―― 贈 物 ――
( * 全て、捲簾大将の一人称で、独り語りです。)
不思議なものを見ちまった ・・・ と思った。
俺が見たのは、あいつにしては珍しくもない、大きな箱を抱えた姿だった。
俺が廊下を曲がろうとした時、天蓬は丁度その先にある敖潤の執務室から廊下に出ようとしていたところで、例によって、扉を閉める間際に戸口に立って、もう一度クソ丁寧な感謝の言葉を掛けていた。
あいつは、見ているこちらが蕩けちまいそうになる、あの絶品の微笑みを惜しげも無く口元に浮かべて、一礼しながら丁寧な仕草で扉を閉めた。
ここまでは無論、不思議でも何でもない。
ところが、だ。
扉を閉めた瞬間に、口元の微笑みは掻き消えるように消え失せ、あいつはまるで抱えていた箱が急に鉛にでも化けたかのように、ぐっと腕を押し下げてしまった。
見る間に表情が曇って、一秒後には完全に泣き顔になっていた。
俺は何か悪いものでも見た気がして、慌てて今来た廊下に身体を引っ込めた。
あいつは、俺の居る方とは反対側の自室の方向に向かって歩いて行ったが、心做しか肩が落ちているように見えた。
天蓬がその先の廊下を折れたところで、俺は敖潤の部屋の前辺りまで出て行った。
その先の角を曲がってみたい気はしたが、先程のあの異様にしょげ返った様子に、その勇気を失くして、ただ、あいつの行った方を眺めていた。
どういうことなんだ? あれ?
敖潤が大好きで、慕っているとか、惚れているとかいう以前に、敖潤が居ないと精神的に持ち堪えられもしない、あの天蓬が ・・・?
持っていた箱は、次の敖潤の降臨に同行する際に着ろと言われて、与えられた着物に違いなかった。
敖潤は毎回そうしていたし、まるで着物が洗えばもう一度着られるという事すら知らないような男だ。
てっきり喜んでいるものと思っていたのに ・・・。
うっかり考え込んでしまい、場所が敖潤の部屋の真ん前であることもすっかり忘れてそのまま立ち尽くしていると、不意に肩に手が掛かって、名前を呼ばれた。
「 捲簾。 見たのか。」
俺は驚いて振り向いた。
何時の間にか、敖潤が部屋から出て来て、俺の後ろに立っていた。
「 見たって ・・・ 天蓬を、でしょうか?」
「 惚(とぼ)けなくてもいい。 あれが泣きそうにしていたのを見て、固まってしまったのだろうに?」
敖潤に促されて、俺はこの気難し屋の上官の部屋に入った。
元々、実務を天蓬に一任していて、滅多に現場に現れもせず、黙々と上層との折衝を続け、責任だけを請け負っているような上官であり、部下には愛想も悪く、部下の方でも誰もが余り親しくしてはいない。
ただ自分たちが尊敬して止まない天蓬が、全幅の信頼を置いて慕い切っているというこの一点で、敖潤を良く知らないままに、何だか異様に高く買っているといった観がある。
俺にしても、多少は事情を知っているから、敖潤が徒者ではないとは分かっているものの、親しくは付き合っていない点では、他の部下たちと同様だった。
この部屋にも、過去に天蓬に纏わる用件で、四・五回訪れたことがあったきりだ。
こんな敷居の高そうな所に頻繁に出入りを繰り返している物好きは、西方軍の中でも天蓬くらいのものだったが、本来的な意味合いでは、それでもおかしくはない。
敖潤自身が副官として天蓬を傍に置いていても不自然ではない筈で、寧ろ、現場を天蓬に任せ切りにして、戦闘時に俺の副官に付くなどという酔狂を許している方が不思議な程だった。
俺が渋々入って行くと、敖潤は茶を入れてくれようとした。
幾ら何でもそんなのは ・・・ と俺が引き取ろうとすると、敖潤ははっと顔を上げ、驚いたように俺を見た。
「 そうか ・・・。 貴様になら、そうさせることも出来たんだった。」
普段から、天蓬以外の部下を殆ど入れたことが無い良い証拠だった。
部下にそんなことをさせたら、必ず腹痛を起こすものだとでも思っていたのだろう。
茶を入れていると、敖潤が後ろから、先程の続きを問い掛けてきた。
「 天蓬がしょげている所を見たのか?」
「 あんた、天蓬に今度帰る時の着物を渡してやったんじゃなかったのか?」
俺は尋ねた。
「 その通りだ。 秋祭りだからな。」
祭りでなくとも与える癖に。 そう思ったが、言わないでおいた。
「 何で、しょげてるって知ってるんだ。 見ていなかった筈だが。」
代わりにそう訊くと、敖潤は簡単に答えた。
「 分かるさ。 もう、何百回と繰り返して来たんだから。
あれがにこっとするのは、私が見ている間だけだ。」
じゃ、本当はしょげてしまうと分かっていて、何で毎回着物なんか与えるんだ、ということになるよな? そりゃ。
で、俺が確かめると奴の返事はこうだ。
「 嫌でも何でも慣らす必要があるだろうに。
いずれあれは私と一緒に領地に帰るんだから。」
やっぱりな。 そんなことだろうと思った。
敖潤は俺に天蓬を渡したつもりなんて、さらさら無いんだ。
精々が外に慣れさせるために、俺と遊ばせてでもいる気なのだろう。
「 で ・・・?」
幾分むっとしながら、入れた茶の入った湯飲みを一つ手渡す。
「 毎回着物を与えて、着替えさせて、あいつは泣きそうになってて ・・・。
そもそも、そんなことをさせる必要が有るのか?
