かざぐるま
―― 風 車 ――









「 独りで書店まで行ってきます。」
そんなことを言い出した天蓬に、捲簾が何とも言い難い渋い顔をして見せた。

昨夜、日頃から取引のある古書店主が西方軍を訪れた際、天蓬は予定が延びてしまった討伐戦から、未だ帰還出来ていなかった。 
部下から言伝を聞き、店主の置いて帰ったパンフレットを眺めてみた天蓬は、無謀にも自身で店の方に出向こうと決めた。

横からそれを覗き込んでいた捲簾が、パンフレットに記載された住所に目を遣ると、とんでもないと反対し始めた。
「 おい、この住所だと、市街地の市場(いちば)の中に店を構えている奴だぞ!」
「 別に何処だって良いじゃありませんか。 その人は専ら出物のあったときに、相手先に出向くという商売をしているんです。」

「 お前に市場は無理だって。 明日なら俺も非番だから付き合ってやる。」
そう言われてみても、天蓬の頭には業者が訪れてくれた折の、『 書物なんぞ如何にも退屈 』 と言わんばかりの捲簾の態度しか思い浮かばない。
『 おい、まだなのか?』 『 もう良いだろう?』 と苛々しながら話の終わるのを待つのが、捲簾の書物に対するポリシーらしかった。

思い出してぞっとした天蓬は、後ろから 「 だったら、今非番の奴を連れて来るから、そいつに付き合って貰え!」 と呼び止める捲簾を振り切るようにして、西方軍の敷地を出て行った。

あの男は、敖潤とか最近話をするようになったらしい観音から、自分の間違ったイメージを植え付けられているに違いない、と天蓬は思っている。
それが証拠に、捲簾の前で、家事仕事に関するちょっとした失態でも見せようものなら、直ぐに 『 名家の出身だもんな 』 だの、『 観音の所では奉公をしていたのではなく、縁者として周囲に紹介されていたんだそうだな 』 などと突っ込んで来る。

そんな事情で日常の仕事に疎いのではないと思うと、その言い草が寧ろ腹立たしかった天蓬には、捲簾の申し出に耳を貸す余裕が無かった。
そもそも自分は、天帝の居城の在る都城の北辺からは程遠い、南側の、しかも中央でなく東西にも脇に退いた市街地に暮らしたことだってあるんだ、とも思う。



市場の雰囲気くらい知っています!
些かむっとしながら軍を出て来た天蓬であったが、南に下り脇に逸れて、小さな商店が立ち並ぶ商店街に達すると、流石に違和感を覚え、居心地の悪さを感じ始めていた。

だいたいが、人が多過ぎる。
観音の屋敷の一部屋くらいの規模の家が並んで、犇めき合っているのだから、当たり前と言えば当たり前だし、人混みを見たことが無い訳でもない。
軍隊という所だって良い加減、狭い所で大勢の人間がごちゃごちゃと暮らす組織集団である。

しかし、最初から士官として着任した天蓬には、雑兵として寝所さえを数人で分かち合う共同生活の経験などは無い。
出世も速かったので、直ぐに部下たちに通り道を空けて貰える身分にもなった。

とは言え、天蓬の違和感は行き交う人の多さだけでもなかったようで、市場に差し掛かり、奥へと進むほどに気分が優れなくなり、次第に疲労感にも悩まされるようになってきた。
こんなことで疲れて戻っては捲簾に笑われるだけだと、目に付いた休憩所に入り、飲み物を頼んでみた。

「 済みません。 中が一杯ですので、表の椅子で良ければ直ぐにお持ちしますが?」
そう言われて頷き、表のベンチに腰掛けて待っていると、本当に直ぐに飲み物が届けられた。

冷たい飲み物に妙にホッとしながら一口飲んだ後、一旦コップをベンチに置いて、煙草を取り出し火を点けると、更に落ち着けた。
ようやっと、それまで夢見心地に浮付き、霞んでいた景色もはっきりと目に入り始める。
天蓬は煙草を吹かしながら、改めて人々の行き交う様を眺め始めた。

―― これはこれで、また別の違和感が有るもんですねえ ・・・。 ――
世間一般より体格の良い男たちの暮らす軍隊とは違い、子供も利用するかも知れないこういう場所では、ベンチが低い。
何時もとは違って、下から見上げる景色になるのが天蓬には珍しかった。

いや ・・・ 珍しいと言うより、この感覚には確かに覚えがある。
そして、遅れ馳せながらやっと気付いた。
―― 違和感ではなく、僕はこの雰囲気に懐かしさを覚えている ・・・? ――

両親を亡くし家を無くし、他人よりも始末の悪い遠縁という繋がりに引き取られた、不本意な時代ではあったが、それでも多少はこんな景色に惹かれる気持ちが有るものなのだろうか?
そうではない、違う。
天蓬は他人の心理を分析するように、冷ややかにそう思った。

きっと、己にはこういった景色に繋がる過去に、『 忘れ物 』 を残して来たという意識があるのだろう。
しかし、その忘れ物は最早取り戻すことも、贖(あがな)うことも叶わないと知っている。
それ故に過去の断片に触れた時、強い違和感を感じ、失った忘れ物への未練が、懐かしさにも似て感じられるのか ・・・ ?

