人 形 ( Pygmalion )












西方軍の兵営の廊下で、支柱に背中を預けて凭れ掛かった天蓬が、ぼんやりと兵営内を往き来する部下達を眺めていた。
他軍で天蓬と同じ立場の者がそんな行動を取れば、何事だろうと皆が目を剥くのだろうが、此処では天蓬のこうした無意味な行動は既に馴染みのものであり、誰も何とも言わない。
それどころか、天才的と言われるその頭脳がひょっとしてこうした奇行から来ているのかも知れないと考える西方軍の兵士達は、冷え込んだ夜に薄着のままでそうしていれば上着くらいは持って来てやるのだろうが、そうでない場合にはそっとしておくのが一番だとさえ心得ていた。
勿論、奇行は天才の条件でも何でも無いと知っている一部の友人や側近が見掛ければ、怒鳴り付けてでも回収するのだろうが、今のところそういう人物は通り掛ってはいなかった。
天蓬はもう小一時間もそんな風にして、ただ時間を潰している。


その日、天蓬は少々落ち込んでいた。
朝から捲簾に散々に小言を言われていたのだが、それには煩いと感じることはあっても、憂鬱になったり落ち込んだりはしない。
元々捲簾は風貌に似合わず、まめで面倒見が良い男なのだ。殊に部下や目下に対する思い遣りの深さには定評があった。
天蓬はきっと、体格に劣る自分を、捲簾が独特の正義感とか騎士道精神といった心理で、庇わなくてはならないと感じているのだろうと考えていた。
実際、捲簾が天蓬に付ける文句の大半は、食事の量の少なさとか、生活態度の悪さに纏わる些細なことであり、戦略や戦闘技術への非難は一切無かったのだから、天蓬がそう考えて軽く受け流すのも無理は無かった。
それでも、朝一番から髪の毛の寝癖に文句を言われ、気を取り直して朝食を取っていると量が少ないと貶され、調練に出ればまた、靴くらい履いて来いと苦情をぶつけられれば、流石に気分が悪い。
むっとした天蓬は、その靴すら履いていない格好で捲簾に練習試合の相手をさせ、手加減を加えず叩きのめして、とっとと調練場から引き上げた。
それで、多少気が済んでいたのだったが、調練場から引き上げる途中に敖潤と出会い、声を掛けられたのが、本日の天蓬の落ち込みの原因である。
「 どうかしたのか?」
何かが僅かに何時もと違うとでも感じたのだろう。そういうことには目敏い敖潤は、会釈して通り過ぎようとする天蓬を呼び止めると、直ぐにそう尋ねて寄越した。
「 いえ、どうもしません。朝から立て続けに捲簾に小言を言われたので、むっとしていただけです。」
天蓬は未だに多少燻り続ける不機嫌のままに、何時になく明け透けに答えた。
「 仕方の無い奴だ。」 と敖潤は笑った。
「 どうせ、お前は人の命令など、ちっとも聞かんのにな。」
「 え ・・・?」
天蓬は敖潤の口を衝いて出た意外な言葉に息を呑んだ。
「 そんな ・・・。」
元より素直で従順な気性だなどとは、自分でも思ってはいなかった。
それにしても他ならぬ敖潤に、こうもあっさりとそう言われてしまったのには驚いた。
天蓬は天蓬なりに、敖潤に対しては気を遣っていた心算りであり、そうでなくとも、その言動が絶対に正しいと信じて疑わぬ敖潤には、意識せずとも服従出来ていると思い込んで来たのである。
そんな人物の口から、『 お前は人の命令など、ちっとも聞かん。』 という台詞が出れば、普段他人の評価になど無頓着な天蓬にも、充分堪(こた)えた。
いきなりぶつけられた低評価に、愕然として引き攣っている天蓬の様子に、実は敖潤の方でも充分に驚いていた。
― 天蓬にこんなに寂しそうな顔をさせてしまったか!―
途端に後悔したが、己にそれをスムースに挽回出来る気の利いた台詞を繰り出せる才能があるとも思えない。
軍人一族に生まれ育って無骨なばかりの自分に、こんな華麗な姿をした者が馴染んで付いて来ただけでも奇跡だと常々思っていたくらいだ。
咄嗟に、これ以上嫌われたくない!という自己防衛が働き、一旦会話を終了させようとした。
実際、此処を通り掛かったのも上層への報告の途中であり、ゆっくり説明している暇など本当に無かった。
「 後でな、天蓬。今は上層に出頭せねばならん。そうだ ・・・ 夕食を一緒に取ろう。その時ゆっくり話したいから、捲簾の方、断っておけ。」
これ以上拗(こじ)らせたくない一心で口早にそれだけ言うと、敖潤はさっさとその場を離れてしまった。
要するに天蓬が感じているほどには、二人の関係が敖潤の絶対有利に固定されているという訳でも無いというだけのことなのだが、天蓬にはこの辺りの事情が今ひとつ理解出来ていない。
簡単に突き放された気がした天蓬は、今度こそ落ち込んだ。
足早やに遠ざかってゆく敖潤を見送り、がっくりと肩を落とすと、近くにあった回廊の支柱に凭れ、そのまま考え事に耽ってしまった。
先程まで然程本気で気にしていた訳でもなかった捲簾の言葉が、改めて気に掛かり始めていた。
欠点だらけで、素直じゃなくて、言う事を全然聞かないし ・・・ と捲簾がしょっちゅう愚痴っていた言葉までもがついでに思い出されて頭の中で勝手に連続再生される。
自身がこの世で一番敬意を払っていると感じていた敖潤までが、あんな評価を下すようでは、横並びの付き合いだと思って気さくに付き合ってきた捲簾の目には、どう映っていたのだろうと考えると、空恐ろしくなった。
違う ・・・ そうじゃない。逆らうのが目的ではなかった筈だ。
― ボクにはただ ・・・ 時々譲れないものがあって、それで・・・。―
敖潤にも捲簾にも感謝もしていれば、最大限に大切にもして来た筈なのに、少しも気持ちが通じていなかったのだろうか、と情けなくなっていた。
独りで落ち込んだ思考の中を堂々巡りしていたところへ、不意に後ろから声が掛けられた。
「 天蓬元帥 ・・・?こんなところにいらしたのですか。」





