―― 寒 月 ――











捲簾が部屋に入ると、天蓬は大きな箱を開けようとして、紐を解いている
最中だった。
相変わらず手付きは悪く、紐もまともに解けない様子で苦戦している。
「 手伝ってやろう。何か注文したのか。」
捲簾が尋ねると、天蓬は
「 いいえ。ボクは殆ど買い物などしません。」 と答えた。
そう言えば、天蓬が買い物をしたという話など聞いたことが無い。
定期的に何処からか書籍の配達がされてくる以外、何も買わずに暮らして
いるように見える。
時々地上から持ち帰る訳の分からない拾い物の我楽多は、金輪際生活の
役に立ちそうも無く、そう言えばこの男はどうやって暮らしているのだろうか
と疑問に思ったが、その時、梱包が解けたので箱を開けてやり、自分も覗き
込んだ。
「 着物ですよね。」
天蓬が言った。
「 だな。」
捲簾がそれを引っ張り出してみた。
高襟の後、開きが首元から脇に向けて斜めに入り、その開きに装飾ボタン
が付いたロングドレスのような着物だった。
両側にほぼ腰まで達する深いスリットが入っているが、同色のパンツとワン
セットになっているので、上着のように着れば問題無いのだろう。
こういう着こなしには何となく馴染みのある気がした。
考えてみれば、天蓬は私服に良くこういうものを着ていたようだ。
「 注文したのがお前じゃないとすりゃ、敖潤か?」
高かそうではあったが、普段天蓬が敖潤に着せられている物に比べれば
桁違いに安物と感じながらも一応確かめてみるが、やはり違うと言う。
今朝出勤してみたら、執務室に届けられていた陸康元帥からの贈り物だと
天蓬は話した。
「 何でだよ?」
腹立たしそうに捲簾が訊く。
「 知りません。この前の謝罪の続きをしているつもりかも知れませんね。」
「 謝罪に着物はおかしいだろ?」
「 おかしいし、要りませんよね。」
天蓬は簡単にそう言った。
「 ボク、衣類には興味有りませんし。」
「 え ・・・?」
捲簾は驚いて聞き返した。
天蓬は普段だらしのない格好をして暮らしているが、たまに私用で出掛ける
時には何時も綺麗に着飾っていた。
高そうな着物を着込んでいたが、それが求める質の点からも、体型的にも
常に特注品にならざるを得ない様子であった。
捲簾はそこで最近こういうデザインの着物を見たときのことを思い出した。
あれは確か、天蓬が一旦見捨てた西方軍に舞い戻った日だった。
その日の内に俺のところに挨拶に来たが、その時こういうスリットの入った
ドレス状の上着とパンツの取り合わせだったっけ。
その前に陸康の謝罪を受けたと言っていたから、陸康は天蓬がそういう
衣服が好きだと察しを着けて贈って寄越したのだろう。
「 前に陸康元帥に会った時、お前私服だったよな。確か、こんなデザイン
で翠の ・・・。まぁ、こんな安物とは全く違うんだろうけど。」
確認すると天蓬は、「 ボクに衣装の値段のことを話しても無駄です。」 と
澄ましている。
「 お前さっきから、言っていることとしていることが違うだろうよ。」
「 本当に興味有りません。」
「 何時も綺麗にしてたろう。」
「 あれは敖潤閣下の趣味です。ボクは着せられたら何でも着ますし。
でもまぁ、そう言えば、確かにあの時翠の着物を着ていました。」
天蓬の話によると、敖潤が天蓬を連れ出す際には、周囲に天蓬を義兄弟
の契りを結んだ弟だと紹介しているため、それなりの格好をしておれ、と
言い含められているという。
「 その割には、御自身が普段の軍服だったりするんですけれどね。」 と
天蓬は笑った。
「 それでもボクには、きちんとして居れと厳しく言われるものですから。
衣服は何時も閣下が用意して下さるんです。」
所有の印のようなものではないのだろうか、と捲簾は思った。
捲簾だとて、出来れば自分の好みの着物を与えて、天蓬を飾り立ててみた
いと思う時がある。しかし、普段天蓬が自分が買い与えられるものより遥か
に高そうな着物を着ているのを見ると、どうしても気後れした。
もしかしたら陸康も同じように考えて、身の程知らずにも着物などを贈って
寄越したのではあるまいか?
考えていると、天蓬が箱に蓋をして立ち上がった。
「 どうした。」
「 返してきます。要りませんから。」
「 ああ ・・・。」 捲簾は同意したが、
「 しかし、俺が行ってくる。お前はもう陸康には会わない方が良いだろう。」
と、天蓬から箱を取り上げた。
「 でも自分で行かないと失礼でしょう。」
止めようとする天蓬に構わず、捲簾は箱を抱えて部屋を出て行った。

「 何故?」
陸康が腹立たしげに捲簾を睨み付けた。
天蓬が贈り付けた品を部下に返しに来させた態度が先ず癇に障っている。
しかもその部下と言うのが、最近特にべったり天蓬に付き添ってその世話
を焼いている人物と来ている。
西方軍の内部にいて、天蓬の切れ者振りや闘神もどきの戦闘能力を見せ
付けられている部下達とは違って、自軍の現場事情にすら疎い陸康にして
みれば、天蓬が本来の仕事以外の全ての能力を欠いているだけだなどと
いう事情を知る由も無い。
全てを他人任せに生きている天蓬を、敖潤の連れ込んだ愛人と決め付け、
捲簾の庇護を敖潤の命令によるものだと邪推していた。
従って贈り物を突き返されたことも、敖潤か捲簾が見張っていて取り上げ、
力自慢の捲簾大将が天蓬の意志になど関係無くやって来たのだと考えて
いた。
本人が来なかったことが癪に障りもしたが、ある意味、それは陸康にとって
満足出来る結果だったとも言える。
あいつは多分籠の鳥で、自由な行動は許されてはいないのだろう。
しかし、今目の前に居る長身で力自慢の男は、あくまで天蓬を上官として
敬っているかのような口振りで口上を言う。それが気に食わなかった。
「 天蓬元帥は衣類にはさっぱり興味の無い方ですので。」
捲簾は先程初めて知った事実を早速言い訳に利用した。
「 それに、戴く理由も無いと仰っておいででした。」
「 そんな ・・・ この間お目に掛かった時には、大層美しく着飾っておいで
だったのに。」
自身も付き合って敬語を使っているのが歯痒かった。
「 あれは、敖潤閣下の別荘からお戻りの時のものでしたので。
元帥は敖潤閣下の義理の弟君に当たられますので、その関係の場所に
お出掛けの際には、御身分に相応しい格好をなさいます。」
敖潤の弟と聞かされて、陸康は複雑な表情を見せた。
もし本当だったら一大事なのだろうが、それよりは寧ろ、そういう庇い方を
してやっと軍に置いているようにしか見えない。
「 しかし ・・・ 天蓬元帥はどう見ても竜神には見えないが ・・・。」
「 義理の ・・・ ですから。」
「 それは ・・・。」
「 申し上げておきますが、閣下が元帥と義兄弟の契りを結ばれたのは、
元帥が軍で活躍されたのを御覧になっての事で、御自身の弟君を元帥の
地位に着けたのではありません。お間違え無きように ・・・。」
嫌味たっぷりにそう言うと、捲簾はそのまま陸康の部屋を出ようとした。
陸康はその背後に声を掛けた。
「 捲簾大将。では、天蓬元帥の御興味を示されるものというのは、何なの
か教えて頂けませんかな?」
「 え ・・・?」 捲簾は声を上げてしまった。
言われてみて、読書以外に何も思い付かなかった。
何に対しても執着するということが無く、これ見よがしに集めている我楽多
も冗談の域を出ていない。
休日も読書で日がな一日過ごしてしまい、捲簾が酒に誘うか、敖潤が連れ
出すかするまで、自分から行動するということが無かった。
「 元帥が何かに執着なさるところなど拝見したことがありませんが、貴方に
元帥を喜ばせる必要も無いのでは?先日の謝罪も形式的なものであって、
元々貴方が何をなさった訳でも無し。」
捲簾はそう答え、今度こそ呼び止められない内にとっとと部屋を出た。





