東 雲 ( しののめ )

( 文体実験中です。)










綺麗な景色だと思った。
都城(とじょう)の内だが、外(はず)れ。
貧しいと呼ばれる謂(いわ)れは無かろうが、高級とも言い難い、一群れの
家並が続いていた。
その中程に、持ち主に打ち捨てられた屋敷の跡がある。
塀・外壁の類は、世に振る歳月の浸食に、嘗ての形状を失って、既に所々
に痕跡を残すのみとなり、囲みに拠ってというよりは、そこに他家の建造物
が無いことを以って、以前の規模を主張するに止(とど)まっていた。
それでも敷地の規模も、朽ちた屋敷自体も結構な大きさではある。
位置的に言って、中央に権勢を振るったという人物の屋敷では有り得なか
ったろうが、ある程度の羽振りを利かせた者が残した跡だとは窺い知れた。
往時にはそれなりの隆盛を誇っていたのだろうが、今となっては見る影も
無かった。
廃屋を奥に控えて、昔日には迎え入れた家人や客の目を真っ先に楽しま
せていたであろう前庭は、無残に荒れ果てていたが、今も数本の桜の木
が残っていた。
こちらは主が無くとも自然の恵みを受けて自力で咲き誇って居り、塀の
朽ち果てた今、幹までを道行く部外者の目に晒している。
その桜の根元に凭れ、往来から姿を隠すように隣家の方に足を投げて、
書物に目を落とす少年が居た。
片方の足は真っ直ぐに投げ出していたが、もう片方は半分立てて、身体
に引き寄せ、その膝の上に書物を載せている。
伸ばされた足、書物に掛けられた片手から、上背は有ると知れたが、身体
は寧ろ小さく、細く儚げな姿態であった。
遠目にも端正に整った横顔が目を惹く。
一人都城を散策し、珍しくこのような端まで足を延ばしてこの風情を目に
した観音が、綺麗な景色と感じたのは、うらぶれた廃墟と生き残り気侭に
咲き誇る桜、そして件(くだん)の少年という取り合わせのことであった。
凋落の具象たる荒れ果てた廃墟を背景に漢籍を楽しむ少年に、今も尚、
艶(あで)やかに咲き誇る桜が、時折吹く風に揺すられて、はらはらと花弁
を落とす。
白昼夢を見る感覚にも似た、妖しさを孕む眺めであった。