はっと我に返り、顔を上げて前に回りこんで来た相手を見れば、統括本部に所属する若い部員であった。
時々、このように伝令の役割も果たす。
「 出動命令です。緊急というほどでもなくて、調査の上、必要有らば捕獲せよということなのですが ・・・。」
まだはっきりしない思考回路を無理矢理立て直して、伝令の差し出す指令書を受け取って眺めてみた天蓬は顔を顰めた。
場所と妖怪の名前に見覚えが有る。
「 これは ・・・。ボクが以前に封印した妖怪の倅 ・・・?」
伝令は頷いた。
「 ええ。それで、もう一度西方軍に、と。」
「 特に被害も出ていない様子なのに何故です?」
「 それは、ここでは何ですので、お部屋に戻って ・・・。」
そう言われて、天蓬は伝令を伴って自室に戻った。


「 天界が気にしたのは噂なのです。」
二人が部屋に戻ると、この場所では珍しく天蓬よりも若いと思われる伝令の若者が切り出した。
天蓬は戻った部屋の窓を開けて回っていた。外から吹き込む風が寝癖の取れない髪を弄んでゆく。
まだ気の晴れていない天蓬には、それが心地良かったが、伝令はそういう状態が好きではなかったのだろう、露骨に嫌な顔をした。
「 噂って?」
窓を閉めてやろうともせずに、ただ尋ねる。
「 天界人が攫(さら)われ、その息子の居城に囚われの身となっているらしい。そんな噂があって、その調査を命じられました。先ずは事の真偽を確かめさせよ、というのが上層の意向です。」
天蓬は首を傾げながら、もう一度指令書を見直した。
攫われたという天界人のことなど何処にも書かれてはいない。
表立って指令書に記載された指令は、あくまで調査であり、異変有らば適宜善処せよと歯切れの悪い書き方がされていた。
「 上層にしては曖昧な言い方をするんですね。何故万全の準備をして奪還に向かえ ・・・ と言わないのだか。」
伝令は頷いた。
「 無理も無いのです。天界の記録には、該当する期間に行方不明者の記載が無いのですから。」
「 被害者 ・・・ 無し?」
若者は、目撃されたのはここ数年なのだが、その間には軍部の討伐があった以外、地上に降り立った天界人がいなかったのだと説明した。
上級神の降臨も一度も無かった、とも教えた後咳払いをして、少々気恥ずかしげに付け加えた。
「 目撃されたのは、世にも美しい姫君だそうで ・・・。その倅が早朝に居城の周辺を散歩させていたらしいというのです。」
「 綺麗な姫君 ・・・ ですか。」
天蓬がぼんやりと復唱すると、若者は 「 ええ。」 と答えた。
上層は、目撃された姫君は普通ではない美しさだと考えていた。
何しろ数回目撃されただけで、噂になって天界にまで届くほどだから、というのがその根拠であった。
しかし、それでは却って辻褄が合わないだろう。
「 でも、逆にそれ程の美しさなら、居なくなった方でも大騒ぎになるのでは ・・・?」
若者が同意した。
「 その通りでしょう。だから、上層もそういう命令にせざるを得なかった訳です。」


天蓬はもう一度窓辺りに戻り、少々身を乗り出し気味にして、態とに髪の毛を風邪に弄らせた。前回の討伐戦のことを思い出そうとしている。
捲簾の着任以前の昔のことではあったが、それは色々な意味で印象に残る点の多い討伐であった。
父親を捕獲した後、奥の部屋を開けてみると、そこに居たのがまだ少年だった頃の妖怪の倅だった。
騒乱には参加させていなかったらしく、居城の奥に匿うようにして暮らさせていた。
凶暴な父親を持ちながら、物静かで読書好きな倅であったと記憶している。
綺麗に整頓された部屋には、窓辺りに花を飾っていたっけ ・・・。
天蓬が飛び掛ろうとする部下たちを制して、花が好きなんですか?と声を掛けると、こくんと首を縦に振って、頼りなげな目付きで天蓬を見上げた。
親に似ぬ子というヤツだったのだろう。肢体が細く儚げで、身体も余り丈夫そうではなかった。
哀れに思った天蓬は少年を寝台に座らせ、父親が封印されたと告げた後、震えて身を強張らせている少年に暫く話をしてやった。
― ボクは貴方が悪さをしていたとは思っていません。ですから、貴方は見逃すつもりです。
人も妖怪も所詮は独りで生まれ、独りで死んでゆくもの。
此処に残って封印された父上の守をして暮らすも、出て行くも自由ですが、貴方はこの先も成敗されるようなことをしないで下さい。
何時までも花を愛でて暮らしていて欲しいんです。―
可哀想だとは思ったが、そんなことを言って聞かせた。
父親を封印されて、心穏やかに暮らせる筈など無いと分かっていながら、立場上それしか言ってやりようが無かった。
相手はただ、寂しげに天蓬を眺めていた。
あの時の少年か ・・・。天蓬は唇を噛んだ。
今頃はすっかり成人している筈だが、それにしても ・・・ と思う。
暫く回想に耽った後、天蓬は伝令の方を振り返り、確認してみた。
「 それに、その妖怪の息子ですけれど。学問好きなばかりの大人しい子で、前回、害は無かろうと判断したので、自由にしておいた筈なんですが。」
伝令はそれについてなら、分かっているという顔をした。
届けの無い不明の天界人以外の情報なら、既に集まっていたのだろう。
「 ああ ・・・ その辺の事情は実際に少々変わってしまったようですね。最近では手荒い強奪などもやっているようです。」
前回の討伐戦で落ち延びた部下たちが、息子を盛り立てて、現在の盗賊集団を形成しているらしい。
思わず溜息が出た。
年月の経過が彼を変貌させたのだろうか。それとも父親譲りの性格が目を覚ましたのかも知れない。
気は重いが、そういうことなら自分が行くしかないだろう、と天蓬は思った。
超別嬪の姫君のおまけ付きなら、捲簾が大喜びしそうだ。
天蓬は席に戻って、指令書の一部をクリップボードに挟みながら、若者に承知しましたと告げた。