将来のことは将来考えたら良いんじゃないのか?」
敖潤は怪訝そうに俺を見た。
「 貴様、もしかして気が付いていないんじゃないのか ・・・?」
「 何をだよ?」
俺は、自分の分の湯飲みに口を付けながら聞き返した。
「 天蓬が嫌うのは衣服だけではないだろう。
全部だ。 普通に生活に必要な全てだ。」
思わず口に入れていた茶を吹き出しそうになった俺は、それをするまいとして無理矢理飲み込んだ挙句、盛大に咽せた。
「 何をやっているんだか。」
敖潤が迷惑そうに顔を顰めた。
「 大体が、今まで気付かない方がおかしいだろうに。」
咽せていながらも、俺の頭の中に色々な映像が一気に浮かんで来た。
確かにな。 確かに天蓬は浮世離れしていた。
考えてみりゃ、マトモな点なんぞ、殆ど無かったのかも知れない。
一日に消費する物資の量なんぞ、都市部に棲むホームレスにも劣る奴だった。
それでも、あいつには会った者に、最後にそういう負の印象を持ち帰らせない何かがあった。
何かもクソも、つまりはあの綺麗な姿なんだろうが、その姿が先程自らが与えた印象を、三段階くらい底上げして相手の記憶に残す。
それに、何だかんだ言ったって、敖潤が細々した事まで手を貸していて、社会的にも一応の体裁は保てているという事情も有る。
だが、言われて態々考えてみると、その生活態度は酷いものだった。
衣食住だけじゃない。
医療にも美容にも金を掛けているのを見たことが無かった。
それって、何だか不自然なんじゃ ・・・?
「 そう言えば ・・・ そうだな?
偶に部下に振舞っているところくらいしか、見たことがない。」
俺は今更ながらに呆れ返って呟いた。
「 節約しているって風でもなかったが ・・・。」
「 思い付かないんだ。 あれは。
消費する習慣が無かった上に、付け届けされて難儀した経験で、楽しむことを諦めてしまった。」
「 付け届けか ・・・。 多かったんだろうな、あんたが居なかった時には?」
「 ああ、揉め事が絶えなかったと聞いている。」
「 それで臍を曲げちまった?」
「 突き返された奴が悔し紛れにぶつける言葉があるだろう?
お前が物欲しそうにしていたからだろう、とか何とか。
そういう責任転嫁を真に受けて、今みたいにしているのかも知れん。」
ふーん、そうやって毎度責められたのでは、確かに辛いか。
それにしても ・・・。
「 あんたのは表面上にしろ、喜んで見せるぞ?」
「 あれは喜んでいるのではなく、私に逆らえないんだ。」
敖潤は溜息を吐いた。
「 私に付いて来たかったら、身形をきちんとしておれとも言い渡してあるし。」
俺はまた無意識にポケットに手を入れて、煙草を取り出しかけていた。
敖潤が鋭い目で睨み付けた。
「 それは止めろと言っているだろうに。
貴様は直ぐ天蓬が吸うとか反論するが、あれには殆ど好みも何も無い。
気に入っているらしい煙草を禁じたら、可哀想じゃないか。」
そういうことだったのか。
神経質の上に、喫煙などという悪習慣的な嗜好品には、自己抑制の無さまで挙げて露骨に嫌う敖潤が、天蓬の喫煙を黙認する訳がやっと呑み込めた。
それにしても、天蓬に関しては自身の犠牲は惜しまぬ奴だとつくづく思う。
しゃぁない、その思い遣りの深さに免じて、煙草は仕舞ってやることにした。
「 ところであんたさ、何で俺を呼んだ? 見られて口止めするほどのことでもないだろ?」
煙草を止められて、手持ち無沙汰になった俺は本題を促した。
「 ああ ・・・。」
敖潤の方でも切り出すタイミングを計っていたようだ。
さっきから湯飲みを手で弄んでいる。
「 貴様な、今度の秋祭りに私の領地に来ないか?」
「 俺が ・・・ でしょうか?」 俺は口をあんぐり開けて聞き返した。
「 何で俺までが、折角の休日を上官と過ごすなんて、馬鹿な真似をすると ・・・?」
俺の言葉を聞いた敖潤は、呆れたようにまじまじと俺を見詰めやがった。
「 貴様、ついこの間、自分から嬉しそうにそうしていたろうが。」
言われてやっと認識出来たのだから、俺も相当にどうかしている。