そして己は今、遠い昔に見たのと同じようなその景色を、当時に似た視点で眺めている、とも思い当たった。
低目に設えられた縁台のようなベンチに腰掛けていると、特に近くを通る人影は見上げる高さになり、否が応でも過去を思い出させる。

そうやって眺めていると、遠い日の感覚が、心の隅から頭を擡げて、まだそれが失われた訳ではないことを主張して来るのだ。
―― 本など、もうどうでも良いか。 ――
ふと、そう思った。
元々自分の物など、何も所有出来てはいなかった身だ。



―― 引き返そう ・・・。 ――
そう決めたとき、目の前を親子連れが通り過ぎた。
真ん中に幼い子供を挟んで、両側を守るように歩く両親が居る。
女の方が子供の手を引き、子供は反対の手で市場で買い与えられたらしい玩具を振り翳し、気侭に楽しんでいる。

子供の振り回す玩具が、遠慮無く父親の身体に当たっているのだが、当の父親はそんなことなど意にも介せず、機嫌好くはしゃいでいる我が子の様子に、ただ目を細めている。
母親も特に咎め立てはせず子供を見守り、子供が時折顔を見上げては、確かめるように手を握り締めて来るのに、笑顔を返していた。

親子連れはゆっくりと目の前を通り過ぎて行ったが、天蓬は後ろ姿が小さくなるまで、じっと彼らを眺めていた。
小さくなってもなお、仲睦まじいと分かるその影に、微笑ましさを感じる代わりに、何百年か振りに嫉妬を覚えた。
恐らく、先程自身で認めた 「 忘れ物 」 という答えの正体を見ているのだろう。

―― やはり、この高さで見るものではないんですよねえ。 ――
未だに、いがみ合い傷付けるばかりでなく、労わり合える家族というものには憧れを抱いている。
それにしても、その憧れは、自分があの親子連れの父親の位置に立つことで果たされなければなるまい。

それなのに、低い視線で眺めた所為か、今ふと、手に入れたいという思いが頭を掠めたのは、真ん中の少年の位置であった。
「 一体、幾つ何十になれば ・・・。」
思わず失笑しながら、声に出して呟いていた。
一体どれだけ生きれば、人は本当の意味で大人になれるのか、と思う。





不意に視界の中に赤いものがぬうっと現れた。
一瞬、近か過ぎて形が捉えられず、身体を反らしてその物体から顔を離して確かめると、風車(かざぐるま)である。
特に風の強い日でも何でもないので止まったままの風車が、目の前に付き付けられていた。

顔を上げて、その元を辿ると、捲簾が直ぐ横まで近付いて来ていて、手を延ばしていた。
「 何なんです。」
天蓬が不機嫌に尋ねた。
捲簾はにやっと笑った。
「 久し振りに市場を歩いたら、昔と同じようなオモチャを未だ扱ってやがるんで、一つ買った。 お前にやる。」
そんな風に言いながら、風車を天蓬に無理に手渡した。

「 酔狂な ・・・。 第一勤務の残りはどうしたんです?」
「 勤務中だとも。 今、敖潤閣下のお遣い中だ。」
「 お遣いですか?」 天蓬は敖潤にしては珍しいこともあるものだと驚いた。
「 買い物の ・・・ ですか?」

「 うん。 買い物。 ちょっとしたモンだ。」
言いながら、天蓬の横に腰を下ろす。
「 貴方、買い物は急がなくて良いんですか?」
「 夜まで掛かっても良いそうだから、先にお前の買い物に付き合ってやろう。」
「 いえ、それはその ・・・ もう止めようかなと思っていた所です。」

「 う〜ん。」 捲簾が頭を掻きながら、もぞもぞした仕草を見せた。
「 いや ・・・ もう、絶対皮肉らないし、お前が本を選ぶのを急かせたりもしねえって。」
「 そうじゃなくて。 本当に引き返そうとしていたんです。」

捲簾は立ち上がって、天蓬の片手を握り引っ張った。
「 良いから立てよ。 もう行こうぜ。」
仕方なく天蓬も立ち上がり、再び歩き始めた。
握られた手は無事に放して貰えたが、もう片方に、先程押し付けられた風車を持たされたままである。