指令書に拠ると、相手はそう大きな集団になっているという訳でもなかった。
精々が父親時代の残党が、少々暴れて荒稼ぎをしているといったところであり、規模は地上の人間の盗賊集団と変わりがない。
天界人が攫われているのかも知れないという情報が無ければ、出動は命じられていなかったに違いない案件である。
天蓬は捲簾の私室を訪れて、指令書を渡し、人員を見繕わせた。
「 永繕の小隊を連れてゆくか。」
組んだ両手で頭の後ろを支え、椅子からそっくり返りながら発された捲簾の言葉に、不審気な顔を向けた。
「 またですか?先週の出動も彼らでしたよ?」
立て続けの出動となることは、捲簾にも分かってはいる。それでも、捲簾には、やはり今回永繕の協力が欲しい気がしていた。
「 永繕は、お前が最初に引き取った男だと言ってたろう?ずっと居て、前回のこいつらの討伐にも参加したのじゃないのか?」
「 その通りですが ・・・。」 天蓬は頷いた。
「 同じ面子である必要が有るのですか?」
捲簾の反応は曖昧だった。
頭に指を入れて引っ掻きながら、「 うーん。」 と唸っている。
「 何の根拠も無い、所謂第六感ってヤツだが、何と無く悪い予感がする。」
「 悪い予感だなんて。超別嬪さんと御近付きになれるかも知れない案件だというのに。」
捲簾がふふんと鼻を鳴らす。
「 もう、それいい。最近、別嬪には食傷気味だから。」
言われて天蓬は目を丸くした。
「 え ・・・?そんなにお盛んだったんですか?」
捲簾はピクリと肩を引き攣らせた。
「 いっぺん殴り倒してやろうか、この馬鹿は。部屋をゴミ溜めにして暮らし、飯も碌すっぽ食わねえ癖の悪い別嬪のこったよ。」
「 あはは ・・・。」 天蓬には笑うしかなかった。
「 まだ怒っていたんですね。食事のことは余り言って欲しく無いのになぁ。」
「 何でだよ。」
話がここに及ぶと捲簾には毎度、冗談とか受け流しが利かないのである。
笑って遣り過ごしたかった天蓬に、理由まで問うてくる。
「 食が細いんです。子供時代に余り食べなかったので、その器官が萎縮しているのでしょう。」
「 違うさ。」 嫌になるほど真剣な声が返って来た。
「 萎縮してるのは器官じゃねえ。お前の気持ちの方だ。」
折角中断されていた小言が再開されてしまった。朝の分だけでは中々気が済んではいなかったようだ。
お前には食うことが罪悪なんだよ。お前を見てると、自分が優秀じゃないからこんなに食べなくちゃならないんだと思い詰めているみたいだ。
食欲は身体の欠陥なんかじゃないだろうに、お前はそれを取り違えている。
だから、喧しく言ってやらないといけないんだ。
捲簾が何時もと同じようなことを言う。
天蓬は逃れるように立ち上がった。
「 分かりました。では永繕に来てもらいます。ボクも着替えて来ます。後でゲートで ・・・。」
部屋を出て行こうとする天蓬に背中から声が掛かった。
「 言い返せねえんだろう、天蓬?」
ただ、黙ってドアを閉めて外に出た。





同じ討伐戦といっても、今回の仕事は楽であった。
相手は少人数。戦力も大したことは無い。
呆気無く片付いて妖怪の居城の内部にまで踏み込んだ時には、天蓬が、自分独りで来た方が良かったのではないかと思ったほどであった。
目指す相手は居城の中心に近い部屋に居た。
嘗てその父親を捕らえた同じ部屋である。
部下は既に片付けており、残りは現在の当主である筈のそ奴だけだ。
少々気を滅入らせながら扉を開くと、その男が反対側の椅子に腰掛けていて、こちらを見た。
「 天蓬 ・・・?あんたが来たのか。」
到着前に温生という名だと聞かされていた妖怪の青年は、驚いたように天蓬を見上げた。
捲簾は再び悪い予感に襲われた。
― こいつ、名前を覚えていやがったのか。―
遠い昔、天蓬が見逃したという書物好きの痩せた少年は、がっちりした青年に成長していたが、凶暴そうには見えなかった。
「 貴方が強盗まがいのことをするなんて ・・・。」
天蓬がそう呟くと、妖怪の青年は寂しそうな笑い方をした。
「 それしか稼ぎ方を知らなかったんでね。でも、そうか、あんたが来たか。」
もう一度くっくっくと笑うと、天を見上げた。
追い詰められた妖怪にしては何か様子がおかしいとは感じたが、天蓬は構わず尋ねた。
「 貴方が攫ってきたという天界人は何処なんです?」
「 俺が攫った ・・・?ああ ・・・ そういう通報で来たのか。あんたらは。」
温生は最初、不思議そうにしたが、何を問われているのかに気付くと、更に奥の部屋を顎で示し、あっさりと鍵を投げて寄越した。
「 向こうの部屋だ。あんたも一度踏み込んだことのある ・・・。」
「 出窓に花を飾っていたあの ・・・?」
天蓬が確認すると、温生は今度ははっきりと笑った。
「 あんたも覚えていてくれたのか。そうか。」 一頻り笑うと急に表情を引き攣らせ、天蓬の方に向き直った。
「 やれよ。もうし残したことは何も無い。その鍵も本物だ。それでお探しの天界人は見付かるだろう。」
永繕が指示を仰ぐように天蓬を振り返った。
天蓬はゆっくりと頷いた。
永繕は部屋の一角に妖怪を引き立て封印を施した。
手を差し出した捲簾に鍵を渡し、天蓬は暫く永繕の作業を見守っていた。
何故か温生は自分に手を掛けている永繕に一切の注意を払わず、天蓬を眺め続けていた。
既に笑いを止めた表情は何処か寂しげで、昔父親を失った直後に見た少年を思い出させたが、その時には無かった諦念が今は見て取れる。
これで最後という場面で、妖怪は天蓬を見据えたまま呟いた。
「 怒るなよな?あれに罪は無い。本当に純粋だったんだ。・・・ 罪も穢れも無い美の結晶だ。」
最後の瞬間に唇だけが動いて、音の無い言葉が送られ、妖怪は封印され凍結された。
唇の動きは、確かに 「 さらば 」 であった。
攫って来たという天界人に対してのはずだが、目付きはまるで天蓬に言っているようであった。
当惑しながら凍結された温生を眺めていると、奥の部屋を確認に行った捲簾がこちらに戻って来る。
「 天蓬 ・・・。」
捲簾も困惑したような声で話し掛けた。
「 ちょっとその ・・・ 問題有り ・・・ だ。」
相手妖怪たちの処理が全部済んでいるとあって、その場に居たものが全員付いて行こうとしたが、捲簾はそれを遮った。
「 お前たちは此処に居ろ。天蓬とそれから ・・・。」 暫し躊躇って、「 永繕。お前だけ付いて来い。」
今日連れて来た者は全員西方軍の古参で信頼が置ける者達ばかりなのに、と天蓬は訝ったが、永繕を加える際にまで躊躇いを見せた捲簾の様子からも、余程の事態だと推測出来る。
「 では、貴方方は此処で待機していて下さい。ボクと永繕で見て来ます。」
天蓬が先に立って奥に進み、捲簾と永繕が従って行った。