そうだった。 あの馬鹿呼ばわりしては、しょっちゅう小言を垂れ、命令ばかりして引き摺り回すようにして付き合っている男も、考えてみれば俺の上官だった。
それにしたってだな。
「 何で嫌っている俺を態々誘う?」
「 天蓬の誕生日だからだ。 天蓬だって、貴様と付き合っているからには、誕生日くらいは一緒に居たいだろうし。
本来、置いてゆけば良いだけの話なのだが、残念ながら軍の記録を介して、生年月日は一定の立場以上の者には誰にでも知れる。」
「 で、置いておけないって事か?」
とは言ってみたが、天蓬が嫌がるのを見たくない余りに、秋祭りの方を天蓬に合わせているのではないかと疑っていた。
やりかねない男ではある。
大体が、西方軍から上位三人が一度に消えても良いと考える程に、この男には、天蓬に嫌な思いをさせないことが大事なのかと思うと、感心するというよりは、本当に天界軍に貢献する気が有るのかどうかが不安になってくる。
それで、俺は言ってやった。
「 いや、せめて俺だけは此処に居る。 俺は ・・・。」
ここでちょっと言葉に詰まった。 俺の言語中枢は真面目に喋ろうとすると、拒否反応を起こして、途端に機能低下する癖が有るらしい。
「 俺は ・・・。 おちゃらけるばかりで、なかなか天蓬の傷を癒してやることは出来んし ・・・ あいつがあんたを頼っていて、それで気が休まるのなら、俺にしてやれるのは留守番くらいのモンだ。」
敖潤がはっとしたように顔を上げて、俺を覗き込んだ。
「 もう退出させてもらうぞ?」
何やら考え込んでいる敖潤に、俺は言った。
「 で、あいつの誕生日は何時なんだって?」
「 そうか、貴様にとっては、初めてのことだったか。」
敖潤の奴、やっとそのことに気付きやがった。
しかも、気付いたら気付いたで、また一言多いんだ、この男は。
「 21日だが、贈り物はするなよ。 喜ばないし、ノイローゼ気味だから。」
「 あんたが来てからも、まだ続いているって事か?」
「 残念ながらそうだ。 私と張り合ってでもという立場の奴ばかりで、性質が悪い。
しかも、毎年私が連れて帰ってしまうものだから、ここ何年かは二・三日前に届くようだ。」
ふーん、そういう事になっていたのか。
天蓬の嫌い方は露骨だから、伝わらない訳が無いだろうに、可哀想なことをするもんだ。
ともあれ、俺はそのまま肩越しに手を振って、部屋から出て行った。
ただ何時ものように煙草を吹かしに来た振りでもして、暫らく一緒に居てやるか ・・・ そう思って、天蓬の部屋に入って行くと、あいつは部屋の隅に腰を下ろしており、ぼんやりとした目で俺を見上げた。
テーブルの上には、先程見たのとは別の小箱が幾つか載せられている。
「 捲簾 ・・・。」
俺が小箱を睨み付けていると、あいつの方から声を掛けて来た。
「 明後日の就業時間が退けたら、僕は敖潤閣下が地上の所領地にいらっしゃるのに同行します。 帰りは22日の朝です。」
「 だそうだな。 安心して行って来い。 留守はしっかり守っていてやるから。」
「 閣下から聞いたのですか?」
「 うん。 今年は俺も来いって誘って貰った。」
天蓬は驚いた様子で低く呟いた。
「 どうして ・・・。」
「 俺が居ると賑やかだからだろ? お前が喜ぶとか思ったんじゃねえのか?」
「 いえ ・・・ だのに、どうして留守番なんです?」
「 天蓬 ・・・。」
俺は、そこいら辺に幾つか転がっている椅子を無視して、あいつの傍の床に腰を下ろした。
向かい合うことはせず、同じ方向を眺めながら話し掛ける。
嫌でも視線の先には先程の小箱が見えていた。
「 誕生日なんだろう? あの机の上の奴、西方軍の猛者共が付き返し切れなかった、止ん事無き方々の付け届けか?」
天蓬は寂しげにふうっと息を吐きながら微笑んだ。
「 部屋に戻ってみたら、届いていたんです。」
「 一体、西方軍の指揮官を何だと思ってやがるんだか。」
「 無理の無い面も有るには有るんです。
僕にはこれを結局、竜王を通じて返して頂くしか出来ないのですから。
そりゃ、当然に誰もが僕が閣下に飽きられるのを待ちますよね ・・・。」
そうだろうか、天蓬?