朽ちた塀を容易に跨ぎ越して少年に近付くと、気配に感じたものか、少年
が顔を上げた。
観音を見知っているという様子は無かったが、身形(みなり)・装身具から
身分を悟ったのであろう。少年は立ち上がって、頭を下げた。
「 何を読んでいる。」
観音が少年に声を掛けた。
「 孫武(そんぶ)の兵法を。」
少年が答えた。
手許に目を遣れば、成る程、書物は兵法書 『 孫子(そんし) 』 であった。
『 彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず 』 の一節で知られる、兵家
(へいか)の書であり、呉王・闔閭(こうりょ)が耽読したという名著だ。
予想よりも高く幼い声と、読書の内容の難しさという、ちぐはぐな印象に、
改めて少年の顔を仔細に眺めてみた。
整い過ぎて愛くるしさの無い容貌に、遠目に少々年嵩に見誤っていたの
だが、傍に寄ってみると、実際の形(なり)は全体に一回り小さいと知れ、
そう思って見てみれば、最初に見間違えた顔立ちにも、確かに所々幼さ
を残している。
「 随分と若いな。孫武が誰だか、分かって言っているのか。」
態とに不躾な言葉を投げ付けてみたが、少年は怒り出しもせずに、静もっ
た口調を返した。
「 孫武は斉の生まれにして、呉の闔廬に仕え、呉の隆盛に貢献した将軍
で御座います。」
「 ほほう ・・・。」 観音は感嘆の声を漏らした。
「 お前、その若さで、そんな書物を好むのか。」
「 いえ ・・・。」
少年がはにかんで少し顔を俯けた。
しかし、続きを話す折(おり)には、やはり顔を上向け、観音の目を見据え、
「 『 孫子 』 十三篇は、もう先(もうせん)に亡くした父の形見で御座いまし
たゆえ ・・・。偶(たま)に懐かしくなって手に取ってみます。」
小声ながらしっかりした物言いで返して来る。
身に纏った物が非常に粗末であるにも関わらず、流石にその辺りには、
素性卑しからぬものが滲み出ていた。
観音は頷いた。
「 で、母御(ははご)はどうしている。」
「 母も亡くしました。」
「 お前は此処に住んでいるのか。」
後ろの廃屋を見遣って有り得ないことを聞いてみた。
どう贔屓目に見ても、人の暮らせそうな様子など感じられなかったが、その
少年の身形を見ておれば、ついついそう訊いてもみたくなる。
「 此処は疾(と)うに人手に渡ってしまいました。不法に侵入致して居りま
す。」
礼儀正しく接していながら、丁寧な言葉遣いでそんなことをしゃあしゃあと
言い放つ少年を面白い奴だと感じた。
人手に渡って ・・・ と言っているからには、やはり少年は、元々この屋敷に
所縁の者であったのだろう。
そいつが、舞い戻って廃墟で本を読んでいたという訳だ。
大人しく振舞ってはいるが、没落に本気で屈服するには、才気が過ぎて
いた。
「 では、お前は今、どうしているんだ。」
興味を惹かれて重ねて訊いてみた。
「 縁者に引き取られて居ります。」
心做(な)し、寂しげな返答であった。
「 遠縁と言う奴だろうに。お前が放り出されるまで、付き合いも無かったの
ではないのか。」
観音が言い当てると、少年は不思議そうな顔をして、もの問いたげな眼差
しを向けた。
「 まぁその身形ではな。」
観音に言われると、少年は今更ながらに、纏っていた粗末な着物の衿元
を合わせ直したが、とてもそのような方便で取り繕える水準では無い。
それでもやってみようとする所が、何処と無くその少年には似合った仕草
に思えた。
観音は出掛け(でがけ)に、時々散策が異様な長さになる主人を慮(おも
んぱか)って側仕えが持たせてくれた握り飯の弁当を持っていたが、それ
を取り出すと、少年に見せ、
「 食うか。」 と誘ってやった。
「 いいえ、結構です。腹は空かせて居りません。」
毅然とした声でそう答える少年の様子に、観音が眉を顰めた。
「 俺は腹が減った。此処で食うことにする。」
返事を待たず、勝手に少年の脇に腰を下ろす。
「 食おうとしている横に立つな。座れ。」
言われた少年が腰を下ろすと、握り飯を一つ取り出して少年に突き付けた。
「 独りで食うのは味気無い。お前も付き合え。」
そう言ってやると、やっと少年が礼を言いながら握り飯を受け取り、観音が
食べ始めるのを見定めてから、自分も口を付けた。
楚々として行儀の良い食べ方ではあったが、腹が減っていないと言った割
には、美味そうに食べている。
観音は自分も食べながら横目に様子を窺っていた。
良い根性をしていやがる。
「 時にお前 ・・・ その歳で、もう先(せん)に書物の主を亡くしたと言ったな。
ということは相当小さい時に父御と死に別れて書物を受け継いだ筈だが。」
少年が頷いた。
「 ぼんやりと姿を思い出せる程度です。顔立ちは思い浮かべようとしても
浮かびません。」
「 母御は何時亡くした。」
「 父の後を追うようにして身罷(みまか)りました。」
「 今のお前に、そのような書物を読み聞かせてくれる者が居るようにも見え
んが、誰に習った。」
「 誰にも。」
少年は信じ難いことを言ってのけた。
「 それはないだろう。」
「 父はあまり子供に愛想をするという人物では無かったので、幼子にも
斯様(かよう)に自身の気に入りの漢籍を読み聞かせました。」
「 だから、どうだと ・・・。」
怪訝そうに訊き返し掛けて、はっと気付く。
「 幼子の頃に読み聞かされた言葉と、書物を照らし合わせて、読みを覚
えたか。」
少年は黙ったまま微笑んだ。目付きが 「 御明察。」 と語っている。