「 これは ・・・?!」
天蓬は絶句した。
部屋に閉じ込められていたのは姫君ではなく、若い男性であった。
髪を伸ばして、少量取った前髪を両側から後ろに回し、飾り紐で結んでおり、細い顎と整った面立ちが目撃者に女性だと見誤らせたらしい。
しかし、問題は性別どころではなかった。
その若者は天蓬そっくりだったのである。
いや、似ているなどという生易しいものではない。何処からどう見ようが、天蓬本人としか見えない。
眼鏡は掛けていないし、これほど髪の手入れに気を遣った天蓬というのも見たことはなかったが、顔立ちと身体つきは正に天蓬そのものであった。
天蓬は顔を赤らめながら二人の方を見た。
何しろ目の前に居る自身にそっくりな男は、一糸纏わぬ姿で、先程まで休んでいたらしい寝台に半身を起こしていたのだ。
それでなくとも、自身に瓜二つなどという生き物が別個に存在し、それを己が眺めているというだけで、生理的な拒否感に襲われている天蓬には、何とも刺激が強過ぎた。
しかも、そいつには恥ずかしがっている様子すら無く、隠そうと思えば足下に畳まれている毛布を引き被れば良いだけなのにそうしようともせず、下半身まで惜しげも無く曝け出していた。
天蓬は努めて冷静になろうとした。
そのような嫌悪感をそのまま相手にぶつけるのは、職責に対して余りにも不甲斐無い。
精一杯事務的に、先ず名前を確かめようとする。
「 貴方の名前は?」
若者は穏やかな小声で訊き返して来た。「 名前って ・・・?」
三人が同時に互いに顔を見合わせた。
男性としては少々高めの音域。しかし、甲高い硬さの無い柔らかな声が気持ち良く耳に響く。
・・・ つまり、天蓬と同じ声だったのである。
これは徒事ではない、と誰もが思った。
「 お前が温生から何と呼ばれてたか、ってこったよ。」
今度こそ固まってしまった天蓬の代わりに、捲簾が尋ねてやった。
若者はまるで、どうでも良くて忘れ去っていたことでも思い出そうとするかのように首を傾げ、暫く考え込んでいたが、やがて思い当たったというように頷くと、返事を返した。
「 てんぽう ・・・ そう呼ばれていましたが?」





天蓬が絶望的に顔を顰めた。
無論、後の二人にしても気分が良かろう筈は無い。
目の前で全裸の姿を晒し、平気でいる生き物が、如何なる理由でだか知らないが、天蓬に関係の有る存在に見えてくる。
見かねた永繕が進み出て、自分の軍服の外套を脱ぎ、その若者に引っ掛けてやったが、それでも若者の方は、された意味が分からないとでも言いたげな顔をしていた。
しかも、西方軍の軍服を羽織らせられた若者は、益々天蓬そのものである。
「 もうっ!!紛らわしいことをしないで下さい!」
堪り兼ねた天蓬が脇のクローゼットに駆け寄って開くと、そこには豪奢な衣装がずらりと並んでいた。
どれも高級品であるらしいそれらは皆、細身に仕立てられており、どうやら全てが若者のために用意された衣服であるらしい。
その中から一枚を掴み出すと、天蓬は若者にそれを投げ付けて、これを着て、と命じた。
着れば着たで、今度は敖潤と出掛ける時の天蓬に似てしまうだけだろうとしか思えなかったが、流石に天蓬に悪くてそうは指摘出来ず、永繕は黙って若者から自分の軍服を回収し、天蓬の投げ寄越した着物を着せてやろうとした。
先程誤魔化しに外套を引っ掛けたときと違って、ちゃんと着替えをさせてやろうとして、初めてまともに若者の背中を見た永繕は、はっとして思わず後退(あとじさ)った。
完璧なまでの美しさを持った若者は、その肌も雪のように白く、肌理細やかだったのだが、その背中には夥しい鞭傷が付いている。
永繕の発見に捲簾も覗き込み、二人が鞭傷を目で追うと、それは尻の辺りまで下に続いており、そこで前に回り込んで下腹部へと続いていた。
改めて覗いてみるとその辺りを集中的に打たれていたようだった。
場所が場所だけに、生々しく残る傷跡が何とも痛々しい。
念の為に、と服を着せる前に他も少し調べて見たところ、尻には激しい陵辱の後が残されている。
捲簾が眉を顰めた。
「 酷いな。乱暴に抱いては、完治期間も置かずにまた使いましたって感じだ。」
流石に天蓬は直接見る気にはなれなかったが、二人から覗き込まれて困った様子の若者の気を逸らしてやろうと声を掛けた。
「 温生がやったのですか?」
若者はこくんと首を縦に振った。
「 痛くなかったんですか?辛かったでしょう?」
重ねて訊いてみたが、その質問には戸惑っている様子である。
「 その時は痛かったですが、何故?辛いって何がです?」
「 ですから ・・・ もっと優しくされたかったのでは ・・・?」
「 温生様にでしょうか?優しくして貰っていました。」
そう言うと、若者はにこっと微笑んだ。
天蓬と同じ唇が同じような角度に持ち上がり、同じ翡翠の目が嬉しそうな輝きを放つ。
何もかもがそっくりでありながら、何処かが違う微笑みである。
若者の方が先行きに憂い事を持たぬ分だけ、仕合わせそうに見えた。
恐らくは、痛みもその場だけのもので、苦痛が通り過ぎてしまえば、この若者には、鞭打たれた屈辱感や、狙われた場所が生殖器の周辺だということに対する恨みなどの感情は、残らないのだろう。
その割り切り方は、天蓬が目指して目指し切れなかったものであった。
天蓬が得体の知れぬ感慨を抱き始めていた時、永繕が若者に着物を着せ終えた。
予想通り、丁度天蓬が敖潤に連れ出される前に着替えをさせられた時と同じような雰囲気だが、髪をきちんと結っている分、こちらの方が一段良く似合っている。
「 綺麗だ ・・・。」 捲簾が我知らず溜息を漏らした。
こうして居れば、本当に何処ぞの姫君のようだと思う。
そう言えば、この部屋自体が中々立派な造りであり、置かれている家具・調度も良い品ばかりである。しかもきちんと片付いてもいる。
「 それに、お前、部屋を綺麗に使っているんだな。」
若者は一層深く、歯が覗く程に微笑んだ。美しく屈託の無い笑顔であり、先程眺め回された苦痛を、早くも綺麗さっぱり忘れてしまっている。
「 何時も綺麗にしておくように言われていました。」
「 だのに、何でそんなに酷い罰を受けた?」
またも、分からないという顔をする。
「 罰など受けていませんが ・・・?何時も優しくされていました。」
何だこいつは、と捲簾は思った。
「 身体の傷は?」 と促してみると、
「 あれは ・・・ セックスの時そうするものでしょう?」
と、傷付けられて当然という言い方をした。
「 あんなにされるんじゃ、いくら良くたって、お前 ・・・。」
「 良いっていうのも分かりませんが、温生様は良さそうでした。」
捲簾が呆れて首を振った。