その夜、天蓬の部屋を訪れた捲簾は、何時も見慣れているドアの隙間から
洩れる光が無いことに気付いて、ノックをせずにドアを開けてみた。
鍵も掛かっておらず、ドアは簡単に開いた。
入ってみると、やはり部屋には明かりが点けられておらず真っ暗だったが、
窓のある奥の方だけが明るく、天蓬は開け放った窓辺りに腰掛けて夜空を
眺めながら煙草を吹かしていた。
夜空には低い位置に月が出ている。
下界の季節が冬なので、これが寒月と言う奴なのだろう、澄んだ空気の中
に浮かぶ月は滲みもせずに、冴えた光を放っていた。
ある種の幻想絵画にあるように、巨大な月を背景に、人物がその中に影と
して納まってしまうなどということは有り得ないが、くっきりとした月光の照ら
す夜空を背景にした天蓬には、後で絵にすればそのように描いてしまい
そうな妖しげな美しさが備わっていた。
「 絵に描いたようだな。」
捲簾が声を掛けると、天蓬は振り返った。
「 改めて見てみるとそう大きくもないのに、思い浮かべる月って存在感が
有るものですね。」
やはり月を見ていたのだろう、月の話をしてみせる。
まぁ、お前の目には月を背景に立つお前の姿が映っている訳でも何でも
ないから、そういう感想になるんだろうよ、と思ったが、ただ 「 満月だったん
だな 」 とだけ相槌を打った。
「 ほれ夕食。」
捲簾が食事のトレイを見せると、天蓬は面倒臭そうな顔をしながら戻って
来た。
灯りを点けようともせず、まだ月見の続きをしたがっている様子なのに呆れ
ながら、捲簾が自分で灯りを点けた。
急に明るくなった部屋に、天蓬は迷惑そうにして見せる。
「 何て顔をするんだ。」 捲簾は嗜めた。
「 それだって、特別製なんだぞ。食堂でも流石にお前の分とか、敖潤のは
わざわざ別誂えで作っているし、それを有り難くもこの俺様が運んで来て
やっているのに、もうちょっと好い顔しろよ。」
天蓬は不思議そうにした。
そう言えば、天蓬は西方軍に迎え入れられた時から今の地位に居たな。
区別があったということを知らなかったんだ、そう思った時、
「 今度からそんなことはしなくて良い、と伝えておいて下さい。必要有りま
せん。」 と、とんでもないことを言い出した。
「 何でだよ!」
捲簾にはどうしても天蓬のこういう自分に構い付けない態度が歯痒くて仕方
が無い。
「 特別である必要が無いからです。何でも食べられます。」
「 何でも食べられるし、何でも着れるってか?」
「 ええ。」
まぁそれはそういうことなのだろう、とは捲簾も思う。
時々出掛ける敖潤の所では桁違いの贅沢をさせられている筈なのに、特別
に喜んでいる風でもなく、それに比べて特別製とは言え軍隊の支給する
食事を出されても食欲は兎も角、味に文句を言ったことが無い。
おまけに、自由な時間を持てれば何に散財するでも無しに、月など眺めて
過ごしてしまう。さもなければ、精々が読書だろう。
こういう浮世離れしたところが、普通の夜空を眺めていただけの天蓬に、
巨大な月を背景に座っていたような幻想を抱かせる独特の美質を作り出し
ているのかも知れなかったが、反面、この世との繋がりが薄いように印象
付けもした。
生き物が欲で生に執着するとしたら、天蓬の生は如何にも脆そうだ。
何事にも構い付けない淡々とした態度に苛付くことが多いのは、己がつい
それを考えてしまうからなのだろう ・・・。
捲簾が難しい顔をしているのを感じて、天蓬は食事を置き、隣に座っていた
捲簾の肩に手を伸ばして少し引き寄せると、胸に顔を押し付けてきた。
「 でも ・・・。貴方が持って来たりして世話を見て下さるのは嬉しいと思って
います。ボクはこれまで余り、人にそうされたことが無かったので。」
甘ったれたと言うよりは、声質が甘いと言った方が良い優しげな言葉。
内容を良く考えればそんな筈は無いのだろうが、声の美しさが何処か捲簾
の本能的な部分を擽って止まない。
捲簾は引き込まれるように天蓬を抱きしめ、髪の毛に口付けした。
ふわりとした暖か味が伝わって来る。堪らなくなって髪の毛から胸に凭れ
掛かる項に口付けを移してゆく。
完全に溺れて自制を失う前に、やはりもう一度、こいつはこんなので良い
のだろうか、という疑問が頭を掠めはしたのだが ・・・。





そんな毎日がどのくらい過ぎていったろう?
戦闘と、帰還後の複雑な人間関係、他軍との駆け引き、そして天蓬のいる
夢のような夜の時間 ・・・ それが幾日も通り過ぎていった。
気が付けば、何時の間にか捲簾はしょっちゅう天蓬を見張るようになって
いた。
放って置けば何も出来ないのだか、しようとしないのだかの天蓬を見ておれ
なかった上、してもらうのが嬉しいという、らしくもない可愛げな台詞まで
聞かされて、益々離れがたくなっていた。
これが、保護欲というやつなのだろうか?
何と名伏されるべきかは知らないが、庇ってやりたいという感情に突き動か
されて、捲簾は天蓬の生活全般の世話を焼くようになっていた。
蓋しこういう事には、それを殊更に歪めて見る視線というものも有るに違い
無いのだろうが、二人ともそれには未だ気付いていなかった。
尤もこの場合は、最初から歪んだ邪推をしていたものに確証を持たせて
しまったという意味ではあったが ・・・。
そうしたある夜、自室の方に呼んで入浴させた天蓬の髪を梳かしてやって
いた捲簾は、天蓬が急にぐらりと揺れて寄り掛かって来たのに驚いた。
「 どうした?」
問い掛けるが返事が無い。
不安定に凭れて来たのを抱き直そうとして身体に手を掛けると、天蓬は熱
を出していた。
― こいつ、もう隠さない。―
頼られた、と確信が持てた。
捲簾は貴重品でも運ぶように天蓬を抱き上げて寝台に運び、服を脱がせ
て、毛布を掛けた。
別に気絶まではしていなかったが、天蓬は為されるがままにされていた。
熱に浮かされたぼんやりとした瞳で捲簾を眺めていたが、やがて、絞った
タオルを乗せられ、身体を冷やされるのを見ながら安心して眠ってしまった。
差し出されるままに天蓬を抱き、身体を与えられてから、熱を出して気弱り
している天蓬に触れさせて貰えるまでの道程の長さを思い起こして、捲簾は
溜息を吐いたが、この意地っ張りの上官はやっと警戒を解いたようだった。
報われたのだろうか?
俄かには信じ切れぬ気持ちがまだあった。

次の日、少し熱の下がった天蓬は無理矢理気持ちを引き立たせて、調練
に参加してしまったが、ま、それが普段から良く知るこの男の態度である。
捲簾は人前では露骨に庇うことはせず、代わりに時々水を差し入れたり
して様子を窺っていたが、天蓬は部下の前では何事も無かったかのように
振舞っており、実際しっかりした上官であることに変わりは無かった。
その意地っ張り振りには毎度感心させられる。
捲簾は昼休みになるのを待ちかねて、天蓬を人気 (ひとけ) の無い倉庫側
の裏庭に引っ張って行った。
資材を積まれた一角に連れて行って座らせる。
「 休んで待っているんだぞ。昼食を持って来てやるから。」
「 大丈夫ですよ。一々そんな事しなくても、行って食べます。」
天蓬は止めようとしたが、捲簾はとっとと行ってしまった。
仕方なく腰掛けた資材の上でうとうとしていたが、何時もと違った気配が
近付いて来るのを感じて、素早い動作で飛び起き、立ち上がった。
「 そう警戒なさらずとも ・・・。」
相手が宥めるように言った。陸康元帥であった。





「 この間は失礼致しました。自分で伺いたかったのですが ・・・。」
天蓬は渋々詫びの文言を口にした。
「 いえいえ、お好みも伺わずにこちらこそ失礼を。」
相手も愛想が良い。
用件は何なのだろうと訝っていると、やがて陸康の方から切り出した。
「 実は御覧に入れたい資料が御座いましてな。」
「 資料? ・・・ どんな?」
「 いや、ちょっと持ち出すのが憚られるようなものですので、御同行願え
ませんか?」
「 しかし ・・・。」
「 何方かと待ち合わせですかな?」
陸康が顔色を窺うように訊いた。
倉庫裏で人を待っているとも言い難く、天蓬は仕方なく否定の返答を返す。
「 だったら宜しいでしょう?お時間は取らせません。」
押し切られる形で、同行を承諾することになった天蓬は陸康に付いて歩き
出した。

招き入れられたのは東方軍の資料室であった。
陸康は何も説明せず、如何にも目指すものが有るかのように資料室の奥
に向かって進んで行き、天蓬がそれを追っていた。
部屋の奥まで来ると陸康が振り返ったが、何もせずただ、値踏みするよう
な目付きで天蓬の全身を眺め回している。
「 で ・・・?」
促すと、陸康は下卑た笑い方をし、不意に天蓬に手を伸ばして来た。
途中で手を捕え、捩じ上げることも出来たが、相手の地位を考えた天蓬は
何もせず上腕部を掴ませたまま、今ひと度 「 それで? 」 と問い掛けた。
抵抗出来ないのだと見た陸康は本性を現した。
「 元帥だなどと御大層な身分を名乗りおって、お前の正体は男娼だろうに。」
天蓬をただの飾り物と踏んで、独り連れ出しさえすれば抵抗すら出来ない
と考えたらしい陸康の舐めきった台詞に、天蓬は溜息を吐いた。
「 また何で、そういう結論に達したんです。」
おや、こいつは ・・・ 陸康は、独りになっている時でも天蓬が言い返すのに
少々驚いたが、それでも自分の推測を修正するほどでは無かったらしい。
「 敖潤殿に拾われて、捲簾大将に面倒を見て貰っているというところか?
何も出来ん癖に、元帥位に居るなど私が許さん。」 と畳み掛けて来る。
「 別に貴方の許可を得る必要など有りませんが?」
天蓬は相手の手を振り払い出て行こうとしたが、陸康に阻まれた。
「 可愛げの無い。容赦でも乞うなら、多少は手心も加えてやろうと思った
ものを ・・・。」
そう言うと天蓬のシャツに手を伸ばし、引き毟ろうとする動作を見せる。
その手前でぱっと相手の手首を捕えた天蓬は、その手を憎々しげに突き
離した。
本来なら、その動きの徒ならぬ機敏さに気付くべきなのだろうが、実戦を
離れて久しい陸康にはそれも出来ない様子であった。
「 容赦も要りません。」
天蓬は返した。
見下している者から抵抗された、と感じた陸康は激昂して下げていた剣を
引き抜いた。
「 口応えせず、抱かれてしまえば良かったものを。」
「 何のためにです?」
「 立場を分かっているのか?お前は人気の無い資料室に居て、敖潤殿も
捲簾も付いていない。それどころか普段庇われている部下達も居ない状態
で、独り得物も持たずに居るんだぞ。」
「 まぁ、人が居ないのはそうなのでしょうが、得物なら有りますよ?」
そう答えると天蓬はもう一度素早い動作を見せ、陸康に並ぶような位置に
動き、剣を構える陸康の手を捕らえると、同時に持ち上げた膝に向かって
振り下ろし、躊躇いも無く相手の手首を叩き折った。
先程までの侮辱の数々で、既に許さぬと決心を着けている。
一旦決めてしまえば、その行為が残虐であろうと天蓬は躊躇わない。
当然のように放された剣を、持ち前の反射神経で落ちてしまう前にさっと
受け止め、陸康の喉元に宛がった。
「 まぁボクは気楽に遊び暮らしている男娼らしいので、軍のことなど考えず、
このまま腹立ち紛れに報復をしても良いということなのでしょう。」
息一つ乱さぬ冷静な声で天蓬は言った。
為された行為の惨さと声の冷たさに、陸康は傍目にも分かるほどに身体を
震わせ、大きく目を剥いた。
「 す、済まなかった ・・・ お詫び致します。て ・・・ 天蓬元帥!」
折られた手首の痛みに顔が引き攣り、今にも泣き出しそうだ。
元帥の威厳など最早何処にも無い。
天蓬が首筋から離してやった後も、剣がまだ天蓬の手に握られているのを
見て、ガチガチと震え続けていた。
呆れたようにそれを眺めていた天蓬だったが、直ぐに飽きて、黙って剣を
持ったまま資料室を出て行った。