少年の利発さに感じ入った観音は、そのことで却って憂鬱を味わった。
何とも勿体無い話に胸が痛んだ。
身形を見るものは居ても、通常中身は身形で見定め知己とした者のそれ
しか見るまい。
この身形で居て、腹まで空かしている様では、その才気も恐らくは、徒
(あだ)となって、朽ち果てるが必定(ひつじょう)。
一方で、もう一つの外側 ・・・ つまり美貌 ・・・ の方も恐らく少年の将来に
は貢献しそうに思えなかった。
身分も後ろ盾も無く、このようにうらぶれた姿を人前に晒していたのでは、
良くて宝の持ち腐れ、悪くすると身を堕とす引き金ともなりかねない。
「 年齢的にも限界が近いというところだな。」
観音が感想を声に出した。
「 はぁ ・・・ 何でしょう。」
少年が問い掛ける。
「 ああ、いや。」
最初は誤魔化そうとしたが、問い返されたのを切っ掛けに助けを持ち出し
てやりたいと思った。
しかし、先程の握り飯の件で、恐らくそれは適わぬと見当が付いている。
俺が引き取ってやるから、うちで学問の続きを修めて、そこから世に出ろ、
と言ってやりたかったが、その言葉は意識して呑み込んだ。
「 お前、うちに奉公に来ないか。」
代わりに観音はそう申し出てやった。
「 奉公人をお探しでしょうか。」
少年は言いながら、値踏みするように観音を眺めた。
「 ああ。こんな所でそう言われても、信用も何も仕様が無かろう。今から
俺について来い。屋敷を見せてやる。」





誘った観音が驚いたほど簡単に少年は話しに乗り、観音に付いて来た。
先程とは打って変わって天帝の宮殿も近いという一角を歩くうち、道を突き
当たると黒塀に囲まれた立派な屋敷に出合った。
黒塀の上に竹林が頭を覗かせているが、屋敷そのものは見えない。
広い庭が在ると知れるその塀を伝うように、暫くそれに沿って歩いた。
やがて大きな門に差し掛かり、門番小屋が見えたとき、観音が、
「 着いたぞ。」 と門を指差した。
少年は驚いた様子で暫く目を見開いた儘でいる。
丁度屋敷周りを掃除していた使用人が観音に気付いて頭を下げ、門番が
お帰りなさいませ、と声を掛けると、少年はそれだけで納得した様子を見せた。
「 上げて頂くという訳にもゆきませんので、僅かなものですが、荷物を
持って出直して参ります。」
そんな風に言い出した少年に、上がって茶くらい飲んで行けと誘って警戒
させる訳にもゆかず、観音はただ、「 ああ。」 と返した。
「 里親と話を付けて来い。」
少年は、二・三日したら家を出てこちらに参ります、と告げた。
奉公の条件は勿論のこと、仕事の内容すら確かめることをせず、そのまま
取って返そうとする。
仕事の種類は問わんという事か ・・・。
与えられる仕事が有るなら何れをも厭わぬと、覚悟を決めていたのであろう。
「 で、お前の名前は。」
観音が尋ねると、相手は漸く己が未だ名乗ってもいなかったと気付き、それ
をも忘れて夢中になっていたことを面白がるように、笑みを漏らした。
「 天蓬と申します。」
「 分かった。待っている、天蓬。」
少年は嬉しそうに一つ頭を下げると、来た道を引き返して行った。
遠ざかるか細い影に、観音は溜息を吐いた。
養い親の許を出たくて堪らなかったというところだな、と思った。





三日後、出合った時に見たのと同じボロ布のような着物を纏った天蓬が、
父親の形見だという書籍だけを包んだ僅かな荷物を携えて、観音の屋敷
の勝手口を訪(おとの)うた。
やっとの思いで、深夜の闇に閉じ込められているとすら感じていた養い親
の許から逃れ出て来た天蓬であったが、己がまだまだ夜明けには至って
いないことなど、この時には知る由も無かった。






















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   東 雲 ( しののめ )

   2007/12/15
   実験作品 語彙を殆ど減らしていません。
   written by Nachan

   無断転載・引用は固くお断りします。

   ブログへのリンク
   http://akira1.blog.shinobi.jp/

   素材提供:Art.Kaede〜フリー素材
   http://www117.sakura.ne.jp/~art_kaede/










NOTE :

実験作品です。
語彙を減らしていません。
会話の連続にして物語を伝えるのも止めて、情景描写もしてみました。
古文調にも書けますので、もう少しそれ専用の語彙も持ち合わせますが、
現代文としては、かなり等身大の自分に近いものです。

わたしには、こんなに情緒無しにしか書けなくても、一応ネット上にアップ
ロードしているのだから ・・・ という気持ちが有り、
上げた以上は読んで貰いたい。
読んだ以上は、意味も意図した通りに汲み取って貰いたい。
そう思って、語彙は極力減らして来ました。
しかし最近、ちょっと考えるところがあったものですから ・・・。