一見何もかもが正常のようで、言葉も理解すれば、質問にも答える。
その癖、その反応には一々違和感が付き纏う。
その後も、三人で暫くあれこれ質問したのだが、それで分かったことは、そう多くはなく、どれもが曖昧で、子供がするたどたどしい説明のように纏まりが無かった。
青年には温生と暮らしていた以前の記憶が無く、覚えている限り最初の記憶は、この居城の地下の実験室のような場所から始まるということ。
ある日そこから出されて、今居る部屋に移されたのだということ。
それ以降、この場所で機嫌良く温生に世話されて生きていたということ。
青年には逃げようとする気持ちなどなく、施錠は専ら外からの進入を防ぐ目的であったこと。
クローゼットの中にぎっしり納められた衣装や、この部屋に持ち込まれた贅沢な家具、食事などのために温生が盗賊紛(まが)いの稼ぎ方をしていたこと。・・・ 等々である。
三人共、既に若者の正体に見当が付いていた。
恐らくは、天蓬が前回此処に来た際に落としていった髪の毛か何かから作られたクローンであるようだ。
捲簾が、「 お前の御主人様は封印されちまったぞ。」 と教えてやると、青年は一瞬寂しそうな顔をして俯いてしまったが、ややあってぼそりと言った。
「 貴方方の誰かが、ボクを引き取って下さるのですか?」
「 お前は ・・・。」 捲簾が益々呆れて、忌まわしそうに舌打ちした。
「 今、温生が封印されたと聞いたのに、哀しんでやりもせんのか?しかも、それをしたと言っている奴の世話を受けようとするのか?」
「 いえ ・・・ その気があれば、ということです。」
あの日 ・・・ 未だ幼さを残した少年時代の温生は、彼の生涯最大の哀しみの中で天蓬に出逢い、優しく声を掛けられた。
言葉の内容は優しくしてやりたくともしてやりようの無い状況の中で、冷たいものにならざるを得なかったものの、温生には天蓬の哀しみが伝わっていたのだろう。
そう言えば、その時天蓬を見上げていた温生の眼差しは、親の敵(かたき)に向けられるべきものとは程遠かった。永繕は、温生がその時天蓬に惚れてしまったのだろうと考えた。
その後も天蓬に憧れ続けた温生が、とうとう苦心して拵えたのが、このクローンであるに違いなかった。
殆ど唯一の宝物であったにしては、出来が良くないと、捲簾も永繕も考えた。
一人目の主人を失えば、もう次の主人を探す算段をしていやがる、と。
二人はこの時点で、若者を意志を持つものとは見做せなくなっていた。
こういう欠陥を持つが故に、当の温生にも最後までこれを、天蓬の代用品とは認められなかったのではなかろうか?
折角作っておきながら、その身体に加えた激しい拷問の跡が、温生が満足出来ず、苛立っていたことを推測させた。
その癖、衣装や家具に気を遣い、強盗にまで手を染めているほどに、外観には天蓬との共通項を見出していて、離れ難かったのだろう。
本人に罪は無いとは言え、惨いものだと二人には思えた。
しかし、その同じ質疑応答を聞いていながら、最初、自身に似ていることで強い嫌悪感を持ったはずの天蓬が、二人とは別の印象を持ち始めていた。
天蓬には温生の世話を受けて満足して暮らし、温生が滅ぼされたと聞かされて尚、その相手に世話されてでも生き延びたいと願う若者の単純さを羨ましいと感じていた。
悩み事が無く、生きていることが楽しかったのだろう。
若者は捲簾に叱られたのちも、素直に三人に応じている。
気性も真っ直ぐで穏やかだと思う。
温生が、最後に言い残した言葉、『 あれに罪は無い。本当に純粋だったんだ。・・・ 罪も穢れも無い美の結晶だ。』 が、どういう意味だったのかが、分かったような気がしていた。
そして、その後の 『 さらば 』 が、自分に向けられたものだとも、今は理解している。
天蓬は、その若者を助けてやりたいと思うようになっていた。