それじゃ、頂点にでも生まれ付かない限り、何もかも全てが他人の恣意の下敷きってことになる。
「 お前な、せめて、僕が閣下に飽きるのを待っていると ・・・ そう考えろ。」
お前に何の意思表示も出来ないって筈は無いと、俺は思う。
「 まぁ、明後日は敖潤とゆっくりして来たらいいさ。 天界を離れたら、気分も変わる。」
「 捲簾も偶にはどうです? 大歓迎されて、下にも置かれない持て成され方をしますよ?」
こいつはホント、目出度いっていうのか、こんな時にも結構真面目に誘うんだよな。
俺が真に受けて付いて行ったら、敖潤との板挟みになって悩むと分かっているんだろうに、俺も放り出せない、敖潤にも居直れないで、しょっちゅう遠慮しているって状態を続けている。
そりゃ、血縁者みたいな無条件の愛情と、横並びで、時に張り合えもする愛情の両方を手放せないでいる、こいつの身勝手が原因なんだから、精々苦しめば良いんだって思うけれど、俺の方にも一つ弱みがあって、突き放し切れはしない。
そうなんだよな。 俺が天蓬に出合ったのは、こいつが敖潤と出合ったうんと後のことで、こいつがそれなりに満足して暮らしていた時期だったんだ。
俺が最初に天蓬を見た時から、こいつは既に敖潤に全てを投げ出していやがった。
そんな天蓬に、俺が勝手に惚れて割り込み、こいつもそれを受け容れた。
だから、怒り切れなかった。
何しろ、こうしている天蓬は、俺が見付けて納得した天蓬なんだから。
「 いいんだ。 三人抜けると流石に拙い。
それに、誕生日くらい安心出来る家族と過ごせ。 敖潤と居るとそうなんだろう?」
天蓬は素直にこくんと頷いた。
「 だったら、そうしろ。 俺がきっちり留守を看ててやる。」
肩にコツンと何かがぶつかる軽い衝撃があった。
同じ方を向いて並んでへたり込んでいた天蓬が、俺の肩に頭を載せて来ていた。
普段の愛想無し振りから考えたら、えらく可愛らしい仕草をしやがる。
尤も、慣れてないもんだから、動作もぎこちなく、何の手練手管も持ち合わせちゃいないんだが、こいつの場合、そこいら辺りは素材の良さで充分にカバー出来ている。
「 天蓬 ・・・。」
耳の位置が近いあいつが驚かないように、俺は小声で呼び掛けた。
「 何か欲しいものとか、ないのか? 俺だったら、何の見返りも要求しない ・・・ いや、ないこともないかも知れんが、お前、別に困らないだろう?」
「 何も。 それに ・・・。 誕生日と言っても、僕は貴方よりうんと年上ですからね。
目上への贈り物は魂胆の有るとき以外、しなくていいですから。」
「 ちょっと待て。」
俺はぎょっとして、天蓬の肩に手を掛け、あいつの身体を引き離した。
「 お前が、目上 ・・・ ? 俺のか?」
「 当然でしょう?」
天蓬は押し返されて、不満そうに俺を睨んだ。
「 二人とも青年期に達して直ぐにこの職業を目指したんですよ?
それで、僕がある程度登り詰めて一度失脚した後、貴方が入隊したことを考えれば、それ以外に考えようがないでしょう?」
「 いや、そういうんじゃなくて ・・・。」
俺は思わず髪の毛に手を入れて、頭を引っ掻きながら唸っていた。
「 常識的な線だよ。 ぱっと見た目とか。」
「 見た目 ・・・?」
あいつは俺を見て、首を傾げた。
「 貴方は別に老けて見えるタイプじゃありませんが ・・・。
寧ろ僕の方が、眼鏡を掛けている分、そう見られやすいと思います。」
一般的にはそうかも知れないが、こいつに関しては違うと俺は思うぞ、それ?
とは言え、何れにしても俺はずうっと勘違いして来たという訳だ。
「 何なら、今からでも態度を変えてみますか?」
「 え?」
「 もっと、敬意を払って下さるとか ・・・。」
「 そりゃ、お前 ・・・ そんなのは今更言われても、これまでの付き合いの蓄積とかが ・・・。」
焦って言い訳をしようとして、しどろもどろになっていると、少し俯いていた天蓬がクスクス笑っている。
「 分かっています。 千年単位で先輩格の敖潤閣下を 『 あんた 』 呼ばわりする人に、何も期待してはいません。」
へえ? あいつ、そうなのか? 天界人以上に訳の分からん奴だったが。
兎も角、天蓬の敬意を払え云々は本気では無さそうだったので、俺は内心ホッとした。
そもそも、こいつの方でも、自分から俺の下に回った嫌いがある。
「 貴方に、年下としてして欲しいことは、たった一つです。」
天蓬は何時の間にか、もう一度俺の肩に頭を載せ直していた。
そして、あの愛想無しが、耳元に囁き掛けて来たんだから、驚いた。
「 年下は、年上より先に死んではいけません。 それだけ守って貰えたら、後は何がどうでも気になりません。」
これまでの天蓬の態度からは想像も付かない、甘ったるい声でそんな風に囁くと、安心したみたいに吐息を吐いて、俺に凭れたまま目を閉じた。
天蓬が体の力を抜くのを感じて、俺が背中に手を回して支えてやると、あいつは少し崩れ落ちて、俺の胸に収まり、その位置で気持ち良さそうにしている。
きっと今日は朝から苛々することばかりで、精神的にも疲れ果てていたのだろう。
俺は暫らくそのままで居てやろうと決めて、自分の体重を壁に押し付けた。
目玉だけを動かして窺って見ると、良い顔をしてうとうとしていやがる。
あいつが疲れを噴出させて、こんな時間に眠りに落ちてゆくのを眺めながら、俺は、そっか、こいつ年上だったのか、と改めて思った。
しかも、こいつを誘って温泉旅行に出掛けたら、上官と出掛けたと言われちまった。
どうせ、俺たちは青年期が長い。 少々違っていても、片方の運動機能が落ちてくるなんぞという所を見ないものだから、分かり難いところへもって来て、こいつの、この物腰では益々勘違いする。
それに、そういう相対的な関係だけでなく、肌理の細かい肌とか、容貌といった絶対値でも、俺を含めた誰からも、当然のことのように俺の年下に見られていた。
それが証拠に、軍でも天蓬が俺より年上だと思っていた奴など、まず居ない。
あいつの言うように、経歴を考えれば当然であったにも関わらず ・・・ だ。
でもまあ、その容貌の所為で酷い目に遭って来もしたのだろうし、今も不愉快な嫌がらせもどきの誘いは続いているようだ。
敖潤から半端じゃない強い庇護を受けて、何とか落ち着いて暮らせるようにはなったが、それでも誕生日の時のように、付け入れる隙が有ると見做されれば、構わず付け込んでくる。
敖潤を思い出し、俺も現れて、やっとちょっとは気が和んだみたいだが、悩み事は抱えたままだ。
片手を目一杯に伸ばすと、天蓬が何処にでも置いている灰皿の一つに触れたので、そいつを引き寄せてから、煙草を取り出して火を点けた。
明後日の夕方出発か。
ならば、明日の夕食は俺のところで手作りして、豪華版にしてやるか。
俺はそんなことを考えていた。
それで、次の日は絶対に嫌味を言わずに、機嫌好く二人を送り出してやろう。
留守番も真面目にこなして ・・・、そうだ、夜はこいつの居ない間に私室を本格的に片付けておくのもいいな。
何も望まず、こちらから押し付けても苦しげにするばかりの天蓬に、それでも折角誕生日を知ったからには、何かをしてやりたいと俺は思っていた。
しかし、あれだよな?