「 済まなかった、天蓬。手間取ってしまって。」
元居たところに戻って腰掛けていると、捲簾が二人分の食事を持ってやっ
て来た。
「 誰か休んだとかで、食堂が混乱していてな。待ったろう?」 と顔を覗き
込む。
「 いえ。」
トレイを置こうとして捲簾は脇の地面に突き立てられた長剣に気が付いた。
「 何だこれは?お前の ・・・ じゃないよな?」
「 陸康元帥の剣です。襲われ掛けたので、それを奪いました。」
捲簾はぎょっとしたが、無事でいる結果が目の前で話している訳だから、
そう取り乱すことは無かった。
「 陸康なぁ ・・・。で、陸康はどうした。」
「 さぁ、早退されたとは思いますが。」
「 早退?」
「 手首を折っていらっしゃると思います。」
天蓬が眠たそうに言うのを聞いて、捲簾も安心した。
そうか、あの陸康がなぁ、とは思うが、贈り物をしてきた時点で下心は見え
ていた。
それにしても、実戦から離れて過去の栄光に生きている分際で天蓬を襲う
とは、身の程知らずを通り越していっそ滑稽だ。
それでも目の前で自分が襲われたことを余り考え込まれるのも不愉快だ
ろうと、捲簾は取敢えず食事を勧めた。
「 そうか、それなら良い。兎に角食え。」
天蓬はこの前の話で初めて料理が違うことに気付いたらしく、調度良い確認
の機会だと、二つのトレイの内容を見比べていた。
どうやら天蓬にとって、襲われるくらいは何でも無いことなのだろう、と捲簾は
思った。
ま、そんだけコテンパンにやっつけられりゃぁな!
「 同じにしか見えませんが ・・・。」 天蓬は暢気なものだ。
「 食堂に欠勤者が出て、特別製は無しだ。今日のはちょっと不味いかもな。」
「 分かりやしませんって。」
おかしなことに自信を見せる天蓬に捲簾は苦笑した。
こいつは今さっき大立ち回りをして来たんだろうに。
「 その剣は俺が統括本部に届けるのか?敖潤に渡して天帝にでも持って
いって貰うのか?それとも ・・・。」
「 暫くボクが持っています。」 と天蓬。「 相手の出方次第でしょう。」
「 成る程。」
「 美味しいじゃないですか。」
天蓬が食事に話を戻した。
「 これで充分です。」
またそれか、と捲簾は呆れるが、食事の仕方は優雅なものだ。
「 お前って何にでもとことん不器用な癖に、食事作法とかそういうことだけ
えらく優雅なんだな。」
「 はぁ?」 天蓬は曖昧に答えた。
子供の頃から叩き込まれたことで、今更自覚も無いらしい。
「 お前を見ていると飽きなくて良い。紐が解けん位不器用で、食事のマナー
は最高。そんでもって仮にも元帥を名乗る男の手を叩き折って、平気で
居るし。」
ああ、と天蓬は事も無げに頷いた。
「 ボクを敖潤閣下に拾われて、捲簾大将に面倒を見て貰っている男娼だと
まで言うので、容赦は要らないと思いました。そんな身分の者に剣で斬り
掛かって、なお負けるようなら、それは向こうの所為です。」
「 お前 ・・・。陸康はそこまで言いやがったのか。」
「 ボクは以前から色々取り沙汰されていました。敖潤閣下の愛人だという
謗りはずっと付き纏っていたのですが、閣下は全く意に介されませんし、
それなら良いかな ・・・ と。敖潤閣下は堅物で知られている方ですし、ボク
も仕返しはきっちりして来たので、悪口にはなっても信じている者は少ない
ようです。」
天蓬が食い止めて、捲簾を見た。
「 貴方はどうなんです?捲簾。」
「 複雑だな。お前をそのように見られるのは何より腹が立つ。しかし関係を
取り沙汰されることは嫌じゃない。つか、事実だし。」
「 そのようにとは?」 と天蓬が訊いてきた。
「 面倒見てもらっているのも事実ですが。」
「 え?」 思い掛けぬ言い条に呆然とする。
「 何を馬鹿なことを言い出すんだ、天蓬?」
「 今だってこんなですし ・・・。貴方も言ったじゃありませんか、何も出来
無いって、さっき。」
「 違うだろう、それ!俺のはどうでも良いことは何もしないって意味で、あ奴
のは、なけりゃならない軍人の資質も欠いていて、俺や敖潤の情けを受け
ているという意味だろう。しっかりしろよ。」
不思議そうに天蓬が捲簾を見詰めている。
何だろう、この言い方。
自分に文句を言っているというより、何かに拘っているように見える。
いきなり何かに拘り出して、苛付いているように感じて仕方がなかった。

その日の夕刻、勤務時間が終わって、天蓬が自室で寛いでいると捲簾が
やって来た。
昼食後、心配していた通り捲簾の機嫌が悪く、午前中とは打って変わって
無口であったことを案じていた天蓬はほっとしたのだが、捲簾は入って来る
なり部屋の奥まで進み、さっとカーテンを閉めると、いきなり 「 着ている物を
脱いで 」 と命令して天蓬を驚かせた。
これまで熱のある日にそういう話を持ち出されたことが無かっただけに、困惑
は有ったが、天蓬は上着を脱いでシャツにも手を掛けた。
捲簾が険しい目付きで覗き込んでいる。
シャツから腕を抜いた時、「 それだな。」 という声が掛かった。
え?と、自分の腕を覗いた天蓬は、そこに痣になった指の形を発見した。
「 これは ・・・。」
「 陸康のだろう。ここを掴まれたのじゃないのか?」
天蓬が頷くと捲簾は思った通りだと言った。
確証が持てる前に手を出すお前ではないから、こんなことだろうと思った。
そう説明しながら腕に手を掛けて更に詳しく調べていた捲簾は、何かを見
付けたらしく、表情を曇らせた。
「 指の跡以外に強く押された部分があるな。」
「 以外にって?」
「 ここんとこ ・・・。」 言いながら一点を指し示す。
くっきりした指の跡から少しずれた所に、強く押し付けられたもう一つの痣が
あった。
「 指輪が触れたのだろう。」
捲簾は持ち込んで来た袋からカメラを取り出し、写真を取ろうとした。
「 止めて下さい。こんな姿を ・・・。」
天蓬は抗議したが、捲簾に 「 それなら医者の所へ行こう。内側も撮影して
貰えるし、その方が良いから。」 と言われてしまい、それが嫌さに抗議を
引っ込めた。
それでも、嫌がっている天蓬のために、その箇所を出しただけの状態で
良いから、と言ってくれ、天蓬はシャツを着直して、片方の腕を抜き掛けた
状態で撮影された。
何枚かの写真を撮り終えると、もう服は着ても良いぞと言い残して、捲簾は
出て行こうとする。
「 それだけなんですか?」
天蓬が後ろから声を掛けた。
「 夕食は後で持って来るから。」
聞きたかった内容とは少々違った返事をして、行ってしまった。





暫くして戻って来た捲簾は、二人分の夕食を持って来た。
「 お前が見比べたがっていたから、自分のも持って来た。一緒に食おう。」
写真のことも陸康のことも蒸し返さず、そのことは忘れたように話題を変え
てくれている。
それが有り難いと天蓬は思った。
「 ほら、どうだ?」
促されてトレイに載せられたものを見比べると、確かに大分内容が違う。
「 本当ですね ・・・。」 天蓬が感心して言った。
「 取り替えましょう。ボクは今日のお昼にそちらを食べましたが、貴方も
興味があるでしょうし、ボクにとっても夕食では初体験ということになります
から。」
「 おい ・・・。」
天蓬がさっさとトレイをすり替え、食べ始めるのを見て、捲簾も天蓬のため
に用意された夕食に手を付ける。
流石に食材も高級という気がして美味いと感じたが、普段より質が落ちた
夕食をとっている筈の天蓬が何も言わないのを見て呆れていた。
「 何とも無いのか?」
「 そちらを見ていない状態で、これが今日のだと言われたら信じます。」
敖潤に拠って贅沢に慣らされている筈の天蓬が、軍に戻って来ても何も
不満を持たずにやってゆける理由を垣間見た気がした。
その様子に軽く笑い声を立てていた捲簾だったが、暫く笑った後で、自分
の方を見た天蓬に、「 なぁ ・・・?」 と呼び掛けた。
「 はい?」
「 俺がお前の副官になろうか?」
口に入れていたものを全部飲み込んでしまった天蓬がごくんと喉を鳴らし、
慌てて茶を飲んでいる。
「 大丈夫か?」
捲簾が背中をさすってやりながら尋ねた。
「 一体何を言い出すんです ・・・?」
「 いや、そんで普通の筈だけど?お前は本来俺の上官なんだし。」
「 本来を言うのなら、ボクは軍師で幕僚に留まるべきなんです。敖潤閣下
との間の密約で、ボクが好き勝手に振舞っているだけで ・・・。そんなこと
に付き合せているのは申し訳無いとは思いますが、でも ・・・。」
天蓬は顔を曇らせている。
「 気に入ってくれていると思っていました。」
「 そりゃまぁ ・・・ 仮にも大将って看板出してる方が見場は良いし、お前とも
自信を持って付き合えそうだが、差支えが出ている。だったら俺は副官に
回っても良いぞ?お前なら心から尊敬出来るしな。」
「 何故 ・・・?」
天蓬は困惑していた。
「 何故って、尊敬しちゃいかんのか?」
「 当然に、その前の部分への疑問でしょう。差支えって一体?」
ああ、と捲簾は頷いた。
「 お前は敖潤に今の地位で迎え入れられている。それが俺の下に入れば、
内部に居てお前の実力を見せ付けられている西方軍の連中なら兎も角、
外部の人間には、元々軍を率いることが出来なかったお前を、俺が敖潤に
頼まれて保護しているように見えるのかも知れん。」
「 陸康元帥ですか。」
「 ああ。」
「 捲簾 ・・・。」 天蓬が甘ったれたような声を出した。
「 ボクは貴方に殴り倒されたくはありません。」
今度は捲簾が咽そうになった。
「 馬鹿!別に上官を張り倒すのが趣味って訳じゃねえ!」
「 冗談ですよ。でも、軍師と兼任は無理です。」
「 それも冗談だろうよ。」 捲簾は溜息を吐いた。
「 現に俺が来るまで、お前はそうしていた。」
天蓬は暫く黙っていたが、やがてボソリと言った。
「 貴方の下で働いてみたかったんですよ。敖潤閣下はああいう方だし、
一度豪快な人の下で働いてみようかと思ったんです。大分予想とは違い
ましたが。」
「 だったら、もう分かったろう?体験期間は終わりにしようぜ。元に戻すん
だよ、天蓬。それがお前のためだ。」
天蓬はさっきから動いていなかった箸を置いて、食事を止めた。
立ち上がるとテーブルの周りを回って捲簾の隣に座り、首に手を回した。
「 貴方の副官で置いておいて下さい。お願いですから。」
耳元にそう囁く。
「 ふざけてる場合じゃない、天蓬。」
捲簾は追い払おうとしたが、そうしようとして振り向いたのが拙かった。
目が合ってしまった。
天蓬がここぞとばかりに顔の角度を下向け、伏せ目の上目遣いにして捲簾
を見上げる。
「 お願いします。」
「 お前は ・・・。」
叱り付けようとしたが、捲簾には後が続かなかった。





