか?」
もっと見当違いな方に態とに水を向けてやると、意外なことにこの純朴な甥っ子は、それを認めてしまうではないか。
「 ああ ・・・ まぁそうだ。」
「 それだけ?」 面白がった観音がニヤニヤ笑いながら先を促すと ・・・。
「 悪かったさ。 朝っからちょっと苛付いていたもんで、ついな。」 という、見え見えの嘘まで吐く。
「 天蓬が何か悪いことを言ったのじゃねえのか?」

「 こんな大人しい奴が何を言うってんだ? 謝ってたさ。 悪かったと。」
「 本のことを?」
「 ああ、後で続飯で直すと言っていた。 それに、倒れた時に脚立に当たって腰を少し裂かれている。 申し訳ないことをしたと恐縮していた。」
「 天蓬が?」
「 うん。 あんたに大事にして貰っているのに済まなかったと。 ・・・ で、治療して欲しいと言っていて、俺に取り成しを頼んで来た。」

観音が心の中で吹き出している中、実は天蓬も意識を取り戻し始めていた。
混乱の治まりきらぬ意識の下で、それでも自分の台詞として伝えられた金蝉の厚かましい言葉に蒼くなって、でない声を出そうと必死になっているのが分かる。
見れば、気付いた金蝉が力一杯天蓬の顔を自分に押し付けて喋らせまいとしている。
しかし、押さえ付けられている天蓬は否定したくてしょうがないという表情で、必死に声を上げようとしていた。

観音は慌て気味に金蝉に告げた。
「 そうか、いいとも。 直ぐに直してやるさ。 頼られるってのは嬉しいもんだな!」
これ以上天蓬に失敗体験を重ねさせる気は無かった。
多分、今天蓬に必要なのは成功体験であり、成功して褒められる経験だと考えている。
「 毎回、もっと素直に頼ってくれたら良いのに。 なぁ、金蝉?」

「 ああ ・・・。」
手の中の天蓬がもがくのを辞めたのに、ほっとしながら金蝉も同意した。
「 俺の寝台を使うか。」
金蝉は少し大人しくなった天蓬をもう一度抱き上げると、観音の寝台まで運んだ。
天蓋の付いた立派な寝台である。
天蓬はそこにゆっくりと降ろされた。



腰に手が当たり、暖かい力が入ってくるのが判る。
ぎゅっと目を瞑り、押し入ってくる力に耐えていた。
「 天蓬 ・・・。」
観音の声がした。
「 物って奴はな、壊れるためにあんのさ。 どいつもこいつもな。」

既に目覚めているのはバレているらしい。
天蓬が思い切って目を開き、ついでに口を動かして問い掛けた。
「 何故でしょう?」
「 そりゃお前、適当に壊れねえと次が売れねえだろうがよ? だがお前は違う。 次を売りたがっている奴もいねえし、壊れて良いモンでもねえ。 分かるか?」

天蓬には聞かされた事もない優しい言葉なのだが、優し過ぎて今一つ馴染めない。
それでも、ここで否定的な言葉を返しては、金蝉の庇い立てを裏切ることになるだろう。
怯む気持ちを必死に抑えながら、天蓬は返した。
「 有り難うございました、楽になれました。 ただ ・・・。」
「 ただ、お前が楽になった方が良いかどうかって話なら、訊かない方がいいぞ? 俺はこのまま今日一日気分良く居たいんだ。 天蓬が初めて俺を頼ってくれたらしい ・・・ とか思ってな。」

最早何も言えなかった。
全てが幼い頃から言い聞かされて来た事と逆であった。
『 物は壊すと元に戻らないが、お前は怪我をしようが、ほっとけば忌々しいくらい元に戻る!』
それが養父母に叩き込まれた考え方だったのである。
「 申し訳ございませんでした ・・・。」
何に、と言えずに、単純にそう言って詫びるしか無かった。

「 そう言えば、周囲に身内と告げた手前、お前には休みを取らせたことがなかったな。 お前、今日一日そこでそうして休んでおれ。」
昼間を寝て過ごす? 傷が癒されたのに?
天蓬は益々恐縮して、今度こそ断ろうとしたが、見越した観音に耳元で囁かれてしまった。
「 養生って奴だよ。 庇ってくれている金蝉にバツの悪い思いをさせたくないなら俺様に従え。」

ぞっとする言葉ではあったが、逆らうことも出来なかった。
金蝉もまた、観音に縁者として引き取られている身である。
天蓬は仕方なく頷いた。
「 申し訳有りません、そうさせて頂きます ・・・。」
「 好い子だ、天蓬。 後で甘いものを差し入れてやろうな。」



休んでいるのに、必要でもない余分な食べ物まで支給される ・・・ 更にぞっとし、半ば凍り付いている天蓬を残して、観音は金蝉を促して自分の部屋を放棄し、何処かへ行ってしまった。
当惑と混乱の中で苦しみ、後に観音の言葉通り、干した杏などを差し入れられて心底震え上がってしまった天蓬であったが、それでも、そんな感情とは裏腹に、気持ちの奥底に長い間忘れていた嬉しさが、ぼんやりと、だが確実に込上げても来る。

何だろう? この懐かしさを伴う感覚は ・・・?
これまで己に厳しく課していた戒めを破りついでにもう一度、菓子を摘み上げると、口に放り込んでみた。
甘い香りが口の中に広がった時、ふと、先程の答えを思い出した。
天蓬が訝りながらも観音から初めて感じ得たその情緒は、通常遡れるよりも更に遠い昔に経験したもので、両親が己に与えてくれていたものと同じ種類のものだと、遅れ馳せながら気が付いた。
即ち、憐情(れんじょう)という名の他者への配慮である。