「 これ、みっともないですから返します。」
何か言い返されるかと思ったが、捲簾は意外にあっさりと風車を受け取り、自分のポケットに入れた。
それでもまだ、「 帰ったら、やる。」 などと言っている。

そうこうしている内に目的の店が見えてき始め、視力の良い捲簾が先に見付けて教えた。
「 あそこらしいな。」
指差された先に、店先に古ぼけた看板を吊るした小さな書店があるのだが、天蓬にはペンキの剥がれかかった看板の文字は、まだ読めてはいなかった。

それでも相手を信じて頷くと、捲簾は今度は道を挟んだ反対側を指差して、「 俺はあそこに居るから、ゆっくり見て来い。」 と言ってくれる。
何時にない優しい言葉に戸惑い気味の天蓬が顔を見返すと、相手はちょっと照れ臭そうにしながら天蓬から離れ、自分で指差した茶屋に消えて行った。

何をしに来たというのだろう? 遣いとやらはあんなことで良いのだろうか?と不安に思ったが、文句を言おうにも相手が居ないのではどうしようもない。
首を傾げながら歩いていた天蓬も、先程一旦諦めた書店の前まで辿り着いていたので、店を覗き込んでみた。

何時も出物があると、真っ先に西方軍を訪れて見せてくれる馴染みの店主が気付いて、愛想好い笑顔を向けた。
「 良くぞこんな所までお出掛け下さいました。」
言いながら中に通して、早速御自慢の掘り出し物を持ち出して来る。
機嫌好く迎え入れられて、天蓬もほっとして店主の差し出す書籍を手に取った。





小一時間も経った頃、気に入った書籍を数冊買い求め、紙に包んで紐を掛けてもらって店を出た。
向かいの茶屋を覗き込んでみると、約束通り途中で邪魔をしに来ずにいた捲簾が、これまた愛想好く手を振って立ち上がった。

「 荷物を持ってやろうか?」 と手を差し出してくる捲簾を、
「 当然に結構です。」 と睨み付けたが、捲簾は言う事を聞かず、さっと天蓬の荷物を奪った。
しかも空になった手に、またしても風車が押し付けられる。
「 また ・・・。」

抗議しようとすると、捲簾が悪戯っぽい顔をこちらに向けた。
「 いいじゃねえか、持ってろよ。 俺がやったら相当に不気味だが、お前みたいな綺麗な顔をしたのは、何を持っていたって様になるぜ。 それにさ ・・・。」
今度は反対の手を取ろうとした。
「 お前さっき、すげえ羨ましそうな顔してたぞ? 何なら手も繋いでやろうか?」

「 絶対にお断りです!」
呆れ果てた天蓬は、さっさと歩を進めて一人で帰ってしまおうとしたが、捲簾も早足になって追掛けて来て、傍らに並んだ。
「 怒んなって! たまにゃ良いだろうに。」
「 良い筈が無いでしょうに。 第一、貴方、閣下のお遣いはどうなったんです。」

「 ああ ・・・。」 捲簾は人差し指の先でコメカミを引っ掻きながら答えた。
「 何を言い付かったか、忘れちまった。」
「 え?」 驚いた天蓬が身を竦ませて立ち止まる。
「 それは大変じゃありませんか。」
しかし相手は 「 いいさ ・・・。」 とのんびりしている。

「 いいさ、って ・・・。」
「 どうせ、敖潤だって何を言い付けたかなんて覚えてねえモン。」
「 そんな、まさか ・・・。」
「 なんか物凄く下らない買い物を仰せ付かったことだけは覚えてる。」
余りの無責任な言い草に天蓬は唖然とした。
幾ら何でもここまで無責任な男ではなかった筈だが、どうしたというのだろう?

不審そうに投げられた視線に応えて、やっと説明をする気になったらしい。
「 お前を探していた敖潤に、お前が市場に出掛けちまったと教えたら、貴様も行け ・・・ と。 何か買い物を言い付かったが、あのぼんぼんが咄嗟に考え付いた品物だから、下らなさ過ぎてもう忘れた。」

「 閣下が ・・・。」
捲簾が種明かしでもするように教えてくれた事情に、天蓬は思わず息を呑んだ。
「 下町はお前には鬼門だと心配していた。 自分で行きたいが、私にもああいうところは良く分からんから、貴様が行けと。」

「 そうですか。 閣下がねえ ・・・。」
何やら考え込んでいる天蓬の脇を、その辺りに住まう少年が二・三人駆け抜けていった。
粗末な着物を着ているが、楽しそうに縺れ合いながら走って行く。