数日後、天蓬が捲簾が部下達の訓練をしている所を眺めていると、士官の
一人が傍に来て、「 敖潤閣下がお呼びです。」 と告げた。
天蓬が頷くと部下は小声で、
「 御注意を。御機嫌麗しいとは言い難いようです。」 と耳打ちした。
「 警戒レベル3?」 と問うと、「 4 ・・・ ですかね。」 という返事。
何故だろう?最後の討伐戦の際には負傷は無かったのに、と天蓬は訝った
が取敢えず急いで出頭するより仕様がなかった。
脇で聞くともなしに聞いていた捲簾も顔を顰めていたが、こればかりは代わっ
てやる訳にもゆかず、ただ黙って見送った。

「 閣下 ・・・。」
ドアをノックし声を掛けると、「 入れ 」 という応答があり、天蓬は中に入った。
「 閣下、御用は何でしょう?」
言いながら入ってゆくと、敖潤の机の上に箱が載っている。
天蓬が傍に寄ると、敖潤は蓋を取って中身を見せた。
着物が入っている。
「 今日領地から届いた。出して宛がってみろ。」
「 これは ・・・。」
「 今度の秋祭りにと思って作らせておいた。秋祭りは星祭りの類いだから、
人前に立つのが夜になる。白が目立って良いかと思って。」
手に取って見ると、やはり敖潤の好む、スリットの入った上着にゆったり
したパンツの取り合わせだったが、陸康の贈り物とはグレードが一桁違う。
同じ白の着物が何故こんなにも ・・・ と思うほどに上物に見えた。
厚手の絹で出来たパールホワイトの着物に、艶のある純白の刺繍糸で丹念
な竜の刺繍が施されているが、生地との間に僅かな色合いの差しかない
ため、刺繍が角度によって見え隠れするという趣向になっている。
何時もの事ながら何と見事な細工だろうと天蓬も思った。
流石にこれくらい違いを見せ付けられれば、服飾音痴の天蓬にも何とか
良さが理解出来る。
我知らず息を詰めて目を見開く天蓬の様子を敖潤は満足げに眺めていた。
「 気に入ったか?」
「 はい。」 と答えたが疑問が残っている。
「 閣下 ・・・?」
天蓬は恐る恐る切り出した。
「 先程、自分の部下が、閣下が不機嫌でいらっしゃると ・・・。」
「 ああ ・・・、不機嫌そうに伝えると、ちゃんとお前に警告がゆくのか。
それはまぁ ・・・ お前には良いことなのだろう。」
「 ああ、いえ ・・・。」
「 構わん。お前に便利であればそれで良い。しかし、不機嫌だった訳では
無かったがな。」
意味が分かりません、と言う顔をして敖潤を見る。
「 態度を少々変えようか、と思ってな。」
敖潤はそこで暫く言葉を止めたが、直ぐにもう一度切り出した。
「 ところで天蓬、おまえは陸康に罵られたらしいな。」
「 お耳に届いてしまいましたか。申し訳有りません。」
天蓬が項垂れた。
「 お前に非は無い。謝るな。」
「 しかし ・・・。」
敖潤が立ち上がって着物を箱から出し、天蓬に掛けてくれた。
「 良さそうだ。別に余所行きにする必要も無いし、普段でも着ていて良いの
だぞ?」
何時もに変わらぬ優しさだが、天蓬には今、それが痛いように感じられる。
何故知ったのだろうとも不思議に思うし、何処まで知ったのかも気に掛かる。
それより何より、知ってどういう気がしたか、が問題であった。
「 閣下 ・・・?」
もう一度訊いてみようとすると、敖潤の方から話してくれた。
その日のうちに陸康が自ら、天蓬に乱暴され手首を折られたと訴えて来た
のだという。
敖潤が捲簾を呼び付け、陸康の前で事情を訊いた所、捲簾は写真を出し
て天蓬の正当防衛を訴え、ついでに陸康のぶつけた台詞もばらした。
でっち上げだと罵る陸康の手を掴んだ捲簾が包帯を解いて、敖潤にその
手の平を見せると、そこには折られた時に剣を握っていたことを示す傷が
生々しく残っていた。
手首を折られ剣を放すまでの間に、一瞬強過ぎる力で柄を握り締めること
になった際の傷であった。
「 ですから、天蓬元帥が乱暴なことをなさったのは、陸康元帥が剣を抜い
てからのことです。それまでにも腕に怪我を負わされていらっしゃいます。」
捲簾がそう言った、と敖潤は天蓬に教えてくれた。
さらに、「 これと同じ証明を天帝の御前か統括本部でしましょうか。」 と脅し
付けて退散させたのだとも。
「 捲簾がそんなことを ・・・。」
天蓬は呆れ、敖潤には言えないものの、その実かなり腹を立ててもいる。
「 聞いていなかったのか?」
「 何も。その直後だと思う時間には、食事の話をしていました。ただ ・・・。」
「 ただ?」
「 捲簾に、彼を自分の副官にするようにと言われました。」
「 そうか。」 敖潤は簡単に言った。
「本来、そうあるべきなのだろうが。」
「 さもないと、閣下が捲簾に命じて自分の面倒を見させているようだと。」
「 その心配は無いだろう。西方軍内部ではお前の実力が見えている訳
だし、外部にもまぁ ・・・ たまにこういう形で、お前が鬼神モドキだという噂が
洩れてもいるようだしな。陸康は捲簾が東方軍を離れたのちに着任した男
で、それまでも何故か実際の軍には余り出入りしていなかった。
だから知らずにいたのだろう。」
「 知らずに ・・・。」
「 名誉職として元帥位に居ただけの奴だからな。前回の件で、お前への
謝罪に引っ張り出され、お前を見て要らぬ事を考えたのだろう。」
「 そうでしたか。」
「 でもまぁ ・・・ この件では私も多少は考えさせられた。この先、人には
お前に厳しくしているように見せておかんといかんかな ・・・ とか。」
「 はぁ ・・・?それだけでしょうか。」
「 それだけだ。人の居ない時にまでそうする必要は無い。お前はこれまで
通り、私を頼っていてくれれば良い。」
「 いえ ・・・ それ以外に、御気分を害されたのでは?」
「 何故?」
「 自分が閣下の気紛れで連れて来た男娼だと ・・・。」
「 だから ・・・。そんなおかしなことを考え付くのは陸康くらいのものだと言っ
っているだろうに。それにまぁ ・・・。」
そこで言葉を切って、この堅物の上司は、らしくもなくにやりと笑った。
「 捲簾に対しては多少良い気味だとも思ったし。」
「 はぁ ・・・?」
「 お前は、間違われるにしても私のものに見えるということだ。」
天蓬は混乱し、何も考えられなくなって立ち竦んでいた。
敖潤が着物を箱に戻して持たせてくれ、
「 下ろして着てしまっても良いぞ。祭りの分はもう一度作っても良いから。」
と声を掛けるのに送られて部屋を出た。

部屋を出た天蓬は直ぐに捲簾に出合った。
驚いたのと怒っていたのとで、口を衝いて出たのは、「 訓練は?」 という
咎め立てるような詰問であった。
「 ちょっと脱け出して来た。敖潤がご機嫌斜めだと言うから、気になって。」
「 御心配には及びません。閣下の御機嫌なら大丈夫でした。ボクは立派
に不機嫌ですが。」
捲簾は訳が分からないという顔をして見せる。
「 自分のことなのに、何もかもから遠ざけられて、酷いじゃないですか。
あ、それと、来月早々また敖潤閣下と出掛けますので、留守は宜しくお願
いしますね。どうせ居ても居なくても同じでしょうから、出掛けるのが楽で
良いですが。」
一気にそれだけ言うと、天蓬は箱を抱えてとっとと去って行った。
まだ、大して部屋から離れていなかったのと、天蓬の声が意外に良く通る
のとで、敖潤にまで届いたのだろう、何事かと敖潤が部屋の戸を開けて
こちらを覗いていた。
天蓬が立ち去ってゆくと、敖潤はふん!と息の音を立てて、戸を閉めて
しまった。
何でだよ ・・・。捲簾は戸惑った。
しかも、また出掛けるのか?殆ど月一じゃないか。
いや、間隔は兎も角、天蓬の多くない休暇のほぼ全てを独占しているのが
許せない。
今度こそ、阻止してやりたいと思うものの、天蓬の気性を考えると、どうにも
阻止出来そうな文句も見付からなかった。
しかも、行き先では天蓬は大事にされて、下にも置かれぬ扱いをされている
ようだし、それが丁度良い休養になって、あの身体に不似合いな軍籍に身を
置くことを可能にしているようにも見える。
そのことを考えると、行くな、とも言えなかった。
引き止めたところで、自分にそれ以上の環境が用意してやれる訳でも無く、
下手をすれば、身体に無理を加える行為もする。
更に、現在の天蓬の御機嫌は最低のようだ。
絶望的だ ・・・ と捲簾は諦めるしかなかった。