ま、有態 ( ありてい ) に言ってしまえば、多くのサイトが、最近、わざわざ
「 難解であること 」 を目指しているように感じられる所為です。

いや、嘗ての三島由紀夫氏のように、才気に溢れ、語彙に長 ( た ) けて
いて ・・・ と言うのとは、些か事情が違うと思います。
当初から難解に見せるのを目的として、恐らく御自身を基準にして、
より耳慣れない用語、難しいと感じる用語、画数が多いと感じる用語を
採用された成果なのでしょう。

結果として、書かれた御本人にも恐らく意味は分かっていらっしゃらない
であろうと思われる文章が出来上がり、ネット上ではそれが一般的とさえ
なっているようです。
漠然とした言い方をしていますが、例えばこういうことです。
うろ覚えの単語を使うため、有り得ない熟語を作ってしまう。
「 腹いせまぎれに 」 とか、「 的を得る 」、「 当を射る 」 。
独り言を言ったの意味で、「 ひとりでごちた 」 とか、単に 「 ごちた 」
と使う ・・・ 等々
( 「 腹立ち紛れ 」 か、「 腹癒せに 」 しか、有りません。
「 当を得る 」、「 的を射る 」 が正解。
「 ひとりごちた 」 は、「 ひとりごつ 」 の過去形。「 ごつ 」 は接尾語で独立
しません。漢字で書くなら 「 独り言つ 」。「 独り + ごつ 」 とは違います。)

こういうのが、タイプミスとも思えぬ頻度で大量に出て来る他、慣用句の
言い間違いも朝飯前、「 水心あれば魚心 」 とか、「 人の噂も四十九日 」
などという、おかしな言葉が随所に登場し、言葉が合っていても登場箇所
が不適切なものも、当たり前に大量に見受けられます。
これらが、重箱の隅を穿らなくとも、一行に 3・4個 ( 1ページにでなく!)
出て来るのが、現在の水準です。
当然に普通の漢字ミスの多さは推して知るべしで、合っている方が
不思議という御時世 ・・・。

そして、こういう書き方をする人に限って、御本人が 「 難しく書いてるんだ 」
とでもいう自負を持たれている所為か、「 私ほどの者ともなると ・・・ 」 と
いった類の自画自賛を平気で載せてしまわれるようです。

知りもしなければ、まして使いこなす事も出来ていない用語で、難解を
目指すことが、これほど重要視される中、最早わざわざ語彙を減らす
意味も無いように感じました。
そこで、実験的に何もしないで (より、平易な言葉に置き換えず) 普通に
書いてみたのが本編です。
どうなんでしょうね? 「 水心あれば魚心 」 に慣れた方には、論外な文章
に見えるのでしょうか ・・・?
わたしには想像も付きません。

ところで、上述の感想は、あくまで文章的な問題で、内容については、
そこまで悪印象を持ったことは有りません。
ごく普通の学生さんだとか、OLだとか、主婦だとか仰る方が、何と奇想天外
な様々な状況を想像出来る時代になったものだろう、と思います。
男性同士の恋愛で、受けに回った者が、本当に真似れば多分死ぬだろうと、
思うものも一部には有りますが、それを書く方にすら、えもいわれぬ情緒の
有るお話を作られる場合があったりして、一概に悪いとも言い切れず、寧ろ
その情緒的な面は羨ましい限りです。

だからこそ、それが普通の日本語で書いてあればなぁ ・・・ と思うのです。
お遊びとは言え、勿体無いんですよね。折角の想像力が!

そういえば、原作で 「 頭が良い 」 というか、職業が 「 軍師 」 となっている
天蓬の 「 頭の良さ 」 が、捲簾に 「 あなた馬鹿ですか 」 を連発すること
だけで表現されているサイトにも、空恐ろしいものが有ります。
もう少し、違う方法で、「 頭の良い人物 」 に描かれても良さそうなものなの
に、と何時も思ってしまいます。
こういう風に書く方は、御自身の頭の良さをアピールしたい時にも、相手を
馬鹿呼ばわりするのだろうなぁ、と想像してしまいますしね。
( ちゅうか、実際その通りで、以前に100万年生きても、これだけ馬鹿呼ば
わりされる機会もそうは無いだろうというくらい、馬鹿呼ばわりされてしまった
ことがありました。もう懲り懲りで、二度と近付く気は有りません ^^ )