これって、考えてみれば、炊事に、掃除に、お留守番 ・・・ ってことだよな。
ま、それも良いか。
本人が自分は目上だと言っていることだし、弟分の贈り物としては、お手伝いとお留守番は悪くないメニューであるはずだ。
次の二日間、俺はなるべく天蓬に寄り添って過ごした。
両日とも待機だったので、西方軍の敷地内に留まっていたあいつに、付き纏うようにして一緒に居てやり、部外者の視線から神経質なまでに遠ざけてやった。
中には見るからに御大身と分かる身形で正門から入って来る奴も居たが、耳打ちした天蓬が全員を知らないと答えたのを良いことに、俺が威圧して追い返してしまった。
結局、夕方になって、何人かの部下が申し訳無さそうに持ち込んだ、強制的な付け届けが幾つか増えただけで済み、俺には充分に気分が悪かったものの、天蓬曰く 『 今年は万々歳に上首尾 』 であったそうだ。
ほっとしている天蓬に手作りの夕食を食わせて早めに寝かせ、次の日も同じようにして夕方まで過ごした。
拘束時間が過ぎた時、俺は部屋まで付いて行って着替えを手伝ってやった。
「 ここまで来たら、最後まで見張って、敖潤に手渡してやる。」
俺がそう言うと、あいつはただ微笑んだ。
自身が軍人で、本来人の警護にも回る立場と自負している天蓬が、言われて良い気のする筈の無い台詞なのだろうが、あいつはあいつなりに何となく俺の目論見を察していたようで、無下に断ったりはせずに大人しくしていた。
敖潤も気付いてはいたようだったが、天蓬が嫌がっていないので、静観を決め込んでいる。
いや ・・・ 寧ろ、降臨の度に何時も何かと皮肉を言ったり、文句を並べ立てていた俺が、協力的なのに安堵しているようにも見えた。
そんなこんなで、何時も恐縮しながら遠慮がちに出掛ける天蓬が、今回は珍しく陽気に 「 では、行って来ます。」 を告げると、出立の際の決め事通り、中庭に立ち敖潤に寄り添った。
ま、こればっかりは何度見ても、見る度、癪に障る図ではあったが、俺はそれでも愛想好く見送ってやった。
さて ・・・ と。
一段落着いた俺はゆっくりと一人で夕食を取り、その後、天蓬の部屋に入り込んで、徹底的な掃除を始めた。
二晩掛けて、あいつが適当に何処かに押し込んでは目に触れなくなったことで片付けた気になっている品物も引っ張り出して、綺麗に整理し、私室の寝室も寝台の下まで徹底的に片付けて、汚れ物を全部取り去り、気持ち良く寝られるようにしてやった。
勿論、昼間の勤務は目一杯真面目にこなした。
普段なら先送りしてしまう面倒臭い書類も全部、その場で片付けておいた。
さもないと戻って来た天蓬がそれを目にしちまうだろ?
だから、勤務時間は精一杯勤務に励んだ上で、夜の時間を利用して部屋の大掃除をしてたって寸法だ。
二日目の夜遅く、すっかり片付いた執務室と私室を眺め、一段落着いて煙草を吹かしながら、俺は考え込んでいた。
やるだけはやったものの、どうにも誕生日の贈り物という気がして来ない。
どれもが最初に自分で思ったように、小さい子供の 『 お手伝い 』 の域を出ていないのが不満だった。
こんなんで、自分の誕生日を祝ってもらっている気がするものだろうか、と俺は訝った。
といって、贈り物はあいつを脅えさせるだけだと言い渡されているし、現にそういう場面を目撃してもいる。
それに、ちょっと言い出してみたときの天蓬自身の答えも、そうして欲しくはないという意向だったろう。
『 年下は、年上より先に死んではいけません。 それだけ守って貰えたら、後は何がどうでも気になりません。』 かあ!