お誂え向きに入った討伐命令に、捲簾は喜んで天蓬の執務室を訪れた。
仕事がこれほど有り難く思えたことは無かった。
これで天蓬がどう旋毛を曲げていようと、仕事上の指令を受け取るという
名目で堂々と訪ねて行くことが出来る。
流石に何時もの調子で、「 てんぽー 」 と入ってゆく気にはなれず、捲簾
は一応部屋をノックして応答を待った。
どうぞ、という答え。
捲簾が入ってみると、天蓬は窓の側に立ち、煙草を吹かしていた。
「 出来ていますよ。計画書。」
机の上に載った書類を摘まみ上げて覗いてみる。何時もの事ながら出来
は良い。思わず惹き込まれて、これなら ・・・ と思い始めた時、天蓬の咎め
るような声が掛かった。
「 読むのは自室に戻ってからにして貰えませんか?」
「 さっきから、何を怒っているんだ。」
「 何も。渡すものは渡したから出て行って欲しいと言っているんです。」
「 お前は ・・・。」
「 もう、食事の世話も要りません。食堂には自分で行きますし、部屋の掃除
も自分でします。・・・ いや ・・・ 埃で死ぬことも無いでしょう。」
何事か一人で思い悩んで、勝手に結論を出してしまっている様子だった。
「 だから、何故?」
「 別に。」 としか天蓬は言わなかった。
「 もういいから、放っておいて下さい。元に戻りたくなりました。独りで居る
方が良いんです。」
仕方なく退散したが、部屋を出てからも先程の天蓬の言葉と、もしかしたら
それ以上に、異様に冷たかった語調が気に掛かった。
元にって ・・・ あの、大勢の部下から崇拝に近いような慕われ方をしていな
がら、自分以外誰も信じない目付きをして、身体にも気持ちにも触れさせず、
その癖愛想だけは適当に良く、何時も綺麗にそして痛々しく微笑んでいた、
あの頃のことを言っているのだろうか?
まさかな、と捲簾は頭の中に浮かんだそのイメージを否定した。

しかしその後、討伐戦に出た捲簾は、その 「 まさか 」 が見事に具象化した
ところを見せ付けられる羽目になった。
現場に出た天蓬は捲簾の指揮下に入ったが、命令以外のことは何一つ
愛想を見せず、職責だけを忠実に果たした。
やらせれば何だってこなすのだろうが、とその態度に捲簾は思った。
ここで俺が死ねと命じたら、黙って従い、本当に死んでしまいそうだ。
しかし、それでも感情は見せないのだろう、とも。
捲簾は捨て鉢だった頃の天蓬を思い出して嫌な予感に襲われた。
一連の闘いを終えると、自分からわざわざ捲簾に報告に来て、帰還を許可
して欲しいと願ったが、捲簾が見せたがっていない顔を無理矢理覗き込む
と、少し紅くなっている。
思わず手を伸ばそうとすると、さっと身を引いて睨み付けた。
仕方無く、片付けはお前の仕事では無いと告げ、帰還を許可した。
「 これで、俺の指揮下から離れた訳だが、部下としてなら送って行って良い
か?」
「 必要有りません。送られなくとも独りで戻れます。」
「 そうかな?俺には先程まで先頭を切って走り回って闘っていた奴とは
別人にしか見えないが。」
返答は無かった。天蓬はそれでも付き添いを許さず、顎を引いて姿勢を
正すと、無理矢理に歩調を速めてゲートに向かって行った。
ある意味ストイックな美しさだとは思うが、捲簾はそういう痛々しい姿を好ま
なかった。
何とかしなければなるまい。・・・ だが、どうやって?

上までしっかりと止め具を嵌めた軍服を緩めもせずに、天蓬が兵営の廊下
を歩いてゆく。
まるでまだ戦闘中であるかのような険しい表情に、擦れ違う兵士達が震え
上がった。
以前の天蓬に戻ってしまっている、と誰もが思った。
もう一人、複雑な思いでそれを眺めていたのが敖潤だった。
敖潤は天蓬に歩み寄ると、前に回って行き先を塞ぐようにして呼び止めた。
「 報告は?」
「 後程、捲簾から ・・・。」
天蓬が言い掛けると、力強い硬い腕が伸びて天蓬の詰襟に掛かり、止め具
を外した。
近くに居合わせた者が息を呑んでそれを見詰めている。
首筋を肌蹴させてみると、案の定首筋から肩に掛けて酷い痣になっていた。
「 負傷隠しの復活か?」
天蓬は答えず、ただ目を伏せた。
敖潤はそのまま乱暴に腕を掴むと、引き摺るようにして、何時もの営倉に
連れ去ってしまった。





一足早く戻った天蓬の顛末を、今回の戦闘に参加せず目撃した部下から
聞かされた捲簾は、敖潤に会いに出掛けた。
捲簾が入って来ると、敖潤は途端に不機嫌になる。
「 この、役立たずが。」
ま、予想はしていた言葉である。
「 天蓬を元の状態どころか、元以下に戻してしまいおって。」
「 元以下?」 言われて鸚鵡返しに聞き返した。
「 最早や、私にも堅苦しいだけの表情しか見せない。」
「 あんたにも?」
「 言って置くがな捲簾、私は天蓬に対して、戦闘時以外に身体を庇ったこと
と、休日に連れ出したことくらいしかない。あれが軍師だと思っているから、
作戦に口を挟んだことも無い。仕事絡みの事では何も口出ししてはいない
んだ。わたしは上司として許可を出し、責任を負い、他軍と擦れ合った時に
解決を図るだけに止めていた。」
「 それって、天蓬が嫌がるから?」
「 その通りだ。第一、口出しの必要が無かった。」
「 確かになぁ ・・・。」
捲簾はそう答えた。確かに天蓬の立てる作戦にチェックは要らないだろう。
戦闘についても同様だ。体力の有る方ではない癖に、大胆にやってのけ、
しかも、大胆に冷静が並列しさえする。
その闘い方は誰にも真似出来ぬものだ。
「 俺も心から信頼していたんだが ・・・。」
「 だのに、陸康からの苦情を隠したのか?まさか言っていなかったとはな。」
「 別に天蓬だから言わなかった訳では ・・・。相手が誰でもあんな不愉快な
ことを本人に伝える気は無いが ・・・?」
「 ふーん?」 敖潤は嫌な相槌の打ち方をする。
「 まぁそうなのかも知れんな。お前はその面に似合わず、人に優しい。」
「 人の面をどうこう言っている場合か。俺だけでなくあんたも頼らなくなって
いたとは ・・・。」
それでは今の天蓬は敖潤に出会う前の、何かがあったとされる東方軍時代
と同じだということではないか。
いや、そうとは言い切れないか。天蓬が甘えなくなっても敖潤は構い続ける
だろうし、その場合には自分と違って格上である敖潤は拒まれない。
「 で、今天蓬はどうしているんだ?あんたが連れて行ったと聞かされたが。」
「 何時もと同じだ。営倉にぶち込んでおいた。だが ・・・。」
「 うん ・・・ ?」
「 今までとは違って酷い嫌がりようだった。自分を懲罰房に入れて欲しいと
まで言っていた。あれの性格から言って、それで目一杯私に逆らっている
のだろうとは、私も思ったが。」
「 拒否は出来ない訳か ・・・。もっと酷い所に収監しろというのがあいつの
拒絶か。」
「 らしい。」
それじゃ、既に全面拒否ってことじゃないか、と苦々しく思っていると、
「 だから貴様は役立たずの疫病神だ。」 と止めを刺された。
「 逃げ出してしまうかも知れんな。あれが本気を出したら、鎖も解くし、部屋
の鍵も開ける。」
「 見舞いに行きたいんだが ・・・。」
「 止めておけ。」 と敖潤は言う。
「 今回、厳重に脱走防止しているから、貴様には会いたがらないだろう。」
「 脱走防止?枷以上の?」
「 着ていたものを全部取り上げておいた。下着までな。・・・ 命じたら自分で
差し出して寄越したが、今の貴様には見せんだろう。」
「 あんたには今でも全面的に服従する訳か。」
「 らしいが、危ういな。これまでの天蓬とは目付きも全く違うし。・・・ 貴様は
もう手を出すな。これ以上拗らせるんじゃない。」
捲簾は退散した。

自室の窓辺りに腰掛けて捲簾は煙草を吹かしていた。
あの時の天蓬も、こうやって煙が窓の外に流れてゆくのを眺めていた。
陸康の苦情を耳に入れられなかったことがそれほど悔しかったのだろうか。
それより何より周囲に庇われて、当事者でありながら事件から引き離され
たのがお気に召さなかったのだろう。庇われるのが未だに辛かったのか。
熱を出して自分に凭れ掛かって来た時、その癖が治ったかと思ったのに。
いや ・・・ 治っていたのかも知れないな。確かに一度は立ち直りかけていた
のだろう。
しかし、その治り方そのものが仕事上のプライドを背景に成り立っていた
のかも知れない、捲簾はそう推測していた。
職業的な自信を背景に、私生活の些末を明け渡して寄越したのだろうが、
それが天蓬が捲簾に促されてやっと譲ったギリギリの線であったに違い
無かった。
だから陸康が捩じ込んだ時、敖潤が事務的に当事者を陸康に会わせる事
を避けて、事情を知る筈の自分を呼んだ事には腹を立てず、寧ろそれが
教えられなかった事の方を強く嫌ったのであろう。
天蓬は必要も無く自身の揉め事から遠ざけられたと感じたに違いなかった。
これまでの会話を思い起こしてみても、天蓬に、気分の良くない話だから 、
といった種類の感情論は通じなかったように思う。
他人には思い遣りを掛ける事も多かったようだが、こと自身に関しては、惨
かろうが情けなかろうが、事実は事実として認識していたかったようだ。
俺は間違えたか ・・・?
「 俺があいつのやっと寄せた信頼を踏み躙ったのか?」





翌々日の遅くに、次の仕事が入った関係で天蓬は思い掛けない早さで釈放
されて営倉を出た。
仕事も然ることながら、今回の怪我が打ち身だけであったことで、痣が全部
消えるのを待つほどでも無いだろうという、敖潤の判断であった。
天蓬は返された軍服の詰襟を上までしっかり止め具を掛けて着込み、敖潤
の差し出す眼鏡を掛けると、一礼して自室に引き返して行った。
数人の士官が見に来ていたが、誰にも声を掛けない。
その中に捲簾も居たが、それが一番話したくない相手であったろう。
自分に必要以上に深く関わろうとする者は最早誰も許さない ・・・ そんな
気分になっていた。