そんなこんなの遣り取りがあった後、今や微妙に意識のずれ始めている三人が、改めて若者をどうすべきかを考えた。
上層には、天界人が攫われてきたらしいという噂はデマだったと報告して、若者を放してやるべきだろう、と天蓬は言った。
しかしその言葉に捲簾はあからさまな不快感を示した。
報告はそれで良いが、この若者は温生と共に封印すべきだと言う。
「 何故です?本人は何も分かっていないのに。」
天蓬は驚いて反論した。
捲簾は此処に有る贅沢品が、その若者のために集められたものだという点を挙げて、動機を作った張本人だと主張した。
しかし、捲簾の思いはそれだけではなさそうだった。
「 それに、これは本来居るべきものではない。お前の盗まれた一部で、在ってはならない生き物だ。」
どうやら、それが本当の理由らしい。
しかし、そういう感情論が理由であるなら尚のこと、それで封印は出来ないと天蓬は考える。
「 だって、もう生きているじゃありませんか?」
天蓬は噛み付いた。
生きて喋って、笑うことも出来るんですよ?可哀想でしょう?
それに、彼は物事にくよくよしないらしいですから、放してやれば新しい主人を見付けて仕合わせに生きるでしょう。
「 天蓬 ・・・。」
捲簾は今度は天蓬に呆れている。
「 お前には、これが、不自然な生き物だということさえ分からんのか?」
「 不自然って ・・・?」
むっとして訊き返す。
「 この先生きていても仕方の無いものだ。だから、苦しめないで封印しよう。」
「 そんな馬鹿な。貴方だって、彼が部屋を綺麗にしていると、褒めたじゃないですか。」
捲簾の肩が引き攣り、顔色が変わった。
「 何だよ、それ?朝の仕返しをしているつもりか?」
「 人の運命のことで仕返しなんてしません。彼は仕合わせに感じることを知っていて、生きる値打ちがあると言っているんです。ボクよりもずっと!」
捲簾の一番嫌っている、天蓬の自己を見下げるような言い方。
自嘲のつもりか何か知らないが、そんなだから飯も満足に食えないんだと、常々忌々しく感じて来たものである。
そこで捲簾の忍耐が音を立てて切れた。
いきなり若者に手を伸ばすと肩を掴み、立たせようとする。
「 来るんだ。お前を可愛がってくれた御主人様と一緒に封印してやる。」
驚いたことに若者は一つこくんと頷くと立ち上がり、付いて行こうとする。
天蓬が若者を叱り付けた。
「 何をしているんです。貴方は滅ぼされてしまうのですよ?死ぬのと同じってことです。」
「 ええ ・・・。それでいいです。」
ふっと睫を煙らせて薄く笑う。これを意志を持った生き物と見做す者の目には、哀れ過ぎる微笑であった。
天蓬は遂に、討伐の間中携行している愛刀を鞘から引き抜いた。
「 捲簾、その手を放すんです!」
捲簾は刀を引き抜いた天蓬に一瞬目を見張ったが、次の瞬間、手を掴んでいた若者を天蓬にぶつけて寄越し、それで天蓬の動きが止まっている間に永繕に合図を送ると、素早くその場を離れ、部屋を飛び出して行った。
驚いて若者を脇に退け、追いかけようとする天蓬の鼻先で扉が閉まり、ガチャリと金属音が響いて鍵が掛けられた。
天蓬が、しまった!と思ったときには自身のクローンと共に部屋に閉じ込められていた。
以前に見掛けた窓は今では塗り込められ、塞がれている。
逃げ場を失った天蓬はその場にへたり込んでしまった。





「 罪も穢れも無い美の結晶 ・・・ か。」
床にべったりと腰を下ろし、若者の寝台に持たれていた天蓬が呟いた。
もうかれこれ一時間、天蓬は自身のクローンと共に、その部屋に閉じ込められていた。
扉の向こうはしんとしており、既に小隊は全員引き上げている様子だ。
天蓬には、捲簾と永繕が何をしようとしているか、凡その見当が付いていた。
予想が当たっておれば、天蓬には最早それに逆らう術は無い。
― 助けてやれない ・・・。―
そう考えると、若者を直視することが辛かった。
クローンの若者は気の毒そうにそんな天蓬を眺めていたが、暫くすると部屋の隅に下がり、茶を入れて戻って差し出してくれた。
「 はい、どうぞ。」
思い掛けぬ優しい仕草に、戸惑いながらも受け取って口にしてみると、良い香りがする。
「 上手に入れられるんですね。」
天蓬は褒めてやった。それは、正に天蓬の不得意分野である。
「 そうなのですか?」 と相手は屈託無く笑う。
自身の処分を巡って、誰かが揉めているのだとは感じないのだろう。
「 貴方はお茶を入れたりしないのですか?」
「 ボクが飲み食いに関わると毒殺級の腕前だと、皆が嫌うんです。」
若者はそれには答えなかった。
大方、相手に分の悪いことになど同調せぬようにと、躾けられてでもいるのだろう。
代わりに天蓬の直ぐ脇に腰を下ろすと、自分から質問を投げ掛けてきた。
「 貴方は軍人さんなのですか?」
「 今日此処に来るまではそうでした。」 今度は天蓬が寂しげな表情を浮かべて呟いた。
「 今はもう ・・・ 違うと思います。」
意味は伝わっていなさそうであったが、若者はただ黙って寄り添ってくれた。
そうして、時間だけが流れていった。
更に一時間ほどした時、扉の外に人の気配がし、覚悟していた通りの声がした。
猶予の時は終わったらしい。天蓬は身を竦ませた。
「 天蓬 ・・・。」
捲簾が連れて来たに違いない敖潤の声であった。
「 入るぞ。」
声と一緒に扉が開き、敖潤が入って来た。
あの時と同じだ ・・・ と天蓬は思った。
自分が真剣を引き抜いていると報告を受けている筈なのに、剣は携えているものの、柄(つか)に手を掛けることさえしていない。
入って来た敖潤は天蓬を見付けると、ずかずかと踏み込んで来て、その前に立った。
天蓬は、既に鞘に収めて足下に置いていた刀を、鞘の中程を掴んで持ち上げ、黙って敖潤の方に差し出した。
そもそも敖潤が、天蓬が刀に手を伸ばすのを許したというだけでもおかしいのだが、この上司は差し出された刀を受け取ることさえしない。
首を横に振り、「 太刀持(たちもち)をしてやる気など無い。自分で持っておれ。」 と叱り付けた。
しかし、それ以上に天蓬に好き勝手をさせる気はなさそうだ。
「 立て。仕事は終わった。天界に戻るぞ。」
厳しい口調でそう命じた。
天蓬は敖潤を見上げ、頭を振った。
「 出来ません。この人が処分されてしまいます。」
「 それは人ではない。ただの人形だ。何故分からない?」
「 違います。」 と天蓬は反駁した。
作られた経緯は兎も角、彼は満足して生きて来たし、この先も放してやりさえすれば、また満足して生きてゆけると思う。
それは天蓬のクローンといっても、温生を愛した時点で天蓬とは別人格な筈である。
存外自身より、器用に生きて行き、仕合わせになれるのではないかと、天蓬は本気で思っていた。
敖潤が天蓬に近付いて来て肩に手を置いた。
「 あれは人格など持っていない。」
ただ生きているだけの不自然な生き物だ。
恐らく天蓬の髪の毛から出来ているのだろう。
だから髪の毛に返すのが相応しいのだろうが、それでは哀れだからと、捲簾が温生と一緒にしてやろうと言ってくれたのだ、と諭す。
天蓬は激しく首を横に振った。
いいえ、人格は持っています。痛がりもすれば笑いもします。
それに、部屋を綺麗に片付けられ、お茶も入れられるんです。と必死に説明した。
「 閣下だって捲簾だって、ボクより先に彼に出逢っていたら彼の方を気に入っていたでしょう。」
敖潤が驚いたように表情を強張らせた。
本人が聞いたらぞっとするのだろうが、捲簾と同じ箇所に反応していた。
敖潤は天蓬を乱暴に掴むと、片手の力だけで持ち上げるように立たせてしまった。
そのまま、引き摺ってゆき、壁際に押し付ける。
天蓬が天界軍の中で唯一、体術で敵わない相手が敖潤なのだが、そうかと言って、この人に対して剣を引き抜くことなど永遠に考えられそうも無い。
要するに、天蓬は敖潤にはどうあっても歯が立たないのである。
天蓬を壁際に寄せてしまうと、敖潤は扉に向かって声を掛けた。
「 入って来い。」
捲簾と永繕が敖潤と一緒に地上に戻って来ていた。
二人が中に踏み込んで来ると、敖潤が天蓬を捕らえたまま命じた。
「 そ奴を引き立てて、封印しろ。」
天蓬は思わず手を伸ばし掛けたが、敖潤に 「 静かにしておれ。」 と窘められた。
若者は大人しく二人に従って出て行ってしまい、天蓬を振り返ることさえしなかった。
捲簾が、処置の様子を見せまいとして、一旦扉を閉めた。