だからといって、こんな金を持たされていない子供のような贈り物ばかりってのも、何となく情けないな。
俺は、そのことに少々の不満を持ちながら自室に戻り、シャワーを使って、そのまま寝てしまった。
明くる朝は非番だったし、天蓬だって敖潤と一緒に戻って来るんだから、そのまま敖潤と食事を取って仕事に就くだろうし、何時もの世話も要らないだろうと、のんびりと眠っていた。
そうしたら、人の気配を感じて目を覚まし、寝台の脇に天蓬が立っているのに気付いて驚いた。
「 おま ・・・。 一体何事だ?」
事態が良く呑み込めない俺が、混乱したままそう訊くと、天蓬はにっこりして見せた。
「 今朝戻って来たんです。 それで ・・・。」
話しながら、あいつは俺の寝台の中ほどに腰を下ろし、ついでに手を着いて、覆い被さるようにして俺を覗き込んだ。
「 貴方の贈り物に気付いたものですから、有り難う ・・・ って言いたくて押し掛けてしまいました。」
「 ふうん?」 と俺は生返事をした。
「 あれ、特別なものに見えたのか? 掃除なら、何時もしてやってるのに?」
天蓬はちょっと微笑んだ。
「 何となく ・・・ いえ ・・・ はっきりと分かります。
何時もよりうんと綺麗だし、徹底しているし ・・・ それに、シーツとか枕カバーが新品に換わっていました。 同じ品物ですが、あれは下ろし立てです。」
「 そうか。」 俺は言った。
「 そいつは良かった。 贈り物は苦手だというし、まぁお前が気持ち良く過ごせれば、それが俺からの祝いだと思っちゃいたが ・・・。」
すると、あいつは何を思ったか、大きく頷くと、毛布の上からだが寝台に身体を横たえてきた。
「 うん ・・・? 疲れちまったのか?」
俺が訊いてやると、クスリと声を立てて笑う。
「 閣下と一緒の時には、疲れるような真似は絶対させて貰えませんから。」
「 もしかして、昼食の時間とか ・・・?」
俺は今度は寝過ごしてしまったのかと疑った。
あいつは毛布越しに俺にぎゅっとしがみ付いてきた。
「 まだ、10時頃の筈です。」
「 だったら ・・・?」
「 自分でも良く分からないので、深く追求しないで下さい。
ただ、こうしたかったんです。」
「 敖潤に何か言われたのか?」
俺が不安になって尋ねると、天蓬はちょっと顔を上げて俺を見たが、直ぐまた顔を押し付けてきた。
「 そんな訳はないでしょう? それに、今回は貴方に快く送り出してもらえたので、心置きなく楽しめました。」
何だ、楽しかったんじゃねえか。
「 だのに ・・・?」
「 充分にしてもらって、仕合せな気分で戻って来たら、また部屋が整えてあって、それに幾つかの品物が新品になっていました。 ああ、贈り物なんだなあ、ってそう思って ・・・。」
俺は内心ギクリとした。
「 苦になっちまった ・・・ ?」
「 ああ、いえ。 でも、不安だったかなぁ ・・・ だから、此処に来てしまったみたいです。」
「 不安って、お前 ・・・。」 俺が思わず顔を見ると、あいつは些か寂しげに笑って見せた。
「 気にしないで下さい。 どうしても慣れられないでいるんです。
閣下も捲簾も、僕には優し過ぎる ・・・。」
どうやら、出発前の俺のサービス振りも、何時ものことながら、行き届いたエスコートの付いた敖潤との旅行も、頗る気に入ってはいたのだと分かって、一安心はした。
だが、こいつは敖潤も言っていたように、仕合せに過ごすことに慣れられないで居る。
それとも、凄まじく悪かった過去の亡霊に脅えて、仕合せだった分だけ後で惨い目に遭うのを怖れているのかも知れなかった。
「 今、いいのか?」
天蓬の乗っかっている毛布を引き抜いて、自分の寝ている同じ空間に引っ張り込もうとしながら、俺は訊いた。
「 大丈夫です。 今日もどうやら待機のようですし、旅行の後ですから、僕が消えていても、誰もが皆、僕が疲れてまた引き篭もっているとしか考えないでしょう。」
俺はあいつの下から完全に毛布を引き抜くと、二人の上にそれを掛け直した。
あいつの身体が直接俺に触れたので、襟元から身体に手を入れた。
さらりとして肌理の細かい、あいつの素肌独特の感触が伝わって来る。
あいつが自分から顔を近付けてきたので迎え入れると、唇を重ねて来た。
出発前に付け届けに滅入っていた時と同じような態度だった。
何となく悪い符合を感じないでもなかったが、俺の方が段々に余裕を失くし始めていて、深くは考えられなかった。
俺は、あいつの肌蹴させた身体を引き寄せ、抱き締めてやった。
同性とは思えない柔らかな肌が触れるのが奇妙に心地良い。
思いがけず起き抜けに自分からやって来たお楽しみに、俺は夢中になり、その後暫らく夢見心地の時間を楽しんだ。
普段からその最中に余り声を出したり、喋ったりしない天蓬が、寛いで甘い息遣いを漏らすのが、聞き慣れていないだけに、何やらぞくっとするほど色っぽく感じられ、気が付けば俺は夢中であいつを抱いていた。
で、どうなったかって?