地形が拙 (まず) いな、と天蓬は考え込んでいた。
山城というのはこれだから ・・・ と思い悩んでいる所にノックの音がした。
「 よろしいでしょうか?」 捲簾の声だった。
「 まだ出来ていません。もう少し後で来て下さい。」 と答えたが、相手は
構わず入って来た。
「 軍服を着たままなのか?首筋の怪我が残っているのか?」
天蓬が行儀良く軍服を着込んでいるのを見て、勝手に推測している。
「 貴方に関係無いでしょう。」
「 明日から自分の指揮下に入る者の体調を訊いて何が悪い。」 と捲簾。
「 痣は残っていますが、痛みはもう有りません。御納得頂けましたか?」
「 天蓬。」 捲簾は改めて呼び掛けた。
「 今までに築いた信頼関係は、たった一つのことで全部消えるのか?」
「 何も築いた覚えは有りません。」
天蓬は冷たく言い放った。
「 何もって ・・・。」
「 何も約束した覚えも無いし、信じるとも言わなかった。そうでしょう?」
「 お前、それで良いのか?」
「 ええ。独りでいるのが好きなんです。」
捲簾があれからすっかり散らかってしまった部屋を眺めて、眉を顰める。
「 掃除だけでもしていこうか?」
「 要りません。」
「 めしも食ってないみたいだ。身体が細くなっている。」
「 余計なお世話です。倒れる前にはちゃんと食べます。」
「 じゃぁなくて、時間が来たら食うものなんだがな、普通。」
天蓬が思い切り怖ろしげな顔をして睨み付けた。
「 とにかく夕食を持って来よう。どうせ行かない気でいたんだろう?俺が
持って来て良いよな?」
「 後で自分で行きます。」
「 本当なんだろうな?後で確かめるぞ。それで行っていなければ、明日の
お前の戦闘参加は無い。」
それまで渋々といった様子で捲簾に付き合って返事をしていた天蓬の表情
が変わり、やっと顔を上げて捲簾を見た。
「 一体何を言い出すんです。」
「 めしも自分で食えないような部下は要らん。それでもお前がそんな奴でも
戦闘に参加して良い、それがここのやり方だと思うのなら、現場もお前が
指揮を取れ。俺はそれで良いし、お前の下に入る。」
捲簾の表情は険しく、冗談や酔狂で言っている様子では無さそうだった。
「 後で行きます。作戦の方ももう少し時間を下さい。」
天蓬が重ねて言うと、捲簾は分かった、と言い残して部屋を出て行った。
捲簾が出て行くと天蓬は机を離れ、窓辺りに寄って、また煙草に火を点け
た。
実の所、作戦は粗方出来上がっている。
今一度の点検を、そう思っていた時に捲簾が入って来たのだった。
来なくとも用が出来ればこちらから行くに決まっているものを見に来られる
のが情けなかった。
一時は仕事上の才能だけは認めてくれているのかと安心していたが、陸康
の件で蚊帳の外に置かれてから、やはり甘えるものではないと思い知った。
一旦甘えてしまえば、自分で出来ることにさえ助けが入る。
見縊られてしまうということなのだろう。
唯でさえ自由にならぬ身体を抱え込んでいるというのに、この上そういう
種類の見下し方をされるのは堪らないと思っていた。
庇う気持ちの何たるかなど、理解の仕様も無い天蓬であった。

更に夜が更けて、捲簾がもう一度部屋を覗くと、天蓬はソファに腰掛けて、
ぼうとしている所だった。入っていっても何も言わない。
一瞬眠っているのかと思ったが、目はしっかり開けられていた。
「 作戦指令書はそこに。読むのは自室でお願いします。」
天蓬が事務的にそう言った。
「 めしは食ったのか。」
「 先程済ませました。それで問題無いでしょう。」
見ると机の隅にトレイが置かれている。
自分で食堂に取りに行き持って来たのだろうが、大半残されていて、どれ
に手を付けたのかも分からぬほどである。
「 進んでいないな。明日の戦闘には不参加ということにしてやろうか?」
脅すようにそう告げてみたが、天蓬はゆっくりと首を横に振った。
「 指令書を読めば分かります。ボクが居なければ、作戦は継続出来ませ
ん。」
「 そういう奴を態とに作ったって事か。」
「 必然です。適任でしたから。」
「 そうか。」 捲簾はただ頷いて、部屋を出て行った。

「 天蓬の独り軍隊の復活だな。」
自室に戻って作戦指令書を読み終えた捲簾は呟いた。
こんなものまでが昔に戻っている。
自分がここに着任する以前の ― 着任しても正す以前の天蓬の戦闘術が
指令書の中で完全復活を遂げていた。
止めさせねば ・・・ と思うものの、作戦自体は良く出来ており、非の打ち所
が無い。
問題は唯一つ、天蓬に掛かるであろう負担の大きさだが、仕事の内容が
難しく他者には任せられそうに無かった。
態とにそう作ってあるような気もする。
確かに誰が見ても良く出来た作戦には見えるのだが、その一人に掛かる
負担ばかりが大きく、それが超人的に働くことを前提に作られていた。
良く出来た作戦とは、本来こういう部分を作らない作戦のことを言うのでは
ないのだろうか?
しかし、現に一人だけとは言え遂行可能な人員は居る訳で、却下出来る
理由も無かった。
敖潤に訴えることも考えてみたが、直ぐに無意味だと思った。
そもそも自分が来るまでこの軍では、それが罷り通っていたということが、
敖潤にも止められなかった事を示していた。
それに、敖潤その人から聞かされてもいる。
作戦にも実行にも口出ししたことが無いと。
敖潤は軍師としての天蓬の意見を自分とは別格の問題として受け容れ続け
て来たのだろう。
だからこそ、天蓬が無条件に懐き、信頼を寄せて来たのかも知れなかった。
しかし、だ。
そんなことまで許し、全ての受け皿になる人物は二人は要らなさそうにも
見える。
寧ろ必要なのはそれを止められる者だろう。
「 俺がやるしかないのだろうな ・・・。」
捲簾は観念して立ち上がった。

「 不承知とは?」
今にも噛み付きそうな勢いで天蓬が反発した。
元々夜中に叩き起こされて機嫌は悪い。それまでの経緯というものもある。
「 やりたければお前が指揮を取って自分でやれ。少なくとも俺にはこういう
命令は出せない。」
「 今回、ボクが軍師として考え得る作戦はこれ一案です。他には有りませ
ん。」
天蓬は言い切った。
「 嫌なら貴方が作戦を立てれば良い。ボクはそれがどんなものでも従い
ますから。」
先程、嫌ならお前が指揮を取れと言われた仕返しでもしているつもりだろう
か、益々無理なことを言って来る。
「 天蓬 ・・・ それは無理だ。俺は作戦に関してお前には全幅の信頼を置い
ている。お前に敵う者は誰もおらんとな。その仕事を引き取る気は無い。」
本音であった。
着任以来、何が東方軍時代と変わったといって、西方軍の作戦指令の良く
出来ていたことほど変わったことは無かった。
当時には分からずにいたのだろうが、それを知ってからは、東方軍に居た
頃の指令は、自分が戦わない奴の気紛れなお遊びだったと思えた程で
あった。
捲簾はそれをそのまま明け透けに天蓬に伝えた。
「 だから、自分で引き取って変える気は無い。お前に変えて欲しいとお願い
しに来ているんだ。」
椅子に腰掛けて聞いていた天蓬が捲簾を見上げている。
「 そうなんですか?」
「 本音だ。今までの俺の言動とも矛盾は無いだろう?」
「 しかし、これ一案しか無いのもボクの本音です。職業的なことに嘘は吐か
ない、自軍の損傷無しに何とかなりそうなのはそれだけです。」
表情を探ってみたが、その通りなのだろう。
「 では、実行者として人選の提案だけしたいんだが ・・・。」
「 良いですよ、どうぞ。」
「 今回その位置以外の仕事は然して難しくないようだ。俺の指揮は永繕に
任せて、俺はお前と行く。」
「 危ないですよ。力仕事と言うより潜入ですから。向いていないのでは?」
「 それが何時力仕事に変わるか分からないから躊躇っているんだろうに。
その時のためにも俺がいた方が良いだろう。」
戸惑ったような表情をして天蓬が顔を見ている。
仕事としては承知するより無いのだろうが、気持ちとしては未だ捲簾と二人
にはなりたくないらしかった。
それでも結局、仕事上の問題に私情を持ち込む様を人に見せたくない気持
の方が勝ったのか、天蓬は抑揚の無い声で 「 分かりました。」 と答えた。
顔にはそれが辛いと書いてあり、捲簾も少々気が咎めたが、普段の彼なら
ともかく、深層で自棄を起こしている気味の有る天蓬を独りにすることが
どうしても出来ない。
「 それは良かった。」 そう言うと捲簾は引き上げて行った。





天蓬の調子は最初から悪そうだった。
捲簾の手伝いを断ったことで、生活全体が壊滅的に打撃を受けている上、
捲簾が来る前に部下が与えていた保護は、新しい上官に対する遠慮から
まだ復活していなかった。
一時的に断ち切られた他者の手助けを、天蓬は自分で補おうとすらしない。
生活や体調の管理が全く出来ないこの欠陥軍師は、たったこれだけの事
で目に見えて弱っている。
尤も、目に見えるのは捲簾を始め少数の側近の者だけで、それ以外の
兵士達には普通に見せている意地っ張り振りが流石と言おうか、最大の
問題点と呼ぶべきなのか ・・・。
更に昨夜は残業し、また捲簾の命令に悩まされて殆ど眠れてもいない。
どうやって背筋を伸ばして歩いているのだか分からないほどに弱っている。
いっそ体調の悪さを指摘して、作戦から外してしまおうかとも考えたが、作戦
自体が天蓬を必要としており、また外して黙って引っ込む天蓬でもなく、
捲簾にはただ傍にいてやることしか出来なかった。