カチリ ・・・。 金属質の硬い音に天蓬は耽っていた考え事から我に返った。
此処は毎度お馴染みの営倉の中 ・・・。
そして、またもお馴染みの軍規違反とやらで捕らえられ、閉じ込められている最中である。

今回の罪状もまた、負傷隠しではあったが、実は何時もと少々事情が違っていた。
今回の負傷は、どう考えても公傷ではなく、非番中の不注意に拠るちょっとした怪我であった筈だ。
それさえも見咎めてガミガミ叱り付けようとする敖潤に、珍しく反発した天蓬は、何と言うことのない小さな傷一つで、こんな所に閉じ込められてしまっていた。

最初は猛烈に腹を立てた。
幾ら大恩のある敖潤でも酷過ぎると感じた。 しかし ・・・
―― 酷いって何が? この部屋が? ――
―― いや、此処は居心地が良い。 自分の所よりもずっとだ。 恐らく敖潤が、小さいとは言え怪我を気遣って、清潔で快適な此処に移してくれただけで、罰などではないのだろう。――

―― では、私的な怪我を見咎められたことか? ――
―― それも、違う。 敖潤には私的も公的も無く、これまでから丸ごと庇われて来た。 だから、嫌なことをされた時にだけ、『 これはプライベートです。』 などととても言えはしない。――
自問自答するうちに怒る理由も失せて行き、その内、観音との昔を思い出し、そのまま思い出の中に浸り込んでいったのであった。



入って来たドアを後ろ手に閉めながら、敖潤が考え事から覚めたばかりで、未だぼんやりしている部下に声を掛けた。
「 どうかしたのか? 天蓬?」

「 閣下 ・・・?」
寝台に腰掛けていた天蓬が、ぎょっとしたようにこちらを見た。
「 菓子を持って来てやったぞ。 禁煙中で苛ついていたのだろう。 摘まんでみないか?」
言いながら、持ち込んだ箱を開けて見せた。
いつものボックスチョコレートである。

先程までの夢想と重なる部分を感じて、天蓬が呆然としていると、敖潤が中から一つを摘まみ上げて口に放り込んでくれた。
得体の知れぬ悔しさが急に込み上げてきて、天蓬の表情が歪んだ。
「 天蓬 ・・・? 嫌だったのか?」
「 いえ ・・・。 あのう、今、ちょっと宜しいでしょうか?」

何か話したそうにしている部下に敖潤は頷き、話を聞いてやろうと、寝台の空いた所に腰掛けた。
「 急ぐ必要は特に無い。 何でも話すがいい ・・・。」
「 僕が観音菩薩のところに寄り付かず、検診に出向く約束をも時々違(たが)える理由なのですが ・・・。」
「 時々 ・・・ なのか。」
敖潤はクスリと笑ったが、相手が真剣に話しているらしいと気付いて、直ぐに真面目に向き合ってくれた。

「 僕は不義理をしたという思いもあって、真っ直ぐに観音の顔が見られないのだと思っていましたが、自分でも分かっています。 それだけではありません。」
天蓬が腕を伸ばしてきたのを見て、敖潤はチョコレートの箱をサイドテーブルに置いて、邪魔物を除けてくれた。
傍に座り直し、体を寄せてやると、ぎゅっとしがみ付いてくる。

「 何か苦しい想い出があるのか? 話してみないか? 私に ・・・。」
天蓬は頷いて、敖潤の胸に顔を埋めると、話し始めた。
観音からは厳しい指導を受けたばかりでなく、非常に甘やかされた思い出があったこと。
しかし、それに馴染めず、はっきりとは受け容れるということが出来ず終いだったこと。
それを非常に悔やんでおり、そのことが寧ろ差し障りとなって、観音に会い難いということ。
そんなことを敖潤にしがみ付いたまま話して聞かせた。



「 ・・・ そして僕は、未だ懲り切れずに閣下にも同じようにしか出来ないのです。」
最後に天蓬はそう言って目を伏せた。
「 同じではないだろう。今、ちゃんと話せたではないか。」
「 それは ・・・ 閣下に捕まって此処に居るうちに観音のことを思い出して ・・・。」

敖潤は天蓬の背中に手をまわし、子供にするように背中を擦ってくれた。
「 どんな切っ掛けだろうが関係ないさ。 今ちゃんと言えた。 そうだろう?」
「 二度とは ・・・ いえ、閣下には特に、あんな残念な付き合い方をしたくありません。 今日反発したことも間違いでした。」
「 分かっている。 大丈夫。 ちゃんと分かっているし、通じているから。」

「 非番の間の怪我でも、この先、手当てはします。 きっとしますから ・・・。」
敖潤はそれ以上には言わず、天蓬の頭に顔を寄せて、髪に口付けを落としてくれた。

天蓬は何時までもそうして敖潤に凭れていた。
熱伝導のようにこのまま相手に気持ちが伝われば良いのに!
虫の良いことを考えたが、この上官が相手では、それも強(あなが)ち叶わぬ願いというわけでも無さそうだった。






















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   ―― 憐 情 ――

   2008/10/16
   過去エピソード
   written by Nachan

   無断転載・引用は固くお断りします。

   ブログへのリンク
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   素材提供:Art.Kaede〜フリー素材
   http://www117.sakura.ne.jp/~art_kaede/










NOTE :

過去エピソードの一つです。
観音の所に奉公(?)に来て半年くらいの天蓬と、西方軍に着任して1年目
くらいの天蓬ですね。
捲簾の登場のうんと前になります。

正直、リハビリのつもりで書いているので、他人様には余り面白くもないお話
なのですが、実は当人にとっても大した効果はありません。

書いても書かなくても、生活保護受給者のように、自宅の玄関先から病院に
タクシーを横付けするような医療行為(?)は、苦手みたいです。
(ノ_-;)ハア…