再び扉が開き、捲簾が顔を覗かせて済んだぞと告げた。
肩に掛けられた力が緩み、自由になった天蓬が走り出てみると、封印され
凍結された若者が先に処置を受けた温生に寄り添っていた。
「 好きにして良いって言ってやったら、こうしていたいんだとさ。」
捲簾が言った。
「 誰でも良いような態度だったけど、やっぱり永遠にとなると、あいつの傍が良かったんだろう。」
天蓬は答えず呆然と若者を眺めていた。
綺麗な着物を着せられ、温生の傍に戻された若者は、仕合わせそうにさえ見える。
整った顔には、こんな時にさえ、穏やかな微笑が浮かんでいた。
「 何ということを ・・・。彼の方がボクなんかより、ずっと生きる値打ちがあったものを ・・・。」
本気でそう思っていた。
生き延びるためにもがき苦しんで来たその過程で、汚れもし、悪い癖をつけてもしまい、何処か歪(いびつ)になってしまった天蓬に比べて、クローンの若者には温生の言うように穢れが無く純粋である。
生き延びるべきは彼ではなかったのだろうか ・・・?と、天蓬は訝った。
横でカチリと音がして、ライターに火が点いた。
捲簾が一仕事を終えて、一服を決め込んでいる。
「 一体さっきから、それ、誰にとっての値打ちなんだ?」
火を消し、すうと煙草をひと吸いすると、そう問い掛けて来た。
「 そもそも、本人が自分の死にも人の死にも無感動だったってのに。」
「 でも、彼は気に入られて暮らせば、仕合わせを感じられるんです。」
「 誰があんな人形を気に入るんだ?」
捲簾が小馬鹿にしたように煙を吐き出しながら訊いてきた。
「 だって、あの人なら、捲簾だって気に入るでしょう?何でも言う事を聞くんですから。」
天蓬はまた同じようなことを言った。先程から自分自身がそんな気持ちに悩まされてもいた。
「 知らなかったのか、天蓬?」 捲簾がにやりと笑った。
「 俺は一つも自分の思うようにならない頑固な奴に、がみがみ言っているのが趣味なんだ。」
「 そんな馬鹿な ・・・。」
有り得なさ過ぎる言い条に、体裁良く往(い)なされている気がして、天蓬は却って惨めになって呟いた。
ところがその時、後ろから不意に別の声が掛かった。
「 私にはそういう悪趣味は無いがな。」
何時の間にか奥の部屋を出て、直ぐ傍にまで迫っていた敖潤が、捲簾との遣り取りに割り込んだのだった。
「 従順な部下が好ましい。私以外には手に負えんと分かっている場合は特にな。」
しかし、直ぐに自嘲気味に笑うと付け加えた。
「 それでも、私自身に時々歯向かうのを見るのも悪くは無い。これだけの意志を持っている癖に合わせてくれていたのだと分かるから、自分がどれほど大事に思われていたかを再確認出来る。」
優しい言葉であった。
永繕までがにっこりと笑顔を向けてくる。
「 私にも、お茶も自分で入れられない上司は、世話のし甲斐があります。」
天蓬が唖然とし、項垂れていると、敖潤が背中を叩いた。
「 ほら、もう戻るぞ。」
先程、若者を連れ出させた時とは打って変わって、今度は穏やかな声になっていた。
しかし、それで済む訳が無いとも思う。
「 このままで良いのでしょうか?」
天蓬が確認した。
「 このままって?」
「 拘束しないで良いのですか?」
言い直してみたが、言葉は未だ通じない。
「 自分は、捲簾に剣を抜き、閣下を現場に引き摺りだしてしまいました。」
天蓬は俯いて、搾り出すようにそう言った。
「 俺はお前が剣を抜くところなど見ていない。」
「 私も存じません。」
捲簾と永繕がすっ恍ける。
敖潤が再び天蓬の肩に手を掛けた。
「 私は夕食の約束をした部下を迎えに出向いただけだ。しょっちゅう約束を忘れたり、時間を間違えたりする困った奴なのでな。」
天蓬は自分が間違っていたこと、そして間違いが既に許されていることに気付いた。
「 ほら、早く。」
再度促されて、ゲートに向かって歩き出した。
四人は既に盗賊団も西方軍も居なくなり、最後の住人も凍結され、ガランと静まり返った居城を抜けて表に出ると、天界に向けて帰還して行った。





天蓬はそのまま敖潤の私室に連れ帰られた。
そういう場面では何時も必ず嫌味を言う捲簾も、今日ばかりは何も言わずに見送った。
天蓬が行かなかったという理由で、旋毛を曲げた敖潤が反逆罪を持ち出す訳など無いのは分かっていたが、今回は捲簾自身が策に窮して、敖潤を頼って地上にまで御足労願わせてしまっている。
これでは、文句の言い様がないだろう。
早々に諦めた捲簾は天蓬を見送ると、さっさと自室に戻ってシャワーを浴びた。
それにしても、敖潤のあの天蓬に対する絶対優位は羨ましいと、何時も思う。
純粋に力関係だけで言うなら、剣術では天蓬の方が優位。体術でも互角に持ち込める筈なのに、何故か天蓬は簡単に敖潤に降参してしまう。
負けてやっているという意識すら持てないほどに、天蓬は敖潤を自分の上に置いているらしいのが少々妬けた。
まぁ、考え様によっては、だからこそ、天蓬が恋愛の相手に自分の方を選んだのだとも推測出来るのだから、文句も言えないか ・・・ 捲簾はそんな風に考えると、風呂上りの火照った身体にビールを流し込んだ。