無事戦闘が終り部下達と合流して、仕事の終了を宣言し、労いの言葉を
掛けた後、「 良かったな。」 と天蓬をも振り返ってみると、今の今まで先頭
に立って皆を導いていたはずの天蓬は、何処も見ていない虚ろな目をして
立ち尽くしていた。
はっとして慌てて腕を掴み、「 お前は一足先に帰って、敖潤に報告して
おいてくれ。片付けは俺がやるから。」 と引っ張ると、不思議なことに目が
虚ろなままではあったが普通に歩く。
永繕の方を見ると、彼も一緒に付いて来たので二人をゲートまで送り届け、
「 頼む ・・・。」 と声を掛けた。
ゲートが閉まった瞬間、堪え切れなくなったものか、天蓬は意識を失くし、
支える永繕の腕に崩れ落ちた。





帰還してみると、丁度夕食時間帯の始まりと言った頃合いで、ゲート付近
にも廊下にも人影がなかった。
多少の躊躇いはあったが覚悟を決めると、永繕は天蓬を抱き上げた。
軽い ・・・ 女性ほどではないので、肩を使ってはいるが、とても成人男性の
体重とは思えない。
刀剣は ・・・ と思って覗き見ると、気を失っているはずの天蓬がそれだけは
握り締めたままでいた。
溜息が出たが、ゆっくりとはしておれない。
行き先は ・・・ と永繕は素早く考え、ゲートから一番近い敖潤の部屋に行く
ことに決めた。
どうせあの方には身体のことはバレている。
また負傷隠しで叱られるよりは、距離の点で有利な今こそ頼った方が良い
だろう。
そう考えながら敖潤の執務室を訪ね、入室の許可を受ける間に人目に触れ
るのを嫌って、思い切ってドアを開け中に入った。
この特別待遇の最上官の部屋を訪れるのは初めてであった。
入ってさっとドアを閉めると、恐る恐る奥を見る。
敖潤が無言のまま立ち上がり、こちらに来ようとしている所であった。
「 閣下 ・・・。」
敖潤は永繕をソファに導くと、天蓬の手から刀剣を奪い、傷付けずに下ろ
せるように手伝ってくれた。
「 仕方の無い大馬鹿者だ。」
敖潤が下ろした天蓬の身体を伸ばしながら言った。
頭にクッションを宛がい、眼鏡を外してテーブルに置く。
白磁の様なと噂される面立ちが露わになり、乱れて顔に掛かった髪の毛を
指先で元の位置に返してやると、敖潤は手の甲をそっと頬に押し当てた。
姿勢が楽になった所為か、天蓬が薄っすらと目を開け、敖潤に気付いた。
覗き込んでいる敖潤に、「 申し訳有りません、閣下 ・・・。」 と掠れた声で
謝っている。
「 皆の前でしくじってしまったようです。」
「 誰にも知られてはおりません。大丈夫です。」
永繕が横から言葉を掛けた。
「 ゲートに入るまで、何故か貴方様は御自身で歩いていらっしゃいました。
刀剣もしっかり持たれたままで、です。」
永繕に気付いて呆然とし、次いで起き上がろうとする天蓬を押さえながら
敖潤が振り向いて永繕に言葉を掛けた。
「 御苦労だった。もう下がって良い。後は私がやる。」
他言無用は、告げる必要すら無さそうに見えた。
永繕はただ一礼して部屋を出て行った。
「 ここは ・・・?」 天蓬がぼやけて見える部屋のことを訪ねた。
「 私の執務室だ。心配は要らない。永繕がゲートから一番近いのを良い事
にここに担ぎ込んだのだろう。厳しく接していたつもりだったが、選りにも
選って、上司の私の所へ逃げ込んで来るとはな。お前の躾が余程良かった
のだろう。あいつにはお見通しだったという訳だ。」
「 営倉の中身以外は、何もかもバレていると思います。」
「 その営倉まで歩けそうか?」
「 いえ、もう自分の部屋に戻りたいのですが。」
「 襟首を掴んで引き摺ってゆくと言う方法もあるぞ ・・・?」
天蓬は黙ると目を瞑った。立って歩かなければならないなら眩暈をもう少し
治める必要が有りそうだった。

夜になってから捲簾が敖潤に会いに来た。
天蓬は何処かと真っ先に尋ねる捲簾を睨み付けながら、それでも
「 何時もの営倉だ。」 と教えてやる。
「 医者を呼んだら、少なくとも四・五日は飲まず食わずだったろうという診立て
だった。今、点滴を受けている。」
「 軍医を呼んだのか?あそこへか?そりゃ ・・・ ぶったまげたろうな。」
「 入ったことがあるという口振りだな。まぁいい。・・・ しかしそんな訳は無い
だろう。私の主治医を呼び寄せた。」
「 はぁ ・・・?まぁ、あんたは異界の住人だから ・・・。」
「 そうだ。」 敖潤は捲簾に向き直りながら厳しい声で言った。
「 私は貴様達から言うと異界の住人だ。そして、天蓬ももうそろそろ、その
異界に連れて戻ろうかと考えている。」
「 何だと?」
捲簾が驚いて顔を見る。
「 もう少し好きなようにさせておいてやりたかったが、貴様が下手を打って
ばかりするから、限界のようだ。」
「 そんな ・・・ 可哀想な。あんなに気に入っているのに ・・・。いいか?あれは
何千年に一度の逸材だぞ。それを天職から引き離すなんて ・・・。」
「 心配は要らない。異界に引き取った後は記憶は削除するから。」
平然と口にされた敖潤の残酷な台詞に、捲簾は唖然とした。
「 何を馬鹿な ・・・。あいつから軍籍を奪うだけでなく、その記憶も消すのか!
あれがあいつの本来の姿だというのに!」
「 闘い続けるのが本来だなどという者はおらん。あれも血生臭い環境から
引き離してしまえば、心安らかに暮らすさ。」
「 それじゃ人形だろうよ。綺麗だと愛でられてそれだけなのか?」
「 天蓬は既に承知している。」
「 何でまた ・・・。」
捲簾に信じられる訳も無かった。
「 以前にも一度そうし掛けたことがあったが、思い止まっていた。その時に
あれにその処置のことは話した。あれはそれで良いと言ったが、貴様に未練
があって哀しそうにしていたので、元の立場に返したんだ。だが、今回は
もう何も無さそうだ。あれも意味を分かっていて承知している。」
「 そんな ・・・。」
捲簾が呻き声を上げた。
「 もう少し回復させたら連れて行く。私もここを離れるつもりだ。」
そんな馬鹿な。あの天蓬が軍を離れて全てを忘れて、人形みたいにして
異界で平和に暮らすだと?それじゃ、天蓬元帥の処刑と抹殺じゃないか。
あってはならないことだ ・・・ 絶対に。
「 分かったよ。」 不意に捲簾が重く低い声を出した。
「 良く分かった。俺が軍を離れる。今直ぐ退官願いを書く。そうすれば天蓬
は俺が来る以前の状態に戻れて西方軍のトップに立ち、生き生きして暮ら
せるんだろう?俺が辞めたら、あんた天蓬をここに置いといてくれるんだよ
な?」
敖潤が捲簾の顔を覗き込んだ。
真剣な顔をしており、口元が必死の思いに引き攣っていた。
それでも敖潤はその真剣さを汲んではやらなかった。
「 ま、言葉では何とでも言える。私は上面の言葉は信じない。天蓬だって
そうだ。あれはある意味誰より人の言葉に翻弄されて来た。」
「 今直ぐ書くと言ったろう。それに、天蓬に会わせてくれなくても良い。
書き終えたら今夜の内に出て行く。」
「 貴様に出来るものか。」
「 やるさ。天蓬はどうしても軍に置いておきたいからな。」
そう言うと捲簾は出て行った。





点滴がチューブを降りてくるのを天蓬はじっと眺めていた。
半分ぼやけて、見えてはいなかったが、まぁいい、仕事を離れてしまえば
視力もそう必要ではあるまい。
そう言えば、発熱ももうどうだって良い訳だ。
枷も鎖も掛けられておらず、戸も施錠されては居なかったが、最早天蓬は
起き出そうとも逃げようともせず、大人しく点滴を受け続けていた。
この先敖潤のところに行くとなれば、身体は治っていた方が良いだろう。
思えば無理ばかりを良くぞ通してきたものだ。
「 今度こそ、終わりにしないといけませんよね。」
天蓬が小さく呟いた時、ドアが開いた。
「 天蓬 ・・・。」
入ってきた敖潤が深刻そうな顔をし、ベットの端に腰を下ろしたのに、天蓬
は驚いた。既に決着が着いている話なのに、何故今になってそんな顔を
するのかと訝っていた。
「 捲簾が軍を去るそうだ。」
寝耳に水のその報せに思わず、「 え?」 と声を上げ、起き出そうとして敖潤
に押さえ付けられた。
「 落ち着け。見せたいものがある。」
敖潤の力強い片手で肩を押さえられ、ベットに縫い付けられるようにして
半身を起こした形に固定されていた天蓬は、その状態で捲簾の退官願い
を見せられた。
「 何のためにこんなことを ・・・?」
「 捲簾が、天性の軍人であるお前を天職に留まらせたいそうだ。」
「 そんな ・・・。閣下が留めて下さったのでしょう?」
「 留めなかった。今日中にここから引き上げろと言い渡しておいた。」
天蓬の瞳孔が大きく開いた。唖然とし、息を弾ませている。
「 当然だろう?私としてはこんな風に絶望したお前を連れて帰って、可哀想
な退官のさせ方をするより、捲簾の居なくなった西方軍で嘗てのようにお前
が一人でトップに立ち、縦横無尽に活躍しているのを眺めている方が良い。」
「 いえ、それは ・・・。」
「 良かったではないか。お前もこれでもう怯えなくても良いんだし。」
「 怯えた?自分がでしょうか ・・・?」
背筋を何か冷たいものが走り抜けたような気がした。
「 己が見下されているのではないかとか、捲簾が己を信頼していないの
ではないかとか、身体の弱いことを笑われていないかとか。」
内部にドクン!と大きな鼓動の音を聞く。
「 そんな、自分はただ ・・・。」
天蓬は反論出来ぬことに気付くと、急に怖ろしくなって身体を振るわせた。
全てが己の誤解であったとしたら、それでも退き下がってくれた捲簾は、
一体 ・・・?
暫く小刻みに震えていたが、やがてゆっくりと手を持ち上げ、肩を押さえて
いる敖潤の手に白く細長い指を載せた。
「 閣下 ・・・。お願い致します。どうか ・・・。」
敖潤は眉を片方だけ上げて見せた。
「 私にどうにか出来ることでは無いだろうに。」
「 どうか ・・・。」
同じ事をもう一度言いながら、凹レンズを取り払われて大きく見える瞳に
みるみる涙を滲ませる。
翡翠の瞳が何度か涙を湛えたり零したりを繰り返すのを眺めていた敖潤
は、ややあって自分に掛かった華奢な指をゆっくり外させ、このどうしよう
もない不肖の部下を胸に抱き寄せた。
「 まぁ軍隊などという場所に、涙をぽろぽろ零す軍師がいるというのも面白
いかも知れんな。私ももう暫く今の仕事に着いていたいような気がするし。」
胸の中に顔を埋めるようにして聞いていた天蓬は、その言葉に顔を上向
けて敖潤を見上げた。
「 ・・・・・?」
敖潤はゆっくりと身体から天蓬を引き離すと、点滴のチューブを外し、注入
用の針の上にガーゼを宛がって止めてくれた。
更に元々着ていた軍服を手渡し、「 点滴の続きは受けろよ。用が済んだら
ここに戻って来い。」 と告げる。
「 ですが ・・・。」
「 私にはどうにもしてやれん。行って己が力で留めてくることだ。もう分かっ
たろう?最初の捲簾の行為がお前を見下したものだったかどうか。」
天蓬は頷いた。
「 私のことは良いから、己の思うように解決しろ。」
「 閣下 ・・・?」
天蓬が様子を窺うように敖潤を覗き込む。
「 臆病になるな。以前に言った通りだ。お前が何処で何をしていようが、見
守り続けていてやる、ずっとな。」
「 申し訳有りません。」
「 もうそれは良い。お前の気の済むようにして来い。」
敖潤が服を着せてやり、立つのにも手を貸した。
天蓬は身の竦む思いだったが、何度敖潤の表情を窺っても、ただ穏やかに
見守るような表情しかしていない。
「 一々人の顔色を窺うな。これはそれだけお前が上官として立派に勤めを
果たして来たということなのだろう。」
立ち上がり出て行こうとする天蓬に、敖潤は持っていた退官届けを目の前
で二つに引き裂き、渡してくれた。
「 不受理だと言っておけ。」
「 有難う御座います ・・・。」
「 早く行け。」
敖潤に促されて天蓬は営倉を出た。