どうなったも、こうなったも、あんなのはもう、あの時だけだったってことだ。
結局天蓬ってのは、良くも悪くも俺が非番だからといって、自分から勤務をサボって抱かれに来るような気性じゃなかったってことだろう。
あの後天蓬の奴は、すっかり元のあいつに戻って、相変わらず甘え切れないぎくしゃくした反応を示し、俺とのセックスには納得している癖に、いざとなるとおかしな場面で急に緊張しちまって、何度かに一度は俺を受け容れられなくなってしまうという失態を繰り返している。
ま、そこはそれ、受け容れたい気だけは見えるんで、申し訳無さそうに整い過ぎた顔を曇らせるあいつに、俺の方からだけ楽しませてやるのも、他の事でちょっとしたお返しをして貰うのも、そう嫌だという訳でもないんだけどな。
あいつと居ると、不思議にそれだけでも満足出来る気がして、そんな時も何となく、俺はあいつと過ごしちまうんだ。
では、あの時の天蓬はどうなっていたか?ということになるんだろうが、あれはつまり、誕生日がとことん苦手なあいつが、それだけ気弱りしていたってことだったんだと思う。
廊下で肩を落とし、自室で贈り物を呆然と眺めていた時のあいつは、脅え切って、子供のように不安な気分に落ち込んでいたのだろう。
初めに俺が珍しいなと感じた、甘ったれた態度を取ったのも、その不安の只中でだった。
それを、今年は俺に大サービスされ、敖潤とも御機嫌に過ごした後、戻って来れば、また何もかも片付いているのを見て、普段そういうことに冷淡にしか反応しないあいつが、あいつなりに感激したようだ。
ただ、そうなったらなったで、矢張りその大喜びしたらしい感情を表現するのが下手クソで ・・・ いや、寧ろ本人にもどうして良いのか分からなくなっていたのだろう ・・・ 自分を持て余すように俺に会いに来て、強請るなんて態度を見せたというのが真相だったと思う。
敖潤の言うように、あいつには通常の生活に必要な全てに苦手意識があって、慣れさせてゆくしかないのだろう。
全く馬鹿げていると言うしかないくらい、あいつは簡単なことを知らなかったり、出来なかったりする。
だが考えてみれば、それだけ簡単で有り触れた感情さえ手に入れられなかった程に、追い詰められ困窮した幼少期を過ごし、やっと逃れ出てからも、散々に苦労を強いられて来たということでもあったろう。
同情の余地は有る ・・・ というか、あの姿形を思い浮かべながら考えると、何とかしてやりたいとか、せめて俺が盾になってやろうとかいう気持が湧き上がって来る。
・・・ のだが ・・・ ?
「 ああ、捲簾。 そこに居たんですね。」
廊下でぼんやり考え込んでいたら、向こうから天蓬が声を掛けた。
「 丁度良かった。 明日ちょっとした討伐戦を命じられましたので、今からその説明を兼ねて会議です。
まあ、貴方に作戦の説明をするというのも虚しいんですが、一応大将として参加して下さい。」
「 一応って、お前 ・・・。 どういう意味だよ。」
「 貴方、作戦とか指示が有ろうが無かろうが、何時だってやりたい放題やってるじゃありませんか。」
あいつは澄ましてそう言ってのけた。
「 馬鹿野郎、あれは臨機応変と呼ぶんだよ。 やりたい放題じゃなく。
第一、基本はお前の指示通りだろうが?」
「 基本は ・・・ ねえ?」
親指と中指で眼鏡を押し上げる動作をしながら、疑わしそうな声を出しやがる。
何を今更、俺の暴走なんか心配してるんだか。
何時だって終わってみれば、俺の暴走部分も最初から計算に入っていたような作戦指令ばかり繰り出してたじゃねえか、お前は。
いいや、それどころか、表立って口に出せないような内容を、俺が規則を踏み躙る部分に賭けていました ・・・ みたいな作戦だったことすらあった!
それを今更、人を問題児扱いしやがって ・・・。
「 お前なあ ・・・。」
俺が食いつき掛けると、気配を察した天蓬はあっさり退いた。
「 まぁ僕にも、あなたのその 『 柔軟性 』 に賭けてみたことはありましたが。」 ときた。
ぶん殴ってやろうか、こいつ?