「 天蓬、俺もこういう場所で育ったんだぜ。 何が面白かったんだか、あんな風にしょっちゅう走り回ってた。」
「 ガキ大将だったんでしょうね?」
子供たちを見送りながら、天蓬が相槌を打つと、くっくっくと声を上げて笑った。
「 肩書き、今と変わんねえのな!」

その言葉に釣られて、天蓬も表情を和ませた。
「 割合楽しかったぞ。 生活は貧しかったろうが、俺には家族も友達も居たからな。」
「 ええ。」 と同意を示す。 そうでしょうね。 貴方なら。

「 天界は身分差が大きい。 軍人が丸々上級神とやらの下にされているように、その俺たちと一般人の間にもデカイ差がある。 だから、こんなに貧しい景色を呈しちまうのさ。」
今さっき楽しかったと言いながら、直ぐにそんな風に言う捲簾の気持ちを計りかねた天蓬が、怪訝そうに隣の相棒を見た。

「 そんでも楽しかったんだって。 要するに人に恵まれるとな、何処に居てもどういう立場に居ても幸せだと感じるモンだ。 ほれ ・・・。」
捲簾が顎で尺って、追い抜いていった先程の子供たちを指し示した。
夕刻が迫って、迎えに出向いて来たらしい母親の胸に飛び込んでゆくと、安心し切って心地良さそうに抱き締められている。
天蓬は思わず、目を伏せ、俯いてしまった。

「 ま、年齢が違うし立場も違うし、今更あれは無理だろうから、この俺様がお前を迎えてやろうかな ・・・ と思ってさ。」
天蓬は頷きながら聞いていた。
自分の中で何かが吹っ切れた気がして、ふいっと心が軽くなったと感じる。

天蓬は鬱陶しかった表情を振り払うようにして、捲簾に笑顔を向けた。
一気に花が綻んだように微笑みが零れたのに気を好くした捲簾が笑い返す。 すると、
「 そうですね。 閣下のお心遣いは毎回、本当に有り難いと思っています。
置き去りにして来た忘れ物を、幾つか取り返せたような気がします。」

『 閣下の 』 の部分にヤケに力が込められていた。
相変わらず憎たらしい言い草だが、こんな場面でしんみりされるよりは余程いい。
第一、天蓬が 『 閣下の 』 に力を込めたことで、嫌味の言える余裕を取り戻しているのが窺い知れた。

天蓬は歩調を速めて、さっさと先を歩いて行く。
捲簾は黙って自分も歩を速め、天蓬を追って歩いた。
天邪鬼の相棒は、その後振り返りはしなかったが、かといって手に持たされた風車を投げ出しもせず、時々息を吹き掛けたりしながら歩いていた。

年齢と上背を考えればおかしな景色である筈なのに、全くあいつにはおかしなものも可笑しいと感じさせない、圧倒的な美しさがあると思う。
行き交う街の住人もそれを、にこやかに見送っていた。
要するに、誰の目にも見苦しくは映らないのである。

そのことが、捲簾には何となく誇らしく感じられ、無理矢理歩を進めて天蓬に追い付くと、暮れかかった街を並んで歩き始めた。






















外伝2巻 口絵 クリックして下さい♪
   ―― 風 車 ――

   2008/09/04
   〜 市場(いちば)にて 〜 ( ショートショート
    と同サイズですが、設定を引き継ぎます。)
   written by Nachan

   無断転載・引用は固くお断りします。

   ブログへのリンク
   http://akira1.blog.shinobi.jp/

   素材提供:Art.Kaede〜フリー素材
   http://www117.sakura.ne.jp/~art_kaede/










NOTE :

『 一体どれだけ生きれば、人は本当の意味で大人になれるのか、と思う。』
・・・ 自分で紡ぎ出した文章に、ある種の連想から、思わず失笑しました。

暴力賛同・強姦上等! ・・・ ってな小説サイトに限って、入り口ページを
設け、判で押したように、同じような断り書きが掲げられています。 曰く、
「 小説と現実の区別の付く大人な女性のみお入り下さい。」
「 当方は肉体的にも精神的にも大人な方向けのサイトです。」

暴行と愛情の区別も付かず、只管性行為を 『 汚い 』 『 イヤラシイ 』 と
評し続けることだけを以って、他者を 『 大人でない!』 と見下せる人も居る
ということらしいですね。

何と安直に成熟が手に入ると信じられる、幸せな人たちでしょう!!
こういう人たちにとって、人生なんぞ冗談でしかなく、命に至っては、使い
捨ての消耗品以上のものではないようです。 ( ̄_ ̄|||) どよ〜ん