その頃。
軍の食堂から取り寄せたものを一緒に食べるのだと思っていた天蓬は、部屋に入ってテーブル一杯に並べられた豪華な夕食に目を見開いていた。
異界から取り寄せたらしいそれは、海の幸中心であったが、どれも高級品である。
「 気に入ったか、天蓬。」 その様子に敖潤が機嫌好く声を掛けた。
天蓬はすっかり恐縮してしまった。今日の自分の振る舞いを考えると、こんな好意を受けて良いはずが無い気がする。
「 閣下 ・・・ 今日のことをお詫びしておかないと、とてもこんなにして頂く気には ・・・。」
「 今日のこと?」
もう忘れたとでも言いたげな、のんびりした調子の問い返しが返って来た。
「 許されはしましたが、酷い軍規違反で、閣下に対しては反乱です。」
敖潤が少々大袈裟に溜息を付いた。
「 お前が負傷隠しを、そのくらい真剣に気にしてくれたらな!」
それでなくとも分の悪い時に、もう一つの常習犯的な軍規違反を持ち出されて、天蓬はぞっとした。
しかし、見れば目の前の敖潤は笑っている。
良いから席に着けと促し、天蓬を無理矢理座らせると、自分も正面に座って部下のグラスに食前酒を注ぎ始めた。
「 まあいいさ。それに天蓬、お前は人の人たる意志が何処に存在すると思う?」
今度は自分のグラスに食前酒を注ぎながらそう問うた。
自分のグラスを持ち上げ、天蓬にもそうするようにジェスチャーで促し、天蓬がグラスを手に取ると、自分からグラスを近付けてコツンと当てた。
「 意志ですか?」
天蓬は、グラスを持ったまま口を付けずに復唱した。
「 うん。」 敖潤は返事をして酒を一口啜る。
「 好ましくはないのだろうが、逆らうことにあるのだろうよ。」
酒を口に入れてホッとしたように、答えを見付けあぐねている天蓬に自身の考えを披露し始めた。
「 従うことなら、機械にも家畜にも出来る。信念を持って逆らうことだけが意志の証明なのさ、きっと。」
この人は ・・・。と天蓬は思う。懐の深さが半端ではないと。
「 飲め。料理にも手を付けろ。さもないと ・・・。」
敖潤がおどけた調子で促した。
「 今度は私が捲簾に言い付けに行くぞ。」
何と無く気持ちの解(ほぐ)れた天蓬が、やっと酒に口を付け、やがて二人とも料理に箸を付け始めた。


二人でゆっくり食事を取った後、腹がくちくなって安堵し、これまでの出来事を思い出してぼんやりとしている天蓬に敖潤が声を掛けた。
「 どうした?食後の一服の時間だろう?灰皿ならそこに ・・・。」
「 いえ ・・・ 閣下が吸われないのに、この部屋で吸うのはちょっと ・・・。」
天蓬が辞退しようとすると、敖潤は 「 構わん。」 と答えた。
「 私は煙草を吸わない。お前は吸う。だから、お前が来れば煙草の煙で部屋も汚れるし、私も煙を吸うことになる。・・・ 他人と付き合うというのは、そういうことだ。天蓬。」
どうやらそれが、人の意志の在り処(ありか)は逆らうことだと達観する人物の他人との関係に対する認識であるらしかった。
だからこそ、あれほど毛嫌いしている筈の捲簾とも、なんだかんだ言ってはいても、適当に足並みを揃えることが出来ているのだろうと思う。
天蓬が煙草を取り出すと、敖潤が火を点けてくれた。
何時の間にか、ライターまで買い込んでいたのである。
「 そう言えば ・・・。」 ライターをしまいながら敖潤が思い出したように言った。
「 今日になって、私はあの馬鹿大将とは、お前を好んだこと以外にも共通点が有ると気が付いた。願わくば一つも有って欲しくなかったんだが ・・・。」
自分で認めていながら、余程不本意であったらしい。ふんと鼻を鳴らして、忌々しいと言いたげな笑い方をする。
天蓬が怪訝そうに見返すと、敖潤が訳を教えてくれた。
「 奴も私も、ピグマリオニズムとは一切無縁らしい。」






















外伝2巻 口絵 クリックして下さい♪
   人 形 ( Pygmalion )

   2008/03/23
   最遊記 外伝版 マイ・フェア・レディ?
   written by Nachan

   無断転載・引用は固くお断りします。

   ブログへのリンク
   http://akira1.blog.shinobi.jp/

   素材提供:Art.Kaede〜フリー素材
   http://www117.sakura.ne.jp/~art_kaede/










NOTE :

一種のアンチテーゼです。
わたしが物語の中で、人に非ずと切捨て、抹殺してしまったのが、大方
の浄八・捲天サイトに出て来る、典型的な八戒や天蓬です。
特に外伝を扱ったサイトでは設定が原作と大きく違っており、その違い
故に、そういうものを書く人たちの好みが透けて見えるのですが、それは、
受け側を徹底して人形化する強烈なピグマリオニズム。
原作で、はっきり天蓬が上官と定義されており、特に二巻まで、捲簾が
敬語で喋っていたにも関わらず、それまでの時期に書かれたものも含
めて、殆ど全て、がちがちに天蓬が捲簾の部下であることを強調してあ
ります。

身分関係に自分で態々上下を作った上に、それでも飽き足りず、部下
だという理由があってさえ、誰が此処までして勤めるんだ?と思う程に、
私生活に於いてまで、捲簾に絶対服従し、セックスの際の従いっぷりは
異様というか、大抵の場合、「 やったら、死ぬで!」 という水準。

本来が男性同士のカップルなんだから、そもそもそこまで厳格にタチと
ウケに別れちゃいないでしょうよ!・・・ は余計なお世話だとしても、
何で受けだったら、そこまで卑屈に我を押し殺さなくてはいけないの?
とは思います。

そして、そこまで意志を殺し、引き下がってくれる者とでないと付き合え
ないタチ ( 現実社会では女性に対する男性でしょうが。) の姿は、立派
というよりは哀れです。

どうして、何時も何時も、相手が人形でないと気が済まず、意志を持って
いることを喜んでやれず、意志を圧し潰し、捻じ曲げることを 「 躾け 」 と
呼ぶかなぁ!!

ま、最低限の願いは、大抵の外人から、日本で一番上等な家庭だと見做
されている皇室だけでも、これを止(や)めて欲しいという事なのですが、
此処が、一番のピグマリオニズムの牙城であったりしそうです。
( ̄_ ̄|||) どよ〜ん