俺が唸り声を上げると、あいつは 「 兎に角参加するんでしたら、今直ぐどうぞ。 僕も今から行く所です。」 と、そのまま廊下を横切ってゆこうとする。
「 こら待て。 俺も行く。」
俺は追い掛けていって、天蓬に並んだ。
あいつは振り向きもしないまま、背筋を伸ばして会議室まで黙って歩いて行った。
何だかんだ言ってみても、要するにこれが天蓬という訳だ。
あの旅行の後、何時もより少なかった付け届けを竜王経由で返して貰って、今ではすっかり元通りだ。
何が元で、どんなのが正体なんだか、俺には未だに良く分からんが。
そうやって、あいつはまたも素っ気無く、時に冷淡にすら見える何時もの天蓬に戻ってしまったが、それでも最近気紛れにだが、稀に可愛らしいことを言ったりもするようになっていたのが、ほんのちょっぴりその割合を増した。
過去が手痛かった所為か、本当に見ていても焦れったくなるような遅い歩みだ。
どう考えても、誰がそんなものに付き合いたいもんか、と思う歯痒い進歩なのだが、それに付き合いたいどころか積極的に構ってやりたい大馬鹿が、身近な所だけで二名も居る。
少し離れたところから見守っているらしい並の馬鹿も、観音や金蝉や竜王など、結構控えているらしい。
立場上そう親密ではないので遠慮がちに見守っている程度の小馬鹿で良けりゃ、西方軍に溢れ返ってもいる。
それだけ、あいつが欠陥も大きい代わりに、それを上回る美点をも備え持っているということなのだ、と納得せざるを得なかった。
考えてみりゃ、敖潤だって、全く蔑んでいるという気配も無しに、何やら楽しげにあいつのことを、うちの欠陥軍師とか呼んでいた。
あの旦那は最初から分かって付き合っていやがったのだ、と思い知ったね。
会議の後、俺はまたしてもとっとと一人で部屋を出て行ってしまった天蓬の後を追い、奴に並んで歩き始めた。
「 今度の作戦にも、俺のやりたい放題を見込んだような所があるのは、俺の気の所為か?」
俺はこちらも向かないで歩き続けるあいつにそう話し掛けた。
あいつはすうっと自然に速度を落とすと、不意に愛想の良い笑顔を俺に振り向けた。
「 さあ ・・・ どうでしょう?」
「 ・・・ ったく! お前と来たら!」
俺が睨み付けると、あいつはその場に立ち止まって、その場所が人通りの無い兵営の端だったのを良いことに、俺に手を伸ばしてきた。
とは言っても、手を軍服の上から俺の胸に宛がっただけのことなんだが。
「 捲簾 ・・・。」 静もってはいたが、優しい響きの感じられる声だった。
「 この間のことは本当に嬉しかったんです ・・・。」
「 うん ・・・?」
「 それで、僕 ・・・。」
ちょっともじもじした仕草。
それだけのことで、俺は一度に溶け落ちた。
「 うん。 どうしたって ・・・?」
「 昨夜、ちょっとした書類を見失ってしまいまして ・・・。」
はい? 書類を見失ったって ・・・?
「 僕流に探したら、出ては来たんですが、気が付けば部屋がその ・・・。」
「 滅茶苦茶?」
天蓬は胸をまさぐっていた手を止めて、俺に顔を向けると、「 あはははは ・・・。」 なんて脱力したみたいな笑い方をした。
「 今部屋に戻っても、座る場所さえありません。」
「 お前は ・・・!!」
俺は言い掛けたが、それ以上言うと、「 敖潤閣下の所へ泊めて貰う 」 などと言い出しかねないので諦めた。
「 もう良い。 俺の部屋に居ろ。 俺が何とかするから。」
「 僕も行って手伝います。」
何が手伝います、だ。 最初からお前の仕事だろうに。
それに、そういう場面でのこいつの手伝いなんぞ、精々がそこいら辺の本を片付け掛けて、ついでにパラパラと捲って見た挙句、引き込まれてその場にへたり込み、終いには読書に熱中するといった程度の意味合いでしかなく、助けになどなった例(ためし)が無い。
「 いいから! お前は俺のところへ ・・・。」
そう言い掛けた時、何故かこんな場所を敖潤が通り掛った。
「 天蓬 ・・・。」
奴が呼び掛けると、天蓬はさっと姿勢を正して敖潤に向かい合い、
「 たった今、作戦の説明を終えた所です。」 と報告する。
知らない奴が見たら、てんで普通の司令官兼軍師だよな。
「 御苦労だった。」 敖潤が鷹揚に頷いた。
「 ところで、父上が仕事が終わったという報告を下さったついでに、珍しい酒も贈って下さった。 今から飲みに来ないか? お前も掃除の邪魔にならなくて良かろう。」
・・・ って、ちゃっかり聞いてやがったのかよ!?
そんな訳で、天蓬は敖潤に掻っ攫われ、俺は何の因果か独りで、本来自分の仕事でも何でもない部屋の掃除をしている。
それにしても、態々自分から 『 座る場所さえ無い 』 と打ち明けただけあって、半端じゃない散らかしようだった。
何をどうやったら、探し物一つで、これをこんな風に出来るものだか、俺には永遠の謎って奴だろう。
それでも、気持ち良く整えてやった部屋に戻った時、あいつは好い顔をして笑う。
この間は、嫌がっていた誕生日が無事通り過ぎた事も手伝って、まるで別人みたいに愛想好くなりもした。
そういう笑顔の断片でも頭に浮かぶと、俺はやっぱりとことんあいつに弱い。
結局それが見たくて見たくて仕方がないんだ。
そうか ・・・ こういうのが、品物を届けられることに強く抵抗する天蓬の気に入りの贈り物か ・・・ そう思うと、馬鹿みたいに張り切ったりもする。
さっき、いい所だけを掻っ攫ったように見えた最高責任者様にしたところで、俺が居なければ、自分でこれをやっているらしい。
俺も敖潤も、観音も金蝉も、それから西方軍の奴らも、みんな賢くはないということなんだろう。
だけど、賢いことばかりして暮らす人生に何の意味が有るってんだ?
結局、人は馬鹿らしいと分かっていても、ちょっとした仕合せが欲しくて、こういうことを繰り返すんだろう。
そんな風に、俺は思った。
でもまあ、中でも俺は、特別に大馬鹿なんだろうという気分は残っちまったが ・・・。