営倉を出てから眼鏡を貰ってこなかったことに気付いたが、引き返している
暇は無かった。
一応西方軍の敷地内に居さえすれば、全ての設備の位置は分かっている。
問題は現在己が何処に立っていて、何に向かい合っているかが分からない
ということなのだが、ええい、と天蓬はそのまま走り出した。
休まされ手当てされていたことで身体は一応走れる所まで回復していたが、
視力の足りないのがどうにもならない。
明るいとは言えない夜の兵営を走り抜けようとするうち、途中何度も人に
ぶつかって謝った挙句、ついでに支柱やら何やらにもかなりの回数謝った。
そうこうするうち、どう考えても自分から寄って来てぶつかったとしか思え
ない人物にぶつかった。同時に人影が急に自分の周りを取り囲む。
「 一体 ・・・。」
目を凝らすと、見た事の無い顔が並んでおり、制服も西方軍のものでは
なかった。
「 これは、天蓬元帥。眼鏡をお忘れですか?」
慇懃だが揶揄の入り交ざるその台詞に、相手が東方軍の兵士だと気が付
いた。
しかし、制服に付けられた階級章の少なさから、彼らが下士官だと知れる。
「 何故、行き先を塞ぐんです。」
天蓬は相手を嗜めた。
「 いや、綺麗な女官がお通りかと思って近付いたのですが、違っていたよう
です。」 そういった後、直ぐに語気を荒げて、「 付き合って貰おうか。」 と
顔を近寄せ凄んで来た。
あの時の陸康と同じように、独りで居る天蓬を捕まえさえすれば自由に
出来るものだとでも心得ているに違い無かった。
「 何のためにです?」
片付けなければ先に進めない、と観念した天蓬は身構えながら聞き返した。
当然喧嘩になったが、自分に拳を振り上げて来る者の腕を捉えて、放り
投げることは出来るものの、控えている筈の周囲の者の動きが掴めない。
不安に思いながら闘いを続けていたが、別に何処から不意打ちを食らうと
いうことも無いままに闘いはあっけなく済んでしまった。
「 もっと多かった筈では ・・・?」
不思議に思っていると、側に動く人影があって、それが天蓬に近付いて来た。

やはりまだ居たか、と向き直って身構えようとすると、聞き馴れた穏やかな
声がした。
「 投げるのは勘弁して下さい、天蓬元帥。」
「 捲簾 ・・・?」
「 全く、眼鏡が無いとこれだから ・・・。」
捲簾が言った。
「 捲簾、貴方が手伝ってくれていたのですか?」
「 また怒らせてしまったか?」 捲簾はバツの悪そうな笑みを浮かべた。
「 だがもう怒るな。こんなことはこれで終わりだから。」
「 いえ、そうは行かなくなりました。これ ・・・ 渡しておいてくれと。」
ポケットから破かれた退官願いを取り出して渡す。
「 不受理だそうです。」
捲簾は顔を顰めた。
「 何度でも書くさ。俺はどうしてもお前をここに置いといてやりたいんだ。
お前、前にも敖潤のところに行き掛けたが、そこで何もかも忘れて人形
みたいにして暮らすことになっていたんだそうだな?まさかそこまでとは
思ってもいなかったが、そんなものを承諾するほどに失望するな。」
天蓬の肩に軽く手を置いて、「 お前はここに居ろ。」 そう言って立ち去ろう
とした。
慌てた天蓬が呼び戻して手を捉えた。
「 待って下さい。行かないで。閣下にボクたち両方居ても良いと許可を貰っ
てあるんです。」
振り向いた捲簾は頭を振って、「 それは止めておく。」 と答えた。
「 あんなお前はもう見たくない。俺が居なくなれば、また部下達が以前通り
お前の世話を焼くだろう。その方が良い。」
「 ですから、ボクが間違っていたと。最初から疑ったのが間違いでした。」
「 そうなのか?」
天蓬の言葉の途中から表情の変わった捲簾が、聞き返す。
「 ええ。貴方はボクの能力を高く買ってくれていました。それに自分で気付
けなかったんですが ・・・。」
「 ふーん。」
半信半疑のその答えに、天蓬はもっと何かを言わねば、と気を焦らせる。
「 あの ・・・ ボクが悪かったんですから、条件を付けて貰ったら呑みます。」
「 ほう?」 捲簾がニヤリとした。
「 じゃぁ差し当たり、規則正しい一日三度の食事。調練の後のシャワーと
毎日の風呂。それに、三日ごとの掃除ってのでどう?」
「 え、それは ・・・。」
はいと言って引き止めてしまいたいが守れる自信が無い。戸惑っていると、
「 全部俺が用意してやるから、また受け入れるか?」 そう言ってくれた。
「 いいんですか?直ぐに勘違いする馬鹿な奴にそんなことまで ・・・。」
「 俺がしたいんだ。良いだろう?俺の出す条件なんだから。」
「 それなら ・・・。」
天蓬が恥ずかしそうに小声でそう言うと、捲簾は腕を取って引き寄せようと
した。
「 痛っ!」
「 え?」
「 点滴用の針を抜かれていません。途中だったので。」
「 そうだったのか。それで眼鏡も掛けずに追い掛けて来たという訳か。
戻ろうぜ。続きを受けないことには。・・・ 送って行こう。」
「 でも、あの部屋は誰にも知られていないことになっています。」
「 ああ、俺の侵入はとっくにばれてる。」
そう言いながら、捲簾は天蓬を支えるようにして歩き始めた。
兵営の前庭から営倉に抜けると、本来夜になって行く場所ではないため
外灯さえ乏しくなるが、この時も月が明るく、然したる不自由は無かった。
季節は同じだから、寒月から放たれる光は澄んだ空気を抜けて相変わらず
冴えた冷たい色を帯びている。
何となく天蓬と同じ色彩を持つ光だと、捲簾は思う。
冴えて冷たく、時にいきり立って突き刺すような気さえする。
それでも、疎まずに本体を覗き込めば、意外に暖か味のある色が見えて
来る。そこが良く似ているから、月明かりの下に立つとこんなにも良く似合
って見えるのだろう。
そして、今は ・・・ 刺すような気配を消して、暖か味のある色を湛えて笑って
いるというところか。
歩きながら、ずっと自分を観察するような視線を感じて、天蓬が問い掛ける
ように捲簾を見た。
まさか月と見比べていたなどと面映ゆいことも言えず、捲簾は誤魔化した。
「 本当に敖潤は何処までも人が好くて、お前の仕合わせが第一な奴だ。」
天蓬はくすりと笑い声を立てた。
― 言っている貴方も大差有りませんよ?それに今回は、二人とも閣下に
手酷く懲らしめられたようですし。―
心の中でそう呟いていた。






















外伝2巻 口絵 クリックして下さい♪
   ―― 寒 月 ――

   2007/10/24
   天蓬心理分析 ( 独自解釈 ) 実験中
   written by Nachan

   無断転載・引用は固くお断りします。

   ブログへのリンク
   http://akira1.blog.shinobi.jp/

   素材提供:Heaven's Garden
   http://heaven.vis.ne.jp/










NOTE :

敖潤が無制限に天蓬を許し続けるという、景気の良い(?)
お話です。

だって、あのジープの前世なんですよ?
そりゃもう、愛情は無限大でしょう!

人様に読んで貰おうと思ったら、セックスシーンを入れるとか
ウェブリングに登録するとかしなくちゃいけないのでしょうが、
その気ナッシングなもんで。( つか、その腕前も無い。)
相変わらず情緒面の描けない、棒読み調の実用文描写で、
何処からどう見ても、自分だけの独り遊びですね ^^

通常庇われている筈の年代から、そういう人が居らず、
以降も人と関わらずに来たもので、べたべたに甘えん坊な
人物を描くのが好きなんです。所詮暇潰しですけど。(^_^;)